京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

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2024年3月の説教

 2024年3月の説教

 2024年3月3日(日)礼拝説教

「教会と人に会いたい」

 2024年3月3日(日)京北教会 礼拝説教 今井牧夫

 聖 書  テサロニケの信徒への手紙一 

            2章 17〜3章5節 (新共同訳)


 きょうだいたち、わたしたちは、

 あなたがたからしばらく引き離されていたので、

 ——顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではないのですが——

 なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。

 

 だから、そちらへ行こうと思いました。

 殊(こと)に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、

 サタンによって妨げられました。

 

 わたしたちの主イエスが来られるとき、
   その御前でいったいあなたがた以外のだれが、

 わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。

 実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。


 そこで、もはや我慢できず、わたしたちだけがアテネに残ることにし、

 わたしたちのきょうだいで、キリストの福音のために働く神の協力者テモテを

 そちらに派遣しました。

 

 それは、あなたがたを励まして、信仰を強め、このような苦難に遭っていても、

 だれ一人動揺することのないようにするためでした。

 

 わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、

 あなたがた自身がよく知っています。

 あなたがたのもとにいたとき、わたしたちがやがて苦難に遭うことを、
    何度も予告しましたが、

 あなたがたも知っているように、事実そのとおりになりました。

 

 そこで、わたしも、

 もはやじっとしていられなくなって、

 誘惑する者があなたがたを惑わし、

 わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、

 あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです。

 

  (上記の新共同訳聖書からの抜粋掲示では、
      改行などの文章配置を説教者が変えています。
    新共同訳聖書の著作権日本聖書協会にあります)

 

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 (以下、礼拝説教)  

 

  いま、教会の暦で受難節という時期を歩んでいます。主イエス・キリストが十字架に架けられて命を落とされた。そのことがわたしたち一人ひとりの人間の罪のゆるしのためであり、その十字架の意味をわたしたち自身が自分のこととして覚えるときです。

 そして、わたしたち一人ひとりが、自分にとっての十字架とは何か、ということを考える、そうした時期がこの受難節であります。受難節は3月31日のイースター(復活日)の前日まで続きます。毎年イースターの日や受難節の時期は日が変わりますが、今年はそのようになっています。この時期、皆さん一人ひとりが自分自身にとっての受難節を思って、イエス様のことを考えて歩んでいただきたいと願います。

 

 今日の聖書箇所はテサロニケの信徒への手紙一からであります。毎週、福音書使徒パウロの手紙、旧約聖書、その3箇所を順番に読む形にしています。今日は使徒パウロの手紙であるテサロニケの信徒への手紙一です。地中海沿岸にあるテサロニケという町にあった教会に向けて、パウロという人が書いた手紙の一部分であります。

 今日の箇所の冒頭には「テサロニケ再訪の願い」という小見出しがつけられています。こうした小見出しは新共同訳聖書が作られたときに、読み手の便宜を図ってつけられたものであり、元々の聖書にはありません。今日の箇所には何が書いてあるのでしょうか。

 

 17節からこうあります。

 「兄弟たち、私たちはあなたがたからしばらく引き離されていたので、顔を見ないというだけで心が離れていたわけではないのですが、なおさらあなたがたの顔を見たいと切に望みました。だから、そちらへ行こうと思いました。」

 テサロニケの町にある教会、テサロニケ教会はパウロだけではなく様々な人たちが訪れて、イエス・キリストのことを伝えた、そのことによってできた教会であります。現代のわたしたちが思うような教会の建物があって、塔があって礼拝堂があって、というような建物という意味での教会ではなくて、どこか比較的広い家に住んでいる人が、その自分の家を提供して集まって礼拝をする、そういう形であったと考えられています。


 そのテサロニケ教会は、パウロにとってとても愛着を感じる教会でありました。それはパウロがこのテサロニケの町で一生懸命にイエス・キリストのことを町の人たちに伝えた結果、集まってきた人たちだからであり、パウロにとって本当に自分の心を通い合わせる人たちがいる、そういう教会でありました。

 

 当時のパウロのような人たちを巡回伝道者と呼びますが、地中海沿岸の各地を回って伝道していましたから、テサロニケだけに定住するのではなく、ほかの地域も回っていました。そして、ほかの町にいる時には様々な迫害が起こり、パウロだけでなく様々な伝道者たちが迫害を受ける。そしてその町から出られなくなるような、そのような厳しい状況もあったようであります。

