2018年1月17日(水)18:00〜19:30
於 日本キリスト教団 神戸教会
兵庫教区が主催して行っています。
今年の会場は、神戸教会でした。
大きな塔がある、神戸教会の荘厳な会堂。
(上下二枚は別の日の昼間の撮影)
(以下、当日夜の撮影)
歴史の重みを感じます。
記念礼拝の説教題は「悲しみを背負って」。
震災当時、関西学院大学神学部の学生だった方です。
そして鹿児島在住で、最近の熊本・大分地震も経験されました。
神戸教会の大きな礼拝堂。2階席から撮影。
参加者が礼拝堂一杯でした。196名。
今回、到着が遅れて、礼拝説教の途中から出席しました。
礼拝中の写真撮影は控えました。
上写真は、礼拝後の報告の時間。
礼拝が終了して、皆様が帰られます。
地下ホールには茶菓の用意がなされています。
礼拝堂でも、廊下でも、ホールでも、
たくさんの方々が互いに話しておられました。
震災から23年。
そして今日、1月17日。
あの日を、ここに来られた皆様は、
どう過ごされたのでしょう。
時間が経ち、皆さんが徐々に礼拝堂を退出していかれます。
礼拝堂の講壇付近。
素晴らしい音色のパイプオルガン。
礼拝堂の後部。見事な建築造形です。
人がいなくなった静かな礼拝堂。
地下ホールに茶菓の席。懇談が続きます。
ここで偶然、懐かしい方に出会って、挨拶しました。
震災以前に送別していただき、
それ以来お会いするのは四半世紀ぶり。
「お久しぶりです」と言うと、
「おうっ!」と一言、がっちり握手。
ごつごつした労働者の手。
震災のなかを生き抜いた、手。
懐かしく、握り返しました。
時間が経ち、ぼちぼち片付けに入ります。
玄関部から礼拝の看板が外されました。
夜の神戸教会を見ながら、帰途に。
「元町」駅から電車に乗る前に、
久しぶりにガード下の「丸玉食堂」に行き、
チャーシュー麺を食べました。
チャーシュー麺を食べました。
神戸三宮を離れて四半世紀。
わたしが愛媛へ転任した年度の1月に、
震災が起こりました。
あれから23年。
今日の礼拝に出席したのは、
様々な記憶を、
様々な記憶を、
自分の中でつなぎたかったからかもしれません。
2018年1月18日夜の洛陽教会。
前夜式の前に撮影。
2018年1月15日、府上征三牧師が逝去されました。
洛陽教会の前牧師で、阪神淡路大震災発生以降、
日本キリスト教団の救援活動の重要な役目を担われました。
それ以外にも、韓国の教会との交流、
在日大韓基督教会との交流、
在日大韓基督教会との交流、
障がいを持つ方々の作業所の関係、
そして、京都教区議長としての長年の様々なお働き。
様々な平和・人権活動。
仏教界など他宗教との交流。
枚挙にいとまがありません。
最後は、幼稚園長を最近まで務めておられました。
告別式の説教題は、
「あなたの居場所を作る人」。
「あなたの居場所を作る人」。
府上牧師はそのような方でした。
1月18日(木)18:30〜20:30 前夜式。
1月19日(金)13:00〜15:00 告別式。
司式はともに森下耕牧師(洛陽教会)。
心のこもった式辞をいただきました。
式辞の中で、府上牧師が聖書研究や説教で述べられた、
「あなたは、どこで、何をしているのか」
「あなたは、どこで、何をしているのか」
という言葉が紹介されました。
その言葉が、聖書の御言葉を通してこれからを生きる、
私たちへのメッセージとなりました。
イエスは、どこで、何をしているのか。
あなたは、どこで、何をしているのか。
聖書の箇所は、ヘブライ人への手紙8章1〜6節と、
「行ってあなたがたのために場所を用意したら、
戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
前夜式も、告別式も、
たくさんの参列者が洛陽教会を訪れて、
会堂を埋め尽くしました。
入れない方々には地下ホールに中継設備を置き、
屋外にもイスを置いて対応しておられました。
韓国の教会(韓国基督教長老會大田老會)からも、
代表者が弔問に来られて、
前夜式・告別式ともに、
通訳の方とともに弔辞に臨まれました。
通訳の方とともに弔辞に臨まれました。
礼拝後の報告のなかで、兵庫教区議長が、
府上牧師の逝去を悼み、報告しておられました。
「震災」──その記憶を担った方を、
また一人、天にお送りしました。
2018年1月19日の洛陽教会。
告別式に参列する前に撮影。
告別式が終わり、
参列者がすべて退出したあとの礼拝堂に、
参列者がすべて退出したあとの礼拝堂に、
窓から射し込む光。
前洛陽教会牧師、府上征三教師を追悼します。
「震災」の記憶を思い起こしつつ。
「京都」に生きる者として。