京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

7月29日(日)のこと(+大久保伊都子さん作成のリースの写真)

イメージ 1

 日曜の朝、奏楽者の練習風景。

 ありがとうございます。

 今日は初代リードオルガンにて。



 2012年7月29日(日) 京北教会 聖日礼拝

 聖書 ルカによる福音書 9章 28~36節
 説教 「祈るための光」
 讃美歌21 18「心を高く上げよう」
      532「安かれ、わが心よ」
      563「ここに私はいます」

 出席 27名
 
 礼拝後 ・こころで歌おう~新旧讃美歌一曲(自由参加)
      讃美歌21─509「光の子になるため」
     ・いつものお茶

 お茶菓子として、今日は特別に、
 福岡の実家に帰られたご夫妻から、
 お母様の手作りケーキをいただきました。

イメージ 2

 写真の一切れをいただいたのではなく、
 みんなの人数分を越えるほどにいただいたものを、切り分けました。
 作ってくださって、ありがとうございました!
 美味しかったです。

 


  週報掲載「宣教のことば」欄より
  
 福音書にはイエスの生涯が記されています。
 それは、いわゆる伝記としての記録ではなく、
「イエスとは、あなた(読み手)にとって、誰であるか」
 …ということを伝えるための物語です。

 たとえば、イエスはご自分の歩む道の先に、
 十字架の死と復活があると、弟子たちに告げられた後に、
 三人の弟子を伴って山に登り、そこでは夢か幻のようなイメージで、
 神様の栄光が表されたとの物語があります。

 このような物語はなんと言えばいいのでしょうか、
 神秘的というか宗教的というか、とにかく不思議な話です。
 しかし、一番ぴったりする言い方は、
 これは「聖書的」な物語ということです。
 聖書だからゆるされる、飛び抜けたイメージとでも言いましょうか。


 人間誰もが、雑然とした日常を生きています。
 そこからひととき退いて、
 自分の歩む道の先を考えたいときもあるでしょう。


 そのとき、自分の近くにある事柄が、
 ふと飛び抜けて光り輝いたなら、
 それが日常を生きる力になるはずです。


 「聖書的」とはそんな恵みを表す心の豊かさの意味です。






 
イメージ 14

 7月27日(金)に、教会員のI・Oさんのお家を訪問しました。
 手作りのリースを壁に掛けたので写真をとってほしいとのこと。
 さっそくおうかがいして、撮らせていただきました。
 まず全部を壁に掛けて全体を撮り、
 その後に一つずつを、掛け替えながら撮りました。
 
 I・Oさんは、ご自分の足腰のことと、ご家族の体調のことで、
 礼拝に出席するのが難しくなり、ここ数ヶ月来られていませんが、
 連絡をよくくださります。家ではご夫妻ともにお元気にしておられ、
 外出はできかねるが、元気にしています、とのこと。
 
 リースの写真を、ブログに載せていただいていいですよ、
 とのことでしたので載せます。
 そして、ここに、ただ載せるだけではなく──
 一つずつ大切に造られたリースであることを思い、
 聖書の言葉を、一つ一つのリースに合わせて選び、
 写真の下に添えさせていただきました。
 
 
 





イメージ 3
「あなたがたは、
わたしたちの、心の中にいて、
 私たちと生死を共にしているのです。
 私は、あなたがたに、
厚い信頼を寄せており、
あなたがたについて、大いに誇っています。
 私は慰めに満たされており、
どんな苦難のうちにあっても、
喜びに満たされています。」
 
コリントの信徒への手紙2 7章3~4節
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4
  
 神は、キリスト・イエスにおいて、
 わたしたちにお示しになった慈しみにより、
 その限りなく豊かな恵みを、
 来たるべき世に現そうとされたのです。
 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。
 このことは、自らの力によるのではなく、
 神の賜物です。
 行いによるのではありません。
 それは、誰も誇ることがないためです。
 
        エフェソの信徒への手紙 2章7~9節
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 私の愛する兄弟たち、
 よくわきまえていなさい。
 誰でも、聞くのに早く、話すのに遅く、
 また怒るのに遅いようにしなさい。
 人の怒りは神の義を実現しないからです。
 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、
 心に植え付けられた御言葉(みことば)を受け入れなさい。
 この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
 
            ヤコブの手紙 1章19~21節
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6
 
 「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
  働きもせず、つむぎもしない。
  しかし、言っておく。栄華を極めたソロモン[王]でさえ、
  この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
  今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
  神はこのように装ってくださる。
  まして、あなたがたには、なおさらのことではないか。
  信仰の薄い者たちよ。」
 
             マタイによる福音書 6章 28~30節
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7
 「慈しみをいただいて、私は喜びおどります。
  あなたは、私の苦しみをご覧になり、
私の、魂の悩みを知ってくださいました。
 私を、敵の手に渡すことなく、
 私の足を広いところに立たせてくださいました。」
 
詩編31編 8~9節
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 8
「水は私の頭を越え、
 もう最後だと、私は思った。
深い穴の底から、
主よ、
私は御名(みな)を呼びます。
耳を閉ざさず、この声を聴き、
私を助け、救い出してください。
呼び求める私に近づき、
恐れるなと言ってください。」
 
        哀歌 3章 54~57節
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9
あなたたちの神、
主の御前で家族と共に食べ、
あなたたちの手の働きを、
すべて喜び祝いなさい。
あなたの神、
主は、
あなたを祝福されているからである。」
 
           申命記 12章 7節
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 10
「この世で富んでいる人たちに命じなさい。
高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、
私たちにすべてのものを豊かに与えて、
楽しませてくださる神に望みを置くように。」
 
         テモテへの手紙1 6章 17節
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 11
神は、おくびょうの霊ではなく、
力と愛と思慮分別の霊を、
 私たちにくださったのです。
だから、私たちの主を証しすることも、
私が主の囚人であること
[迫害により投獄されたこと]も恥じてはなりません。
むしろ、神の力に支えられて、
 福音のために私と共に苦しみを忍んでください。
 
        テモテへの手紙2 1章 7~8節
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 12
愛する者よ、
あなたの魂が恵まれているように、
あなたがすべての面で恵まれ、
健康であるようにと祈っています。
兄弟たちが来ては、
あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、
私は非常に喜んでいます。
実際、あなたは、真理に歩んでいるのです。
自分の子どもたちが真理に歩んでいると聞くほど、
うれしいことはありません。
 
             ヨハネの手紙3  2~4節
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 15
「神は言われた。
 
『地は、草を芽生えさせよ。 
 種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、
 地に芽生えさせよ。』
 
 そのようになった。地は、草を芽生えさせ、
 それぞれの種を持つ実をつける、木を芽生えさせた。
 
 神はこれを見て、良しとされた。」
 
                    創世記 1章 11節
 
 
 
 
 
 リースは全部で10個。
 時間をかけて造られました。
 足腰の不自由なご生活のなか、
 外出もままならないなかで、
 お働きを、ありがとうございました。
 
 
 
 

 
 
 
 今日の礼拝後のお茶のあとの風景──
 
イメージ 13
 
 じっと見つめて。
 見つめ合って。