 そうして様々な困難の中で中々このテサロニケ教会にもう一度行きたい、みんなに会いたい、と思っていても会えないときがあったのです。それで、顔を見ないというだけで心が離れていたわけではないのですが、しかし引き離されていたいうところに、当時のパウロが置かれていた状況、それが背景としてあることが分かります。

 18節の後半にこうあります。

 「ことに私パウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。」

 

 これは、実際に何があったかということは具体的には書いてありませんが、パウロから言えば、このように言うしかないような、もう本当に嫌なことがあって、自分の行動が制限されていた。それは逮捕されていた、とらわれの身になっていたということであると思われますが、そのようなえ迫害というものがこの時代にはあったのです。

 

 そのあと19節にはこうあります。

 「わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前で一体あなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実にあなたがたこそ、わたしたちの誉れであり喜びなのです。」

 これはもう最大限の言葉で、テサロニケ教会の人たちがパウロにとって喜びである、誇りである、本当にテサロニケ教会に集まる人たちの存在が、パウロにとってわたし自身の人生の喜びなのだ、ということを言っているわけですね。

 そして19節の最初に「わたしたちの主イエスが来られる時」という言葉があります。これは何を示しているかというと、このわたしたちが生きているこの世界が、いつかその役割を果たし終えて神の国が現れる時、そういうことなのですね。

 それを終末という言い方で、これは神学的な言葉でありますけれども、終末、世の終わりというものがやってくるそのとき、わたしたちが生きているこの世界は、もう役割を果たし終えていくわけですね。そして「神の国」、それは神様の恵みが満ち満ちている素晴らしい恵みの国が現れる。

 そのときに、イエス様がもう一度この世に来て下さって、そしてこの世界の全てを裁いて下さる。裁くというのは、物事を明らかにするという意味であります。どんな苦しみ、悲しみ、痛みを背負ってきた人も、その苦しみ、悲しみ、痛みから解放されて、幸せになるときが来る。今まで苦しめられてきた、様々な悪が全て明るみに出されて、神様の裁きが下る。そうした意味で終末、世の終わりということは、そういう大変なときである、ということも聖書の中には語られています。

 しかし一方で、それは神の国が現れる本当に幸いなときであるということも言われています。このテサロニケの信徒への手紙一の、全体としてのこれは特徴なのですが、このテサロニケの信徒への手紙一というものは、新約聖書の中に収められている27の文書の中で一番古くに書かれた書であるということです。大体、紀元後50年代に書かれたと考えられています。

 その時期は、イエス様が十字架に架けられて死なれたのが紀元後30年頃と考えられていますので、そこから20数年後ぐらいに書かれた、つまりイエス様が実際におられた時期、そしてパウロがそのあとにしばらくしてから伝道者として活躍をした、その時代に一番近い時期です。

 新約聖書に登場するイエス様であったり、パウロであったり、その時代に一番近い時期に書かれているということなのですね。その時代のリアルな雰囲気を伝えてるわけです。その時代のリアルな雰囲気とは何かというと、イエス様がもう一度この世界に来てくださるということが、本当にもう今すぐにでもやってくるように思われている時期に、この手紙が書かれているということなのですね。

 現代のわたしたちは、もうイエス様の時代から2000年経っても、世の終わり、終末は来ていませんね。そこで、イエス様が再び来られる、ということも、それは人間が何かその、来年か再来年かというふうに考えるようなことではなくて、それは「いつか」のことなのだ、という非常に曖昧な形と言いますか、信仰の中で考える時間と言いますかね、それは「いつか」やってくることなのだと考えていて、それが明日にでも来る、というようなイメージはあまりないのではと思うのです。

 

 しかし、パウロが活動していた時期、しかもこのテサロニケの信徒への手紙一を書いた時期というのは、本当にもうすぐにでも神の国がやってくると、世の終末がやってくると、考えられていたその時期なのであります。

