教会庭にて。
礼拝の前、少しずつ出席者が来られ始めたころ。
本日は、過去の逝去者の遺影を飾って礼拝します。
2020年10月18日(日)京北教会 永眠者記念礼拝説教
「天の命を記念する」牧師 今井牧夫
聖 書 ヨハネによる福音書 15章 12〜17節(新共同訳)
私があなたがたを愛したように、
互いに愛し合いなさい。
これがわたしのおきてである。
友のために自分の命を捨てること、
これ以上に大きな愛はない。
わたしの命じることを行うならば、
あなたがたはわたしの友である。
もはや、
わたしはあなたがたをしもべとは呼ばない。
しもべは主人が何をしているか知らないからである。
私はあなたがたを友と呼ぶ。
父から聞いたことを全てあなたがたに知らせたからである。
あなた方が私を選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだ。
あなたがたが出かけて行って実を結び、
その実が残るようにと、
また、
私の名によって願うものは何でも与えられるようにと、
わたしがあなたがたを任命したのである。
互いに愛し合いなさい。
これがわたしの命令である。
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(以下、礼拝説教)
本日は永眠者記念礼拝です。先に天に召された京北教会員やその関係者の方々を記念して、神様に感謝を捧げる礼拝です。今年も例年同様に、故人の方々の写真を礼拝堂の前に飾らせていただきました。ただ、今回は新型コロナウイルス問題のために、例年のような午後の墓前礼拝は行いませんし、礼拝後の軽食も用意しておりませんことを、どうぞご容赦ください。
本日の説教題は「天の命を記念する」といたしました。天の命、それは何のことでしょうか。それは、この地上を生きている命が神様のもとに召された後には、その命が天に移されて神様のみもとにある、その命を地上の私たちが忘れずに覚えて記念するということです。命は、地上の死によって滅んで終わりを迎えるのではなく、神様のみもとに移されるという考え方です。天国にあって地上にないもの、それは永遠ということです。地上においては、永遠とは憧れる存在であっても現実のことではありません。しかし天においては、永遠ということが神様によって保証されています。その永遠のなかに神様と共におられる、すでに天に召された永眠者の方々を本日は記念いたします。
本日の聖書箇所はヨハネによる福音書の後半にあります、イエス様がとらえられて十字架につけられる前日に、弟子たちに向かってお話された最後の説教の一部分です。ここには、あなたがを友と呼ぶ、という言葉があります。死を目前にした時期にイエス様は、弟子たちとの別れのときが今来ていることを知りつつ、弟子たちを「友」と呼ばれました。それは、弟子たちがもし、イエス様のしもべ、家来、部下、ということであれば、イエス様と弟子たちの間には一線が引かれていますが、イエス様は、ご自分のことをすべて弟子たちに伝えられたので、もはや弟子たちとの間に一線を引かない、そういう意味で、イエス様は弟子たちを「友」と呼ばれました。
このとき、イエス様はご自分が十字架の上で磔にされ、さらしものにされて苦しみの中で死なれることを予期しておられました。それは、ご自分の命、生きた存在というものが弟子たちの前から消え失せるこを予期しておられたということです。もちろん、福音書においては、主イエス・キリストは十字架の死の三日後によみがえられた、復活なされた、ということが記されているのですが、だからイエスの十字架の死は大したとがなかったというのではありません。そうではなくて、イエス様の死ということは、イエス様の生きた存在、命というものが、弟子たちの前から消え失せる、形あるものが何もかもなくなる、ということを示しています。ここにははっきりとした別れがあります。それは、単にイエス様と弟子たちの間における別れ、ということだけではなく、イエス様と弟子たちが、それまで一緒に歩んできた時間、一緒に喜びや悲しみを共にして歩んできた時間、というものに、別れを告げるということであります。
本日の週報の個人消息欄に記しましたが、京北教会員の大久保伊都子さんが先週、ご逝去なされました。それまで比較的健やかにしておられたのが、急速に体調が衰えて行かれたとのことでした。10月15日(木)にご自宅で家族葬という形で御遺族のみの参列で私が司式して葬儀式を行いました。そのときの葬儀の式辞の一部分を以下に読ませていただきます。
私が京北教会に牧師として招聘をいただいて就任したのが2008年4月でしたので、それ以来、13年間、大久保伊都子さんに支えていただいて参りました。就任した最初の年、教会の女性会の集まりで大久保さんのこのお家を開放していただいて、10数人の方々とリビングに座って手作りのお菓子とお茶やジュースをいただいたことを思い起こします。それ以降、たびたびこのお家に招いていただいたことを思い起こします。ご主人の大久保武男様とともに、いつも微笑んで温かいお声をかけていただきました。
