京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

兵庫県南部大地震追悼礼拝2023を訪れて(於 神戸聖愛教会)

 

 兵庫県南部大地震追悼礼拝2023を訪れて

      (神戸聖愛教会を訪れて)
        
2023年1月17日(火)18:00〜       
     日本基督教団兵庫教区主催「兵庫県南部大地震記念の日 追悼礼拝」
            於 日本基督教団 神戸聖愛教会

 

  兵庫教区で毎年行われている、
  兵庫県南部大地震追悼礼拝に参加しました。

  会場提供された神戸聖愛教会と、
  主催者の兵庫教区に感謝します。

 コロナ禍からオンライン礼拝のみとなりましたが、

  今回は対面との併用となりました。  

 
なお、神戸聖愛教会の小栗献牧師と、兵庫教区総会議長の東島勇人牧師に、
   今回ブログの写真記事掲載の了解をいただきました。ありがとうございます!

 

……………………………………………………………………………………………………………………………………

 ご参考として、過去の京北教会ブログには以下の記事があります。

上記の「2019年度備忘録」には2020年1月17日、神戸教会で開催された、
兵庫県南部大地震追悼礼拝の報告を含めています。
なお、上記ブログで筆者は、わかりやすさの点から阪神淡路大震災という表記も、
用いていますが、実際の礼拝では兵庫県南部大地震という表記であることを、
お断りしておきます。

……………………………………………………………………………………………………………………………………        

          神戸聖愛教会

 神戸聖愛教会のホームページは以下をクリックください。


 今回のブログでは、教会建物の近くの企業看板の文字を画像ソフトで消去しました。  
    建物の映りを良くするためです。ご容赦ください。

 

 神戸聖愛教会は、JR新神戸駅の近くにあります。
    上写真の道路の真っ正面に駅。

    この日の筆者は、まずJR三宮駅を降りて、
     山手に向けてまっすぐに歩き、

 教会に近づいたあたりから少し東に歩いて、
    ここに来ました。

 生田川沿いの道路沿いに教会があります。


  礼拝でのお話のタイトルは「ボランティアお断り」。
    山本光一さん。

 かつて北海教区で、教区幹事の立場で、
 災害救援活動に携わっておられた方です。

 北海道での1993年の北海道南西沖地震(M7.8)と津波の、
 被災地域(奥尻島)に、この言葉が掲げられていた、

 そのエピソードなどから貴重なご経験を語られました。

 その北海道での震災は、1995年1月17日の、
 兵庫県南部大地震の少し前の時期のことでした。

 そして兵庫県南部大地震が起こった後、
 北海道から兵庫に来て支援して下さりました。

 そうした時々のことを踏まえて、
 特に北海教区での支援活動の体験を通して、
 説教され、ご自身の思いを語られました。
  ありがとうございました。

 

 

(以下の文は、当日の式次第からの引用です)
………………………………………………………………
 1995年1月17日の阪神・淡路大震災(M7.3)の1年半前、1993年7月12日に北海道南西沖地震津波(M7.8)がありました。その発生直後から大きな被害のあった奥尻島では、当時北海教区幹事だった山本光一さんを中心とした救援活動がありました。今回の追悼礼拝では、その際に被災者と寄り添う活動を模索されたお話を山本さんから伺います。
 私たちは被災者と共にあるために何ができたでしょうか。今なお続く阪神・淡路大震災の被災の現実の中で生き続けておられる被災者と本当にどこまで寄り添ってきたでしょうか。命を奪われた方々とはどうだったのでしょうか。私たちは被災教区として今もその問いのもとに立たされ続けています。
 阪神・淡路大震災の犠牲者やそのご遺族はもちろん、各地の被災の現実の中に置かれている方々と共にあるため私たちに何が出来るか、もう一度祈りを合わせたいと願っています。

………………………………………………………………

 神戸聖愛教会の礼拝堂。
   とても広く、大きな礼拝堂です。


   ここでこの日の礼拝が行われました。

 

(以下、当日の礼拝 式次第から引用です)

