京北教会ブログ──(2010.8〜2020.7継続中)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

ある日びっくりしてうれしかったこと


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 この写真は、私がいる京北教会の礼拝堂の講壇部分。この講壇から毎週、礼拝の説教(聖書のお話)をさせていただいている。ここに毎週立つのだが、毎週ここに立ちながら、来られるみなさんの顔を見ている。そうして、大きな恵みを感じるのだ。 

 ある日の礼拝に、一人の方が来られた。私は礼拝中、講壇の上から見ていたのだが、他の人の姿の後ろに隠れて見えないところに座られたので、最初は誰だかまったくわからなかった。新しい人が来られたのかな…久しぶりの方かな…と思っていたのだが、新来会者の方に任意で書いていただく歓迎カードに記入いただいたものを、受付の方からもらって、書かれているお名前を見て、がーん! と来た。想像だにしなかったことだった。

 私が以前にいた教会の現在の牧師、私の後任の方、ということになるのだが、その方が京北教会を訪ねて、来てくださったのである。

 夏期休暇のおりに京都に来られていて、日曜日の礼拝に出席するためにと、出席してくださったのだ。

 なんとうれしいことだろう。うわ~っ、こんな幸せがあるかな? もう10年ぶりの再会、しかも、ご一緒にこうして礼拝できるなんて! そう思った。ものすごくうれしかった。

 礼拝後に教会のみんなとお茶して、その後二人で近くの焼き肉店へご案内。その後に先生の次の行き先まで車で送らせていただき、全部でたっぷり3時間近くお話する時間をいただいて共に過ごさせていただいた。

 本当にうれしかった。こんな幸せな時間が、突然、なんの前触れも予感もなく、やってきた。

 牧師はいくつかの教会を転任しながら生きていくことが多い(もちろん、長期にわたって一つの教会におられる方も少なくないにしろ)。私もいくつかの教会におらせていただいてきた。その歩みをふと振り返ることがときおりある。

 そんなとき私は、ふと、過去、いや、過去を通り過ぎて、それぞれの場所で「現在」を生きている方々のことを思う。

 そして、私は単に今だけの時間を生きてここに存在しているだけではなくて、過去にも生きてきたし、その過去に支えられて今があるのだと思う、その気持ちを強くしたい、という気持ちになるのだ。そして、いつか、その気持ちが、単に過去を感傷的に振り返ることではなくて、今と未来を生きていく力になれば、と思うのだ。

 そんなふうなことを考えていた矢先に、先生が来てくださった。何の前触れもなく、「夏期休暇なんでね」と、笑顔で来てくださった。

 何かの夢が不思議な形で、かなえられた気がする。私が過去に「生きていた」ことの実感がわいた。私は生きている。それは事実だ。過去にも未来にも支えられて。

 先生がお帰りになられたあと、先生と、先生のおられる教会のことを思って、心からの祈りを献げさせていただいた。