 だからここでパウロが「あなたがた」という、このテサテサロニケの教会の人たちが本当に、パウロたちにとって希望であり喜びであって、誇るべき冠である、という、このものすごい愛情の言葉ですね、教会の人たちに対する、あなたたちは素晴らしいのだ、とこう言ってるこの言葉っていうのはですね、もうすぐイエス様がやってくる、そのときに、その人たちがみんな神様によって救われるんだと。そのことを皆さんが信じて、活き活きと教会生活をしている、そのことが本当にパウロにとってうれしいという、そういう思いがあるのです。

 

 もうすぐイエス様が来てくださる。そのときにパウロは、このテサロニケ教会の人たちと一緒になって、イエス様が来られることを喜び合うことができるのだという、そういう喜びに満ちています。

 次に3章1節を見ます。
 「そこで、もはや我慢できずわたしたちだけがここに残ることにし、わたしたちの兄弟でキリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。それは、あなたがたを励まして信仰を強め、このような苦難にあっていても誰一人動揺することのないようにするためでした。」

 

 ここでパウロは、自分がいまギリシャアテネにいることを語っています。アテネで何が起こったかというと、これは聖書の使徒言行録に書いてあるのですけれども、アテネで伝道しようとしたパウロたちがも様々な迫害、妨害にあったということが書いてあります。その中で動きが取れなくなった中でパウロは、自分たちの仲間であるテモテという人をテサロニケの町に派遣したということであります。

 なぜ派遣したかというと、パウロたちがアテネで迫害を受けているという、そのことを一つのニュースとしてテサロニケの教会の人たちが聞いたときに、そのことを聞いて動揺することがないようにというのですね。自分たちにイエス・キリストを伝えてくれたパウロが、迫害にあっているということを聞くとですね、このイエス・キリストの教えというものは、そんなふうに迫害されるものなのか、ということを考えたときに不安になるだろうと。だから、そうならないように、テモテという人を遣わしたというのです。

 

 そのあと、こう言います。

 「わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、あなたがた自身がよく知っています。

あなたがたのもとにいたとき、わたしたちがやがて苦難に会うことを何度も予告しましたが、あなたがたも知っているように、事実その通りになりました。」

 

 つまり、テサロニケ教会の人たちは、すでにそのニュースを聞いているというのですね。パウロたちが迫害にあっているというニュースをあなたたちはすでに知っていますと。それはもうすでに、このパウロがテサロニケの町にいたときに語っていたことが起こってることだから、全く思いもよらなかった事態が起こってるのではない、最初からこんなことは分かっていたのだ、というのです。最初から分かっていたことなのだから、じっと忍耐してこの時期を耐え忍びなさい、とパウロは言いたいわけであります。

 5節ではこう言います。

 「そこで、わたしももはやじっとしていられなくなって誘惑する者があなたがたを惑わし、わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るためにテモテを派遣したのです。

 

 パウロたちが迫害にあっている、ということを聞くとテサロニケ教会の人たちが動揺するので、同様につけ込んで違った考えの人たちがこの教会に入り込んで、パウロが言っていたことはおかしいのだ、といって別の方向に連れて行こうとする、そんなことが起こっていないかと。そんなことが起こったらもう嫌だと、いても立ってもいられないと言ってパウロは、このテモテという人を派遣したのでありました。

 

 そこまでが今日の箇所です。このあと、6節以降ではそのテモテがテサロニケ教会を訪問して、教会の人たちがみんな元気にやっていると、大丈夫だという知らせをパウロに伝えることになっていくわけですね。そうした、うれしい話がここで続いていくわけですが、今日の箇所としては5節の所で一旦止めました。

 

 今日のこのような聖書箇所を読んで、皆様は何を思われるでありましょうか。この箇所を読んで、わたしがまず感じましたのは、パウロはテサロニケ教会の人たちのことを本当に愛している、大事に思っている、ということであります。一体なぜそこまで、と尋ねたくなるぐらいに、パウロはこの教会の人たちが大好きなのですね。

 それは、テサロニケの教会、その町で伝道したときにあった、いろいろなこと、いろんな苦労、苦難というものがあって、でもその中で一人また一人と、イエス・キリストを自分の主、救い主、自分の救いの中心に立ってくださる方として、信じた人たちがいる。パウロの言葉を聞いて、それを信じた、本当のことだと言って信じた人たちがいる。そのことをパウロはものすごく感謝をしているわけですね。