武男様が2013年にご逝去なされた後、お体の調子のこともあり、バプテスト病院に併設の施設に入所され、その後には上賀茂のグループホームに入所され、そこで天命を全うされました。どこにおられるときでも、いつお温厚で微笑みを絶やさず、またしっかりしたことを仰る方でした。そして、このお家におられたときも、施設に入られたあとも、ご自分が生活される部屋に、様々な手作りのリースや、武男様が描かれた絵画など、美しいもの、楽しいもの、見る人の心を温かくするものを持ってきて、どこに行かれてもそこを工夫によって、楽しい生活の場にしておられたことを思い起こします。
長年造ってこられたリース飾りなどの手芸品作りを整理するとのことで、写真をとってほしいと願われて、様々なクリスマスリースの撮影をさせていただいたことがあり、光栄でした。その写真をハガキにしたいとのことで、私が聖書の言葉を選ばせていただいて、聖句と写真を組み合わせたハガキを京北教会員の印刷によって造られました。そのハガキの一枚を今も京北教会の事務室に飾っています。
以前に京北教会で松居直美さんに毎年来ていただき、アドベントオルガンコンサートを教会で開催しておりましたとき、東日本大震災の被災地支援活動のためにと、いくつものクリスマスリースを作成され、それをコンサートのときに販売したこともありました。そのリースを教会の壁に飾ったときのことを思い起こします。そのように、伊都子さんは、いつも他者のために何かの工夫をして、そのことによって私たちのために仕事を作ってくださった方でした。
神様への信仰とは何か、ということは、一言で言い表すことができないことでありますが、大久保伊都子さんの場合、信仰とは、常に前向きに何かを作り出していく、そういうことであったように思います。
私が13年前に赴任した翌年に、大久保伊都子さんに招かれてお家に来たことがあります。そのころ同志社大学神学部の牧師志望の学生が1年間の実習に来ており、二人で招かれました。武男さんとご夫妻で招いていただき、伊都子さんからお話をうかがったのは、これからの京北教会をどうするのか、ということでした。教会に新しい人が増えないので、伊都子さんの世代と、そのひとつ下の世代の人たちがいなくなったら、もうこの教会にだれもいなくなってしまうのよ、どうするの? と尋ねられて、私はうまく答えられなかった覚えがあります。困ったなあ、という感じがしました。今から思えば、牧師志望の神学生と二人で招くことで、これからの教会、ということを伊都子さんは私たちに考えさせたかったのだと思います。
その後、数年が経ち、いつしか教会に新来会者が増え、礼拝出席が増えていきました。転入される方、洗礼を受けられる方、新しく礼拝に集うようになられた方が増えました。そのころ、大久保伊都子さんはお体の調子のことがあり、なかなか礼拝に出席できなくなっていましたが、教会から、みんなで寄せ書きをして送る、誕生日カードやクリスマス、イースターなど四季折々のカードを見て、こう言われました。「カードを見ると寄せ書きのところに、私が知らない人の名前が一杯ある、それがうれしいのよ。」そのように仰っていただいたとき、先に申し上げた、これからの教会どうするの? という問いかけに少しでも応えられたのでは、と感じてとてもうれしかったことを思い出します。
以上、大久保伊都子さんの葬儀式の式辞の一部を読ませていただきました。この式辞を作りながら私は、大久保伊都子さんのことを思い起こしながら、そのご主人の大久保武男さんのことも思い起こし、そして、私が京北教会に赴任してからの13年間のことを思い出していました。その時間が長かったのか、短かったのか、わかりませんが、そこには確かに一つの時間があり、一つの時代があり、そしてその時代の中を生きる人間の群像があったということです。
本日、永眠者記念礼拝において、私たちが思い起こすことは、人間の人生とは、ただ一人だけのなかで完結することではなくて、常に複数の人間の生涯が互いに影響しあいながら存在している、ということです。複数の人間がともに同じ時代を生きている、その時代の中に人間が群像を作って生きています。その群像、人間の群れということですが、その群像は、そうした群れを作ろうと意識して作ってきたのではなく、様々な人間の多様な思いが、いつのまにか重なって、できたきたものだと思います。人間の群像、それは一つは家族ということです。そして、また教会ということです。そうした家族や教会だけではありません。仕事や地域の関係や、趣味や遊びやボランティア、奉仕活動など、様々な形で人間は群像を形成します。それを作ろうと思って作るのではなく、様々な導きのなかで結果的にできてくるのが人間の群像です。
本日の聖書箇所においては、その群像は、主イエス・キリストと弟子たちという形で描かれています。この群像は、湖で魚を取っていた漁師たちを、湖の岸辺でイエス様が出会って「わたしに着いて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われたところから始まります。そしてイエス様と共に神の国の福音を各地に伝える旅を続け、ついに都エルサレムに到着します。そしてイエス様は当時の宗教的な権力者の人々から憎まれ、偽りの罪でとらえられ、ローマ帝国への反逆者として十字架につけられ命を落とされます。
