(教会庭の秋明菊)
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
「2018年 11月4日(日)のこと」
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(教会庭)
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2018年 11月4日(日) ブログ
聖 書 ルカによる福音書 4章 16〜30節
説 教 「いつか喜びの帰り道」今井 牧夫 牧師
讃美歌21 210「来る朝ごとに」
495「静けき祈りの」
419「さあ、共に生きよう」
讃美歌21 210「来る朝ごとに」
495「静けき祈りの」
419「さあ、共に生きよう」
礼拝出席者数 24名
礼拝後 ・軽食 ・バザー反省会
・11月定例役員会
・11月定例役員会
(教会庭の酔芙蓉)
週報掲載 <聖書と宣教のことば>
──礼拝説教を聴く準備としての、各人の黙想のために──
「主がわたしを遣(つか)わされたのは、
とらわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるためである。」
イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。
会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
そこでイエスは、
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、
実現した」と話し始められた。
実現した」と話し始められた。
ルカによる福音書 4章 18〜21節
会堂に人々が礼拝のために集まったとき、
イエスは渡された聖書のなかから、
イザヤ書の一節を選んで読み上げられました。
そして、イエスは、その言葉がいま実現したと語ります。
「あなたがたが耳にしたとき、実現した」と。
わたしたち一人ひとりの具体的な願いは、
実現するかどうか、わからないものです。
しかし神様の救いは、イエスが言われたように、
わたしたちが耳にしたとき、実現します。
しっかりと聖書の御言葉を聴きましょう。
そこから、自分自身の願いを献げていきましょう。
本日の礼拝では、礼拝堂に暖房を入れました。
今秋、初めてのことです。
寒くなってきました。
夜は特に冷えるときがあります。
秋が深まり、私たちの日常も、冬の到来を少しずつ、
心に思い始めているかと思います。
今回のブログで用いた教会庭の花の写真は、
いずれも、10月撮影のものです。
いまは、もっと散っています。
過去になっていく、いま。
ちょっと昔の過去は、さらにまた昔のことになって。
ちょっと昔の過去は、さらにまた昔のことになって。
でも、変わらないことや、新しく始まることがあります。
そして「いつも新しくされる自分」もあります。
「あなたがたは、朽ちる種からではなく、
朽ちない種から、すなわち、
朽ちない種から、すなわち、
神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
こう言われているからです。
『人は皆、草のようで、
『人は皆、草のようで、
その華やかさはすべて、草の花のようだ。
草は枯れ、
草は枯れ、
花は散る。
しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。』」
ペトロの手紙1 1章22節