一日の終わりが近づいてきたころの時刻の教会。

今日、教会員のお家二軒を、順々に訪問させていただいた。車に乗って1時間半ぐらいだろうか。良い天気の日。少し暑いが、先日までの猛暑を考えると夢のようなさわやかな気候。良い再会のときとなった。日常的に教会に来ることのできない方々と、こうしてお会いできることは本当にうれしい。
訪問したときは、教会の近況や個人の近況など、お話がいろいろ出て楽しい。そして、時間が来たら最後に短くお祈りをして終わる。場合によれば讃美歌を短く一緒に歌うこともある。そして「また会いましょう」と言って失礼する。
訪問するときには、その前にかならず電話などで連絡をして、ご迷惑がかからないようにする。時刻や時間帯もきちんと考える。おらせていただく時間が、長すぎず、短すぎないようにと考える。お茶やお菓子などの接待で、先方のお気持ちにご負担がかからないようにする。などなど、訪問するときには、人として、失礼の無いように、よく準備するのである。
なんのために訪問するのか…?
私は、訪問の最後は、たいてい「またお会いしましょう」の言葉で閉じる。
次に訪問したときも、最後は、やっぱり「またお会いしましょう」で閉じる。
「またお会いしましょう」…この言葉は、希望である。
おそらく、希望、ということのために、それをするのだろう。