その前日、イエス様は弟子たちに、「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」と言われました。それは、死を前にしたイエス様が、ご自分と弟子たちとの間に一線を引くことをしないという宣言であります。死を前にしたときに、それまでご自分と弟子たちを分けていた一線を引くことをやめて、同じ立場になると言われます。これは単にご自分と弟子たちが人間として平等だと言われているのではありません。そうではなくて、本日の箇所でイエス様が言われている言葉、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」という、この言葉がもとになっています。
つまり、イエス様がこれから十字架にかけられて死なれるのは、あなたたち弟子たちを、ご自分の友として、その自分の友のためにご自分の命を捨てる、そういうことだと言われています。
人間の死ということの意味について、その考え方は無数にあります。どれかひとつだけが正しいというものではないでしょうから、私たちは誰もが、自分にとっての死の意味ということを探し続けて生きることができます。本日の聖書箇所から学ぶことは、イエス様にとって、ご自分の死とは、友のために命を捨てるということでありました。そしてイエス様は、共に歩んでくれた弟子たちを、しもべではなく「友」と呼ぶことにおいて、ご自分と弟子たちとの間にあった違いの一線を取り払われました。死を前にしたときに、人間と人間の間を阻んでいる一線を取り除くことができるようになるのです。なぜなら、死を前にしたときに人間は、神様の前で、本当に平等になるからです。
死を前にしたときに、人間にとって、それまで自分が生きてきた世界、時代の意味が変わります。それは別れを告げる対象になります。そして、それまで自分がその中で過ごしてきた様々な人間群像の意味もまた変わります。家族、友人、教会、仕事仲間、遊び仲間、などなど、様々な人間群像、そのなかでは今まで互いに一線を引いて過ごしてきたけれども、死を前にしたときには、人間は、互いを隔てる一線を取り払うことができるのです。人間は死を前にしたとき、神様の前で平等になるからです。その意味で、主イエス様は、弟子たちに向かって、「わたしは、あなたたちを友と呼ぶ」と言われました。
そうして、人間は死を前にしたときに、地上の生活に別れを告げて、神の国に入る一歩を踏み出します。それは、この地上の世界を捨てて天国に行くということではなく、この地上の世界での自分の役割をすべて果たし終えて、神様によって天に移される、ということです。
本日、私たちは、先に天に召された先輩方を記念しています。それは、天の命を記念する、ということです。ここにいる私たちは、まだ天の命へと移されてはいません。私たちはまだこの世界でやることが残っています。そのことの一つは、先輩方の天の命を記念するということです。そのことを通じて、私たちは神様の恵みがいかに大きく、いかに素晴らしいかを、この地上において証しすることができます。そのことが教会にとって、また皆様お一人おひとりの生涯にとって、とても大切な使命であります。
お祈りいたします。
神様、この京北教会につながり、その生涯を生きた教会員、また関係者の方々お一人おひとりの天の命を記念し、神様に感謝を献げます。残された私たちがこの社会の中にあって、神様から与えられる使命を果たすことができますように導いてください。新型コロナウイルス問題に苦しむこの世界を、先に命を献げた皆様が天から見守ってくださっていることを覚え、この世界のなかで誰もがお互いの命を大切にして、共に生きることができますように、イエス様が導いてください。この祈りを、主イエス・キリストのお名前を通して、神様の御前にお献げいたします。
アーメン。
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「人間の居場所と光」2020年10月25日(日)京北教会 礼拝説教 今井牧夫
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本日の聖書 マルコによる福音書5章1〜20節(新共同訳)
一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。
この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、
鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。
これまでにもたびたび足かせやくさりでしばられたが、
くさりは引きちぎり足かせは砕いてしまい、
だれも彼をしばっておくことはできなかったのである。
彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。
イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。
「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」
イエスが、「けがれた霊、この人から出ていけ」と言われたからである。
そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」
と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。
ところで、そのあたりの山で豚の大群がえさをあさっていた。
