![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033328.jpg)
京北教会の礼拝堂。 日曜日の朝の光の中。
黄色の花が光に映える。
手前は講壇の脇に置いている、
シュロチク(葉の形がしゅろに似た木)の葉。
しゅろの葉は、
イエス・キリストの受難を表す象徴ともされる。
教会の暦は「受難節」に入っている。
4月24日(日)のイースター(復活日)の前日まで、
その期間が続く。
受難節の最後の一週間を「受難週」と呼ぶ。
今年の受難週には、京都南部地区の集会として、
「東日本大震災を心に刻み、共に祈るつどい」が、
京北教会を会場に開催される。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033259.jpg)
チラシの案内文の最後にこう記している。
「今後の支援と共生のための力を、
皆でわかちあうことを願っています。
この受難週のつどいを通して、
イースターへと共に歩みましょう!」
主に導かれて、そうであることを心から願う。
被災地の惨状の報告を聞いたときに、
何の言葉も口に出すことができなかったとしても。
─冬期休暇に、いくつかの教会を訪ねて─
直方教会(福岡県)
但馬日高伝道所(兵庫県) …の三つの教会を訪れました。
2月中旬に、京北教会の牧師が、
教会から一週間の冬期休暇をいただいて、
旅に出た。西日本に車で気ままにドライブに向かった。
目的地は定めない。
車で走りながら、この機会に、
山口県と福岡県に住んでおられる、
京北教会員の方たちを訪問しようと決めた。
どちらの方の所にも、
事前にご連絡をとっておくことをせずに
(旅の予定がなかなか定まらなかったため)、
その日に、ごく近くまで行ってから、お電話をしたところ、
急であるにもかかわらず時間をさいてくださり、
こころよくお会いしてくださった。
そして、たくさんのお話をすることができて、うれしかった。
突然の来客を暖かく迎えてくださった、
防府と福岡の、京北教会員のみなさま。
本当にありがとうございました。
とても、うれしかったです。
お二人の京北教会員にお会いしたあと、
関西へ戻ろうとしたが、
大雪が降って、高速道路の途中で足止めになった。
そこで高速から降りたところにある町に一泊し、
その町の、旧知の牧師のおられる教会で、
日曜日の礼拝を守った。
次の日には関西へ戻り、
今度は教区研修会でお世話になった牧師の、
おられる教会をおうかがいさせていただいた。
その帰りには道が凍って、
長時間の超渋滞を経て、
ようやく深夜に京北教会に帰り着いた。
![イメージ 12](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033232.jpg)
但馬から京都市内に帰る途中の深夜の光景。
雪の降る中での超渋滞。
…というわけで、
この旅の中で、三つの教会を訪問させていただいた。
以下に紹介します。
(今回カメラを忘れたので、
写真は全て携帯電話のカメラで撮影。
画質が低いことをご容赦ください)
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033209.jpg)
ひとつめ。
今回の教会員訪問に際して、
この教会の牧師が力になってくださった。
この教会の牧師とは、かつて他の教区にいたときに、
震災復興支援や諸集会において、
様々な活動を共にさせていただいた。
そして今、この地に住む京北教会員とのつながりにおいて、
力になってくださっている。
感謝にたえない。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033254.jpg)
ふたつめ。
日本キリスト教団 直方(のおがた)教会。福岡県北九州。
この教会の牧師とは、18年前に兵庫教区の沖縄青年交流の旅で
ご一緒させていただいた。
![イメージ 15](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033249.jpg)
よく見ると、会堂の正面の屋根部分に、
ぶどうの実と葉のマークの装飾があるのが、わかりますか?
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033306.jpg)
この写真は、直方教会の礼拝堂玄関の横に掲げられた教会看板。
風雪に耐えてここにあり続ける教会の意志を表すようにして、
ずっと掲げられている。(新調も考慮中とのこと)
![イメージ 10](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033221.jpg)
直方教会の礼拝堂。左前方の壁には、
大きな文字で書かれた「使徒信条」が掲げられている。
毎週の礼拝で、これを見ながらみんなで朗読する。
![イメージ 11](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033226.jpg)
暖かな雰囲気の礼拝堂。
![イメージ 14](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033244.jpg)
礼拝が終わると、礼拝堂の隅にスペースをつくって、
みんなでお茶や果物をいただきました。
気軽に声をかけてくださり、
教会の皆様とお話できたことを感謝します。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033312.jpg)
みっつめ。
下は礼拝堂。
十字架の形が珍しい。
地に立てられている様子だろうか。
![イメージ 13](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033238.jpg)
この伝道所の牧師とは、
12年前に神学生として夏期伝道実習を、
四国でしておられたときに面識が出来た。
そして、今年になって、
教区の研修会にお招きして、
貴重なお話をしていただいた。感謝。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033316.jpg)
訪問させていただいた、
三つの教会・伝道所の、それぞれの教師・信徒のみなさま。
それぞれの会堂を、
撮影させていただいたことに心から感謝いたします。
どこに行ったときも、本当にうれしかったです。
そこに皆様がいてくれたことが。
実に愉しい、2月の冬期休暇でした。
初めてお会いできた、お二人の京北教会員の方々に感謝です。
また訪問を受けてくださった教会、牧師の皆様に感謝です。
様々なつながりを作る旅となりました。
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033321.jpg)
京北教会の礼拝堂の中心に位置して、
聖餐卓(せいさん・たく)が置かれている。
これは、1924年の礼拝堂建築時に、寄贈されたもの。
京北教会では年5回行っている聖餐式のためにある。
聖餐卓とは、イエス・キリストを表す、
パンとブドウ酒(果汁)を、
聖餐式のために置くテーブルのこと。
パンとブドウ果汁をそれぞれ小分けして、この台の上に置き、
教会員またはすでに洗礼を受けている方にお渡しして、
一人ずつ、一切れのパンと、一つの小さな杯を持って、
いただく。(パンもブドウ果汁も、ほんの少しの量、一口程度)
それをイエスを表す「聖餐」による、
「聖餐式」という。
その意味は、何だろう。
─イエスが、いま、私と、私たちと、
共にいてくださいますように─
そう願って、祈って、いただく式が「聖餐式」である。
そして、この聖餐卓の正面には、
「我を憶よ」と刻まれている。
─「われをおぼえよ」─
これは、聖書では「私の記念として」
という言葉にあたると思われる。
イエスが最後の晩餐のときに行った、
パンとブドウ酒のわかちあい。
祈って、生きるための糧をいただくこと。
神様を心に刻むために、食べて飲むこと。
それらを、イエスを記念して行う。
─「われをおぼえよ」─
イエスを忘れないように…、
イエスを忘れてしまわないように…。
そして、私たちが、イエスを通じて、
お互いを忘れずに覚えて生きるために…。
だから、忘れない。
野の草のように、野の花のように、
神に守られてそれぞれの場に生きる、
教会の仲間たちのことを。
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kyohhokukyohhokukyohhoku/20190831/20190831033215.jpg)
「今日は生えていて、
明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。」
(マタイによる福音書 6章 30節)
牧師住居の庭に咲いた花を見ながら、
いろいろなことを「憶え」る。
2月の旅のこと、震災のこと、教会のこと、自分のこと。
イエス・キリストのこと…。