 パウロという人が、どういう人であったかというと、聖書の他の箇所にありますけれども、元々は厳格な律法学者でありました。そしてクリスチャンを迫害する側の人間でした。なぜ迫害していたかというと、パウロは厳格な律法学者だったので、旧約聖書に記された律法、決まり事というものをしっかりと守ることによってこそ、人は神に救われる、というふうに考えていたのですね。

 律法によって救われる。それは言葉を代えて言うと、行いによって救われるという考え方なのです。正しい行いをすることによって神様によって認められて、その人は救われる。それが律法主義という考え方ですね。それに対してイエス様が宣べられた、神の国の福音は、律法を守るか守らないかではなくて、心で神様を信じるか信じないかによるわけです。

 

 行いとして、何一つ良いことができていなくても、主よ、おゆるし下さい、罪人であるわたしをおゆるし下さい、と言って全てを神様にゆだねるとき、その人の信仰はまっすぐ神様の方を向いています。自分の力で救われるのではなく、ただ神様におゆだねし、お任せし、その救いを祈る。その信仰において神様はその人を招き救ってくださるのであります。それは行いによらない信仰です。

 

 ただ信仰のみによって救われる。その信仰、そのことをイエス様は宣べ伝え、また弟子たちも宣べ伝えました。そのことが厳格な律法学者であったパウロから見ると、許せないことだったのですね。そのためにパウロは、いつもクリスチャンたちを捕まえて迫害していました。

 

 しかし、そのパウロがある時突然に目が見えなくなりました。その真っ暗闇の絶望の中にあって、語りかけてきた声がありました。それはイエス・キリストの声でありました。パウロ自身がそのように、かつての自分を振り返っています。突然に目が見えなくなった、それはパウロがもはや律法を守って生きることができなくなった、その状態であることを示しています。

 自分自身がその状態になったときに初めて、パウロは自分が今まで信じてきた律法主義では自分が救われないということを知り、そしてその暗闇の中で響いてきた、イエス・キリストの言葉、自分が今まで迫害してきた対象であるイエス・キリストの言葉を聞いたときに、180°方向を変えてパウロは回心をしたのでありました。

 

 そのパウロがクリスチャンとなり、伝道者となって、そして各地に伝道した結果、生まれた教会の一つがテサロニケの教会でありました。

 そうした意味で、パウロにとって自分の人生をかけた伝道、そして自分自身の目が見えなくなるという、この非常に重い経験の中にあって知ったイエス・キリストの恵みということを、テサロニケの町の人たちに宣べ伝えた、そしてその言葉をきちっと聞いて、そしてイエス・キリストを信じてくれた、仲間となってくれた、そのテサロニケ教会の人たちのことをパウロは本当に喜びとしています。

 このようなパウロの言葉を今日読むときに、わたしたちは何を思うでしょうか。一人ひとり皆さんが思われることは違っていると思います。その中にあって、わたしは、ここでパウロが言っている、人に会いたい、というこの気持ちについて、今日の聖書の箇所を読みながら色々と考えさせられました。

 

 ここでパウロが書いてるような、もう本当にテサロニケの教会の人たちに会いたい、会いたい、会いたい、会いたいけれど会えないから、代わりにテモテを遣わして、自分の代わりに遣わすのだ、という、ここまで会いたいという思いは、どういうことなのか、どういうものなのだろうか、ということを考えたのですね。

 皆さんは、パウロが今日の箇所に書いているようなぐらいに、人に会いたいと思うことがあるでしょうか。あるいは、教会の人たちに会いたいと思うことがあるでしょうか。わたしが今日の箇所を読みながら、あれこれと思いを巡らせていて、ふと思ったのは京都教区総会のことなのですね。

 

 わたしはいま、京都教区議長に選ばれてその仕事をしています。もう5年目になりました。その中で、毎年、教区総会というものがあります。百数十人の方々が、京都・滋賀の各教会・伝道所の代表者が出席して、そのほかにも学校の教師や神学部の教師や、いろんな方が来て、百数十人の会議をしますので、毎年教区総会の準備は大変です。

 

 教区総会ではいろんな議題を扱います。ときに激論を交わすこともあります。教区の財政を巡ってとか、もう教区の宣教のあり方を巡ってとか、いろいろな課題があります。その中で、わたしも議長として仕事をさせていただいていることは、名誉なことであり幸いなことであると思っているのですが、とっても大変だな、しんどいなと思うことも正直あるのですね。