けがれた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。
イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。
すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。
豚飼いたちは逃げだし、町や村にこのことを知らせた。
人々は何が起こったのかと見に来た。彼らはイエスのところに来ると、
レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。
成り行きを見守っていた人たちは、
悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。
そこで、人々はイエスにその地方から出ていってもらいたいと言いだした。
イエスが舟に乗られると、悪霊にとりつかれていた人が、いっしょに行きたいと願った。
イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、
主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」
その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく
デカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。
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(以下、礼拝説教)
7月からマルコによる福音書を続けて読んでいます。本日はその5章です。ここには、今までの福音書の話の流れと少し違う雰囲気の物語が記されています。何が今までと違うかというと、まず物語が他の話よりも少し長いです。新共同訳聖書でだいたい1ページ近くの分量です。そして、ここには豚という生き物が家畜として飼われている形で出て来ます。聖書を記したユダヤ人たちは豚を汚れた動物と考えていましたから、これはユダヤの地方の話ではなく、ユダヤから離れた異邦人の世界、ガリラヤ湖という湖を舟で渡った向こう岸の外国人の世界の話として記されています。
それだけではありません。この話に登場する悪霊に取り憑かれた一人の人は、墓場に住んでいました。そして、暴れ回るためにつなごうとした鎖も引きちぎるほどだった、つまり異様で凶暴な人間として記されています。このように異様な恐ろしい雰囲気を漂わせた物語は、福音書には他に見当たりません。以上のような、この話の特徴を見ていきますと、これは、福音書の他の物語とは違った性質の話であることがわかります。
日本でも世界各地でも、その地域独特の民話とか伝説というものがあります。地域社会の中で語り継がれる昔話というものでもあります。その中には、大変奇妙な、または恐ろしい話があり、その奇妙さや恐ろしさがあるがゆえに人々の印象に強く残って語り継がれる話というものがあります。本日の聖書箇所の物語も、地域でのそうした伝説・民話として一つのまとまった形で伝承されてきた話の一つと思われます。そうした伝説と、主イエス・キリストへの信仰というものが何らかの形で出会って、聖書の物語の一部となるように編集されたと推測できます。
このような形での、地域で語り継がれてきた独特の少し不思議な話、すなわち、墓場に住んでいる凶暴で危険な人間がおり、その人間に取り憑いているたくさんの悪霊があり、その悪霊が豚に乗り移って海に飛び込み、おぼれ死んでしまう、そして人間が正気に戻る、という何だかおどろおどろしい、奇妙な物語を、現代日本社会に生きる私たちは、どのように受けとめたら良いのでしょうか。この話を、そのままに読んでも、それは少し恐ろしい雰囲気を持った昔話としてしか読めないように思う人もおられるでしょう。そこで、この話の中から神様から私たちへのメッセージを聴き取るために、この箇所の内容をもう少し掘り下げて考えてみます。
この話に出てくる悪霊の名前はレギオンと記されています。その理由は、この悪霊は大勢であるからといいます。レギオンというのは「軍団」という意味です。これは、当時のパレスチナ世界を支配していたローマ帝国の軍人の部隊を意味する言葉です。どれぐらい大勢かと言いますと、この話の後半で悪霊が豚に乗り移って、その豚が海でおぼれ死んだときに2千頭だったといいますから、二千ほどの数の悪霊がいて、その総称がレギオンだったと考えることができます。この悪霊の名前レギオンというのは、単なる名前ではなくてローマ帝国の軍隊のような強烈な強い力、人々がそれに打ち勝つことができずに屈服させられ、従わせられている軍隊と同じような力を持って、この地域でその力をふるっていた、そういう力というものを現している言葉だと考えることができます。
すると、ここで1人の人間に取り憑いていたのは、そのようなローマ帝国の軍人2000名ほどの巨大な力を持った大勢の悪霊だったということになります。それほどの力が1人の人に取り憑いたとき、その人は凶暴になり、墓場に住み着き、誰もその人をつなぎとめることができない、鎖すらひきちがってしまうほどの、狂った力を発揮していたということがいえます。その力は、その当人の心と関係無く、その人を凶暴で危険な存在にしていたのです。
