京北教会ブログ──書庫(2010.8〜2019.8)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ (保存資料)

今日は永眠者記念礼拝と墓前礼拝(2010)

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 今日は、午前中のいつもの礼拝を「永眠者記念礼拝」として行い、昼食の後、貸切バスで京都霊園にみんなで出かけて「墓前礼拝」を行なった。

 この日は、京北教会において、すでに召された(亡くなられた)今までの全ての教会員や、その親族・関係者の方々の生涯を想い起こすことによって、今を生きる私たちが心を新たにする日である。

 写真は、教会の納骨堂の前での、昨年度の墓前礼拝のときの写真。10分ぐらいの礼拝である。そのあと、納骨堂の前で、ご遺族の方々が順々に並んでお一人お一人が短く黙祷をされる。

 この日の礼拝で京北教会が用いている言葉、「永眠者」とは「この世の旅路を終えて、永遠の眠りについた者」ということで、亡くなられた方のことを総称して用いている言葉である。

 同様に用いられる言葉として、「召天者」(しょうてんしゃ。神様から天に召された方の意味)、「逝去者」(せいきょしゃ。この世を去られた方の意味)などの言葉がある。

 それぞれ微妙な意味の違いはあるが、どの言葉を用いるのも、各個人、各教会の自由であり、どこでもそれぞれの教会でなじみの言葉が使われている。

 今日は午前中の教会での礼拝は40名、昼食には35名、墓前礼拝は22名の方が出席。墓地には貸切バスで往復し、3時半ごろに教会で解散した。

 
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 写真は、教会の庭に咲く酔芙蓉(すいふよう)の花。白と紅のいくつもの花が、空に向かって咲いている様子が、逆光の中に見えてとても美しかった。

 この木の花は、咲く最初のときは白い色で咲き、翌日には花の色が紅く変わってしぼんでいく。その様子が、まるで人が酔って肌の色が変わるように見えるので、酔芙蓉と名付けられている。

 だから、紅い花は小さく見え、白い花は大きく見える。咲き終わりの美しさもあれば、咲いていく美しさもある。だが、実はどれもが、一つ一つの花それぞれの、ときの流れの中で見せる姿の違いである。

 様々な花が、大きな木のあちこちにあり、それらが群像のように逆光の中で咲いている。

 すでに世を去られた方たちのことを想って礼拝するときに、気持ちはいろいろな方角に向いていく。

 光のほうを向いているだろうか。

 逆光の中でそれぞれに輝いている花を見ながら、そう考えた。

 どの花も、美しい。
 逆光の中に咲く花の、かすかに色のついたシルエットが美しい。

 神様にこころを向けるときに、神様の光に照らされるがゆえの逆光の中に、すでに世を去られた先達の、かすかに色のついたシルエットが見えるかもしれない。

 命の光は、死した後にも、なお輝く、と思える一瞬がある。

 「思い出」と「信仰」との、はざまにあって区別のつかない、心の中の柔らかい場所で、今もなお神によって輝かせていただいている、先に召された先達の命の光がある。

 それは、今を生きる私たちを、なお前向きに生かそうとしてくれる光でもある。