 

 それで、あるとき、わたしは教区総会の場において、ふと思ったことがあるのです。教区総会は大変だけれども、今こうやって会っている、100人以上の人たちと会っているのですが、今から10年経った時にもう1度会いたいと思う人が、この中で何人いるだろうか、と考えたのですね。

 それは、どういうことかと言うとですね、いま本当に、大変だ、大変だ、と言いながら、たくさんの人と会っているけれど、今から10年経って、つまりもう教区議長もやめて、いろんな仕事もやめて、10年経って、いろんなことが過去になったときに「もう一度この人に会いたい」と思う人が、この中にいるだろうか、と考えたのですね。

 そうしたら、そう思ったときにですね、そんな人いるかな、とわたしはちょっと思ってしまったのですね。仕事だから出会っている、それだけではないのかなと。教区総会に来ている人は、みんなこれ義務だから来てるだけなのではないかと。しょうがないから来てるのではないか。しょうがないから出会っているのではないかと。そうして、しょうがないから出会ってる人たちと、10年経ったときに、もう一度お会いしたいとか、別に思わないかな、と思ったのです。

 

 そんなふうに思うときというのは、もう心が疲れてるときです。つまり、ちょっと逃げたいと思っているときなのですね。何をやってたって、これは義務でやってるだけではないか、10年経って会いたいと思う人、この中に一人もいないのではないかな。つまりそれは、たくさんの人と出会っていたとしても、自分の人生にとって大事な人とは思って出会っていない、ということなのです。

 これは仕事だから、しょうがないから、出会っているのだと。そんなふうに考えたときに、わたしは、また、そこからさらに思ったのです。いや、10年経ってもう一度会いたいと思う人がいるかいないかは、今やっている教区総会が良い総会になるかどうかで変わるのだ、と思ったのですね。

 

 今やっている教区総会が、これは素晴らしい総会だ、いい意見が聞けた、言えた、なるほどと思った、力が湧いてきた、そんな教区総会に、もしなれば、そこに集まっている百数十人の人たちと、10年経ったときに、またみんなで会いたいよ。同窓会したいよ。同窓会しようよ、というぐらいに、そういう気持ちになるのではないかな、と思ったのですね。

 つまり、そのとき、そのとき出会ってる人たちと、10年後にもう一度会いたいと思うか、つまり自分の人生にとって大事な人だった、と思えるような出会い方をするかどうか、というのは、今その時にどれだけ自分が心を込めて、一生懸命になって真剣にやるかどうかにかかっている。そして、それは信仰者として、別の言い方をするならば、イエス・キリストにあって人と出会っているかどうか、ということが問われているわけですね。

 イエス・キリストにあって、人と出会ってるかどうか。もし本当に、イエス・キリストにあって、その場で人と出会っているならば、そこで出会っている人たちは、10年後も、もう一回出会いたい人たちになっていくわけであります。本当の意味で交わりを持ったからであります。

 そうでなくて、イエス・キリストにあって出会うのではなくて、ただ単に義務で出会ってるならば、しょうがないから、仕事だから、役割だから出会っているならば、10年経って会いたいなんて思わないでしょうね。それはもう本当に、そういうものだと思います。

 そんなことを考えたときに、今日の聖書の箇所を読むとですね、パウロが会いたいと思っているのは、パウロが伝道者だったから、それは現代で言えば牧師だったと言ってもいいのですが、牧師と信徒の関係で、信徒のお世話になったから会いたいという、そこに何か義務があるから出会いたいというのではないわけなのです。

 

 イエス・キリストにあって、出会っていた時間があった。忘れられない思い出がある。その思い出が、その自分の人生の根底にあって、この自分をいま生かしているのだ。そういう思いがあるから、テサロニケ教会の人たちにもう一度出会いたいのだ、ということをここで言っているわけなのですね。そのようなパウロの気持ちを、今日の聖書の箇所から受け取りたいと思うのです。

 

