「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2014.6.15
「6月15日(日)のこと」
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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会
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「6月15日(日)のこと」
よく晴れた朝でした。
礼拝に来られる方々を、
アジサイが迎えてくれます。
どうぞいらっしゃいませ。
2014年6月15日(日) 京北教会 聖日礼拝
聖書 使徒言行録 2章37~47節
説教「救われる力」
讃美歌21 3「扉を開きて」
475「あめなるよろこび」
451「くすしきみめぐみ」
出席者数 29名
礼拝後 ・いつものお茶
今日は特に予定はなく、お茶を飲んで終わりました。
週報掲載 <宣教のことば>
「ペトロは、(中略)
『邪悪なこの時代から救われなさい』と勧めていた。」
使徒言行録 2章40節
聖書の言葉は、書かれた時代が古くて、
読んでもピンとこないことも多いのですが、
ときにまるで今の私たちに向けて、
記されたのかとも思うことがあります。
「邪悪なこの時代から救われなさい」──。
邪悪なんていう言葉は、
日常生活ではまず使わない言葉ですが、
心がねじ曲がっていて悪い、という意味です。
単に現象としての悪ではなく、
その奥にある心が、
ねじ曲がっている「この時代」があり、
そこから救われることを強く勧めて語ったのが、
使徒ペトロによる説教でした。
時代という名で、今のわたしたちにも、
ねじ曲がった心が押し寄せてきます。
私たちはそれに対抗できず、
飲み込まれてしまいます。
神の聖霊はそこから人を救います。
神の心はねじ曲がってはいないからです。
神の聖霊とは、神のまっすぐな心そのものです。
──以下、午後からの京北教会牧師の働き──
この日の礼拝後、近くの京都上賀茂教会での、
牧師就任式後の茶話会に短時間出席しました。
就任式そのものは、午前の礼拝の中でされたので、
そのあとの茶話会に午後1時頃に行きました。
上の写真は秋のバザーのときのもの。
元はアメリカの教会の宣教師住居。
ここで礼拝をしています。
20人ぐらいの皆様で昼食と茶話会をしておられました。
この日の就任式の司式をされた教区議長と、
就任された牧師で記念写真を撮らせていただきました。
就任おめでとうございます。
京北教会からもお祝いをお渡ししました。
この際に、教区議長から、
入院中の、京都府北部の教会の牧師の見舞いに、
行かないかと声をかけられましたので、
考えた末に同行させていただくことにしました。
京都上賀茂教会を出て、
用事で京都教会に行ってすぐ出て、
教区議長のおられる洛南教会へ行きました。
洛南教会は京都駅の南に徒歩10分程度でしょうか。
ここに3時集合で3人の牧師が集まりました。
Y先生の運転で宮津へと出発しました。
途中、亀岡市で一人同乗。
上の写真の丹波新生教会の牧師です。
さらに、福知山市で、福知山教会の牧師が同乗。
福知山教会に少しだけ立ち寄りました。
上はその礼拝堂。
次週に、牧師就任式が行われます。
計5人で宮津へ向かい、
夕方になり暗くなってきたころ、
N牧師が入院している病院に到着しました。
いろいろと様子と病状をお聞きしたあと、
フィリピ人への手紙2:25~30を読んで、
教区議長にお祈りしていただきました。
彼は実に、ひん死の病気にかかったが、神は彼をあわれんでくださった。
彼ばかりではなく、わたしをもあわれんでくださったので、
わたしは悲しみに悲しみを重ねないですんだのである。
そこで、大急ぎで彼を送り返す。
これで、あなたがたは彼と再び会って喜び、
わたしもまた、心配を和らげることができよう。
こういうわけだから、大いに喜んで、主にあって彼を迎えてほしい。
また、こうした人々は尊重せねばならない。
彼は、わたしに対してあなたがたが奉仕のできなかった分を補おうとして、キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになったのである。
ピリピ人への手紙 2章27~30節
それから10日ほどして無事退院されました。
感謝。
お大事に。
見舞いの後、
みんなで夕食をとって帰途に就きました。
ある牧師に教えていただいた店で、
魚定食をいただきました。
とても美味しかったです。
感謝。
この日、京北教会に帰り着いたのは、
夜11時半でした。
こんな1日もあるのだな──。
天の神様と、
お世話いただいた皆様に感謝です。