京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

7月5日(日)のこと

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              <きょうほく・きょうかい>

「虹の架かる教会」京北教会ブログ

2015.7.5

 「7月5()のこと

 
本日の記事は、

この下の、数枚の写真の後にありますので、

ずっと下方にスクロールしてご覧下さい。
 

 
 以下は、過去(2010)のブログを読むときに便利な方法
 (パソコンで見る場合のみです。スマートフォンでは表示されません)
 
 ブログの右の欄の「ここ2ヶ月のブログ」という文字を、
 クリックすると最近の約2ヶ月分のブログが出てきます。
 
 右欄の中にある、「教会の四季や日常の歩み」「説教の断片など」
 「クリスマスシーズン」「京都教区の諸教会などへの訪問記」、
 などの各項目の文字をクリックすると、過去のブログを、
 それらのテーマ別に分けて読むことができます。
 
 右欄の、項目の最上段の、緑の字の「すべて表示」を、
 クリックすると、今までの全てのブログを順番に読むことができます。
 
 上記の仕方で開いたときに、ブログ欄外の上のほうに、
 赤く小さい字で「リスト」とあります。この文字をクリックすると、
 記事の一覧表が出ます。
 
 右欄のカレンダーの、年と月の表示の左右の三角印をクリックすると、
 年月を移動させて検索することができます。カレンダーの中で赤文字の
 日付けがブログ作成の日で、これをクリックするとその日のブログが、
 表示されます。
 
 

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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会
 
京都市 左京区 下鴨 神殿町 17-3
 
京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約7
 
 
京北教会のホームページを、
 
ブログとは別に作っていますので、
 
よろしければ、どうぞご覧下さい!
 
 
ホームページのアドレス
 
 
 


 
 
 

 
 
 
 
本日のブログはここからです。
 
「7月5日()のこと
 








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アジサイをたくさん活けてくださいました。感謝。




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礼拝が終わったあと、

皆さんが帰るときに、持ち帰っていただきます。


どこかの場所で、また活けていただければ幸いです。








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 2015年 7月5日(日) 京北教会 聖日礼拝


 聖書 コリントの信徒への手紙1 6章 12〜20節
 
 説教 「直す道」

 讃美歌21   3「扉を開きて」

       532「安かれわが心よ」

       300「十字架のもとに」



 礼拝出席者数 36名



 礼拝後 ・軽食

     ・7月定例役員会



 とっても久しぶりに礼拝に来られた教会員と、

 そのご家族を迎えました。


 施設に入居されて、なかなか来ることが困難な方ですが、

 ご家族とともに来られ、本当に久しぶりの礼拝、

 みんなと一緒にできて良かったです。

 お元気そうな様子を、うれしく思います。


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 8月に別の施設に移られるとか。

 また、ちょいちょい訪問させていただきます。




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お昼は、夏野菜カレーでした。


ナス、カボチャがたくさん入っています。

とても美味しくいただきました。

白菜の浅漬けもつけて。


前日からご用意いただいた皆様、

ありがとうございました。


差し入れの、徳島土産の、

ういろうにも感謝です。



そして、食事の配膳や皿洗いも、

様々な方がご協力してくださることに感謝です。










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       週報掲載 <宣教のことば>




 「『わたしにはすべてのことが許されている。』

  しかし、すべてのことが益になるわけではない。

  『わたしにはすべてのことが許されている。』
  
  しかし、わたしは何事にも支配されはしない。」


            コリントの信徒への手紙1 6章 12節



  使徒パウロはこの箇所で、

  「わたしには、すべてのことが許されている」という、

  コリントの町の教会の人たちが、

  好んで使っていたであろうセリフを引用して、

  それに「しかし」と続けて、

  自分の思いを表しています。



  神様を信じ、主イエス・キリストを信じることで、

  あらゆる罪から解放されたと考えた人たちは、

  「すべてのことが許されている」と、

  文字通りに考えて、自由に生きようとしました。



  しかし、その生活は、

  自己中心的で他者を傷つけるものでした。



  信仰って、素晴らしいものかもしれないけれど、

  どこか都合のいいところもあって、

  結局は、自分を一番に置く考え方なのでしょうか。



  使徒パウロが闘った対象とは、

  まさにそんな「信仰」でした。



  隣人を愛さないままに、

  個人の自由な解放感だけを神に求める、

  そんな「信仰」との決別を、

  教会に迫る闘いです。















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先週、教会員の一人が天に召されました。

長らく奈良県に住まれ、

近年は礼拝出席が難しい体調でおられました。



月曜日に、奈良県のご自宅近くの会場で、

牧師の司式で、葬儀を行いました。


ずっと昔から、京北教会につながって、

礼拝の奏楽者をつとめてくださってきた方です。


かつて訪問した際に、

自室のキーボードで讃美歌を弾いてくださり、

何人かで何曲も歌ったことを思い出しました。




ご遺族に主の慰めを祈ります。