 それは、この現代の日本社会を生きているわたしたちにとって、また、この現代の世界の中を生きているわたしたちにとっても大きな意味があると思うのですね。

 人と会いたい、という気持ち。これは、どういう思いでしょうか。もちろん、いろんな思いがありますね。寂しい、という思いもあるでしょう。あるいは、あの人が好き、という思いもあるでしょう。あるいは、あの人が懐かしい、という思いとか、いろんな思いがありますね。

 それで、教会というのは何でしょうか。皆さん、教会に行きたいですか。教会に行こう、教会に行きたい、そういうふうに思いますかね。そう思うときもあれば、さほど思わないときもあるかもしれませんね。今日の説教題は「教会と人に会いたい」と題しました。

 

 「教会と人に会いたい」。この言葉を考えたときに、わたしは最初、「教会に会いたい」というふうに考えたのです。このパウロが、テサロニケの教会に行きたいと思っているように、わたしたちも教会に会いたい、教会というものに出会いたいと。それは、単に教会に来ている人たちに出会うというだけではなくて、教会というものを作って下さっている、導いて下さっている、イエス様に会いたい、という気持ちがあるからなのです。

 

 教会の人たち、一人ひとりは、まあ言わばただの人間ですよね。気が合う人もあれば、あまり合わない人もいるかもしれない。よく知っている人もあれば、あまり知らない人もいるかもしれない。いろんな人がいます。別に、人に会いたいから教会に行くわけではないけれども、その一人ひとり、教会の一人ひとりを通して、イエス様という方が、このわたしに現れて下さる。出会って下さる。そう思うときには、本当に教会に会いたい。そして教会の皆さんに会いたい。そういう気持ちになるのです。

 

 そして同時に、その、教会に会いたいという気持ちの中にはですね、教会に行くときには、それは世間一般の出会いの中で出会ってるわけではなく、イエス様にあって出会う、という特別な出会い方している、ということがあると思うのですね。そのイエス様にあって出会うときに、そこで出会う一人ひとりは平凡な人かもしれない、大して気が合わない人かもしれない、あまよく知らない人かもしれない。

 それでも、その一人ひとりがイエス様にあって、イエス様の元でお互いが出会うときに、このわたしにとって特別な人になって下さるのだと、そのときに、その人の持っている存在が、このわたしにとって変わるのだ、そういうことがあるのですね。わたし自身がそういう経験をしてきました。ですので「教会に会いたい」だけではなくて、「教会と人に会いたい」という説教題にさせていただきました。

 

 教会にあって一番大事なのは神様です。イエス・キリストです。けれども、それは神様とイエス・キリスト、そして聖霊、その三位一体の神様がおられれば、もうそれでいいのだ、というだけではなくて、その神様のもとで生きている、無数の人たちがいる。そして実は、このわたしという人間も、その教会の中で、そこに来る人たちと出会う一人の人なのですね。

 

 こんなわたしだって、イエス・キリストを現して生きている。自分の力ではなくて、神様にとって用いられて生きている。そして、お互いに出会うときに、この教会での出会いというものは、単なる出会いではないのだ、イエス・キリストにあっての出会いなのだと。その出会いの時間がどれだけ短かったとしても、たとえば礼拝を一緒にしているだけです、というような短い出会いかもしれない。

 お互いに口をきくこともないかもしれないけれども、このとき、イエス様のもとで一緒にいるという、この時間、その時間を大事にするときに、いま礼拝を一緒にしている一人ひとりが大事なのです。

 

 その一人ひとりに出会っていきたい。そのことを含めて、教会に会いたい。パウロが今日のテサロニケの人たちに熱烈に語っているような思いで、わたしたちもまた、教会と出会い、また人と出会っていきたいと願うものであります。

 お祈りをいたします。

 天の神様。わたしたちがそれぞれ置かれた場にあって毎日いろんなことを思って生きています。病気のこと、健康のこと、また家族のこと、自分の仕事のこと、経済的なこと、社会全般のこと、国際情勢のこと、いろんなことに本当に悩まされ、心の中がいろんなことでいっぱいになっていくときに、それだけではない道を示してくださる神様に感謝します。神様に出会い、イエス様と出会い、人と出会っていくために、わたしたちをまた教会に連れてきてください。そしてまた、いろんな事情によって、この礼拝に来ることのできない方々を神様が守り導いてください。
 この祈りを、主イエス・キリストの御名を通して、御前にお献げいたします。アーメン。