………………………………………………………………

           式 次 第

 前 奏
 “Prelude on ‘Abide with me’ Eventide”            奏楽者
 招 き 詩編116編9節〜11節(P.4)         司式者
 告 白               
       一 同
       
被災教区の震災5年目の宣教にあたっての告白
 
  わたしたちは、地震と被災に関わる経験を通して示された、試練と恵みの神の働きを信じる。
  わたしたちは、被災が一様でなく極めて多様で、それぞれに固有の生活体験であることを知る。しかし、その個々の生活に働かれる神の臨在を認識した。そして固定化した福音理解、感性と想像力に欠けた信仰生活が厳しく問われたと信じる。
 わたしたちは、非常時の中で教会の地域社会への関わりと参与、その日常性のあり方を問われた。被災の現実から教えられたのは、隣人への関心、関係の豊かさを生きることであると信じる。
 わたしたちは、大地震という未曾有の出来事を経験した。おびただしい死を前に圧倒されながら、悲しむよりほかない現実と向かい合うことの大切さを知った。同時に、イエス・キリストにおいて歴史に啓示された神は、被災のただ中にも臨在されていることを信じる。
 わたしたちは、現実の苦難の中にある命の営みと、その出会いの中にこそ神は居られることを信じる。その信仰によって未知のものを踏み分けつつ言葉を紡ぎだしていくことが福音宣教と信じる。
 わたしたちが被災の現実の中で、『地域の再生なくして、教会の復興はありえない』として歩んできたことが、神の前に立つわたしたちの信仰の応答であると告白する。
                                  アーメン
 黙 祷                     一 同
 う た 備えて祈れ(讃美歌21‒440番)       一 同
 祈 り                  司式者
 う た 花彩る春を(讃美歌21‒385番)       一 同

   聖 書 マタイによる福音書 25章 35〜40節 司式者
 説 教 「ボランティアお断り」 
              
山本光一(隠退教師・元北海教区幹事)

 祈 り 1月17日 人と自然の共存を祈る    一 同
 神さま、私たちが自然の中で生き、生かされていることを感謝します。
 でも、自分たちも大きな自然の中の一部であって、その自然の中で生かされているということをすぐに忘れてしまいます。いつも人間だけが、人間の知恵や力によって生きていて、その上、自分たちが自然を支配しているかのように勘違いしてしまいます。
 あの大地震を通して、自分たちが考えている以上に様々な支えや励ましがあったことを知り得た今、私たちは自然に対しても、支えられ、慰められ、共に生きている仲間であることを覚えていきたいと思います。
 決して人間が自然を支配しているものではないということを覚えるために。
                                 アーメン。
 う た あなたの道を(讃美歌21‒528番)      一 同
 終 祷                  説教者
 後 奏 
‘’Kojiki Cogitatio‘’  Missa pro Defunctis より (Javier Busto)                   
                      奏楽者
 報 告             
兵庫教区総会議長 東島勇人
………………………………………………………………

 これは2階席からの眺めです。
   以下、礼拝前に撮影した写真。


 讃美歌の番号や聖書箇所を画像で、
 左右の大画面に映す機材が設置されています。

 

 

 映画館みたいな座席。座り心地が良いです!

 座席の一つひとつに、礼拝音声スピーカーがあります。
   これはすごい工夫ですね。

 

 素晴らしい奏楽がなされました。
   ありがとうございます。

 

 礼拝のブログラムとスピーカー。
 スイッチで礼拝司会者の音声のオンオフができます。
     

 2階席の長椅子。
    会堂新築前の、教会の昔からの長椅子ではと思えます。

 

 オンライン配信の機材。担当者のご奉仕に感謝です。
   たくさんの方々がその恩恵にあずかります。


 美しいステンドグラス。

 

 さて、礼拝が始まりました。対面の方は50名ぐらい?
  遠方からの方も多かったようです。


 主催者の兵庫教区議長からの挨拶で終わりました。
   兵庫教区の様々なご準備、ご奉仕に感謝申し上げます。

 

 会場を提供いただいた神戸聖愛教会のみなさま、
   ありがとうございました。

 

 ビルに挟まれた教会。
   都会のど真ん中で証しをしています。

 

 時と場所を越えて伝えるべきことのために。