─室町教会を訪れて(2010)─
このブログ記事は、2010年に、
京都南部地区伝道部の「伝道セミナー」の会場となった、
京都南部地区伝道部の「伝道セミナー」の会場となった、
室町教会を訪れた際の記録です。
ほかにも、2013年の室町教会での、
「浅野牧師就任式」の記事が以下アドレスにあります。
また、京都南部地区総会の会場を、室町教会にご提供いただいた報告記事が、
以下アドレスにあります。
室町教会の、大きくて美しい会堂。(2015撮影)
クリスマス(12月25日)当日夜の礼拝後に撮影。(2019撮影)
大きなツリーが美しかったです。
礼拝の中で合唱団によって讃美歌が歌われ、
その後、みんなで歌いました。
大きなツリーが美しかったです。
礼拝の中で合唱団によって讃美歌が歌われ、
その後、みんなで歌いました。
2010年、このブログ記事の日は雨模様でした。
明るく伸びやかな礼拝堂。
一階には、お茶や談話などのための、
リラックスできる集会室などがあります。
(上の地図は京都教区HPより。ご提供に感謝!)
長い歴史がある教会です。
戦前、日本キリスト教団に加盟する前には、
日本基督教会(改革長老派)の教会でした。
現在は教派伝統にとらわれずに牧師を招聘しているそうです。
日曜日の礼拝は、朝は10時15分から。
子どもたちの教会学校は毎週日曜日の朝9時15分から。
また、毎週「夕礼拝」という形で、
毎週日曜日の夕方5時30分からも礼拝が行われています。
朝の礼拝に出席しにくい方々などが来られているそうです。
もちろん、どなたもご自由に出席できる礼拝です。
もちろん、どなたもご自由に出席できる礼拝です。
この室町教会を会場にお借りして、
京都南部地区「伝道セミナー」が開催されました。
出席者は全体で28名。
今までの伝道部の会よりも、ずっと人数が増えました。
今日のセミナーは、
聖書の文献研究に深く通じておられる牧師を、
兵庫県からお招きしての講演会です。
新約・旧約聖書の物語の、
当初書かれた原文からの詳細な研究を中心に、
ご自分の、幼少時から現在までの、
生活経験の中から導き出される、
ユーモアに満ちた話を織り交ぜながら語られました。
教会を船にたとえつつ、
「どのような時代状況の中で、なぜ福音書が記されたのか」
「福音書の伝えている、人間の生きる道はどのようなものか」
…といったことを、
伝道の大切さを私たちに伝えるために、
丁寧に、またユーモアをもって話されました。
会の出席者(牧師よりも信徒の方が圧倒的に多かったです)は、
講演内容の深さに聞き入っておられて、
「楽しかった」「おもしろかった」という声が、
お茶の時間に何人もの人から聞こえてきました。
上の写真は、室町教会の階段の壁にあるステンドグラス。
表情のある青の色が美しい。
太陽の光を透過させた、十字架。
十字架──。
十字架は、イエス・キリストの象徴であり、
また神と人との出会いの象徴でもあります。
十字架のタテの線は、神様と人を結ぶ線。
十字架のヨコの線は、人と人を結ぶ線。
十字架で、タテの線がヨコの線よりも長いのは、
神様と自分との垂直な関係がまずしっかりとあってこそ、
人と人との水平な関係がしっかりするからです。
なのに、タテの線をいい加減にしておいて、
ヨコの線ばかりを求めてしまうために、
人間はしばしば失敗してしまう…。
そのように、ずいぶん前に、
人から教えていただいたことを想い起こします。
世界のキリスト教会の長い歴史の中で、
昔からよく使われてきた比喩の話らしいですが、
聞いて、その意味が端的によくわかる話でした。
もちろん十字架という形そのものは、
元来そのような意味で考えられたわけではありません。
しかし、イエス・キリストという存在を、
深く心に受けとめながら、
十字架という形を見たときに、
そのように理解することが、
ふさわしかったのだと思います。
「神と人との出会いと、人と人との出会い」の、
二つの意味の、重なった形を表すシンボル。
十字架という形を、そう理解することが、
ただ単にひとつの形として見ることよりも、
はるかにふさわしかったのだろうと思います。
そのような理解を、かつて、
初めて、私に伝えてくれたのは、
いったい、どなただったのでしょうか?
教会学校(日曜学校)の先生、
だったような気がしますが、
はっきりとは思い出せません。
思えば、それは「伝道」でした。
いまも、感謝に堪えません。
会場提供をいただいた室町教会の皆様、ありがとうございました!
ほかにも、2013年の室町教会での、
「浅野牧師就任式」の記事が以下アドレスにあります。
また、京都南部地区総会の会場を、室町教会にご提供いただいた報告記事が、
以下アドレスにあります。