こうして、このレギオンすなわち軍団、という名前を手がかりに想像すると、これはそのころローマ帝国に支配されていた地域の人たちが、ローマ帝国の支配のもとで、抑圧され、その力の取り憑かれて苦しんでいた人間の異様な姿を現しているのかもしれない、と考えることができます。このころの時代にはユダヤの地域もやはりローマ帝国の支配の下にあったのですが、それ以外の地域にもローマの支配のもとでの人々の苦しみは深まっており、そうした地域にもイエス様は行かれた、という物語と考えられます。
そして、その地域においてレギオンに取り憑かれた一人の人が、イエス様に出会ったときに、自らがイエス様に打ち勝てないことを知っていたので、その人を出て豚に乗り移らせて欲しいと懇願します。このあたりが、非常に民話・伝説の雰囲気が漂っています。その願いをイエス様が許したので、大勢の悪霊は豚に乗り移ります。ところが、そのことに豚たちは耐えられなかったので、豚たちは走り出し、崖から湖にみんな飛び込んでしまい、そして最後にはみんなおぼれ死んだと記してあります。悪霊が取り憑くと、豚ですら耐えられないほどの苦しみがあったということです。これは、悪霊たちがこうして自ら滅んでいった、という何ともいえない気まずい光景です。しかしとにかく、このことで、それまでは悪霊に取り憑かれて支配されていた一人の人が、その状態から解放された、救われた、ということは確かでした。
そして、このあと、さらにこの話の非常に大きな特徴であることが記されています。それは、そのように一人の人が悪霊から救われた出来事のあとで、地域の人々はイエスに対して、この地域から出ていってほしい、と言ったのでした。これほど大きなことをして一人の人を助けたイエス様に、ずっとここにいてほしいと願うのならわかりますが、その逆に、ここから出ていってほしい、というのはなぜでしょう? その理由は聖書に書かれていません。
そして、不思議なことはまだ続きます。悪霊を追い出していただいた一人の人は、イエス様がこの地域から出て行かれることを知って、イエス様に付いて一緒に行くことを願います。ところが、イエス様はそれを断ります。そして言われました。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」と。どうして、イエス様は、この人が付いてくることを断ったのでしょうか? 本日の箇所において、こうした私たちが疑問に感じることへの答えは、どこにも記されていませんし、聖書の他の箇所を読んでも、本日の箇所への疑問が解決するような答えはありません。 では、私たちはこの箇所をどのように受けとめたらよいのでしょうか。何がこの箇所において神様から私たちへのメッセージなのでしょうか。
それは、皆様お一人おひとりにとって違っていると思いますが、その箇所を読んで一番心にとまったこと、それが神様から私たちへのメッセージなのです。私は本日の箇所を読んで、最も心にとまったのは、最後のイエス様の言葉です。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」
ここには、イエス様のやさしい心が満ちあふれています。ここでイエス様が、イエス様に付いていきたいと願ったこの人に対して、付いて来てはいけない、という理由は、イエス様自身が、この地域から出ていってほしい、と言われたことが元になっているように私には思えます。それは、もしこの人がイエス様に付いてユダヤの地域に行ったとしても、そしてイエス様と一緒に良い働きをしたとしても、その人もまたイエス様と同じように、行った先のユダヤの地域に住んでいる人たちから、ここから出ていってほしい、と言われることを予期したのではないかと思えるからです。それは、この一人の人、悪霊を追い出していただいた一人の人は、ユダヤの地域の人たちから見ると異邦人、外国人だからであります。どれだけ良い働きをしても、それは、外部からやってきた人間、異邦人であるがゆえに、正当には認めてもらえず、その地域の秩序を外部からやってきて造りかえた人間と思われてしまうからでありましょう。
そして、そうした言葉、すなわち、「この地域から出ていってほしい」と地域の人たちから言われることが、いかに寂しくつらいことであるかを、イエス様は噛みしめておられたので、あえてこの人に対して、自分と同じ目に遭うのではなく、ご自分に付いていくことをやめるようにさとしたのではないかと考えられます。けれども、イエス様は、そのような寂しい言葉で場を終わられることはされませんでした。この、悪霊から救われた一人の人に、新たな使命を与えます。それは、自分の元の家に帰って、自分に起きたことを家族に伝えなさい、ということでした。そのことによって、その人は、今までなぜ墓場に住んで凶暴で危険な生活をしてきたのか、そして今はなぜ正気に戻って落ち着いているのか、という理由を家族に説明し、納得してもらって元の生活に帰っていく、ということです。イエス様は、この一人の人がイエス様に付いて来て、イエス様の弟子になることよりも、この人がこの人としての自分を取り戻して元の生活に帰り、その家庭と地域での生活をこれから建てていくことを優先されました。
ここに、主イエス・キリストの福音が持つ神の国の福音の素晴らしい働きがあります。本日の説教題は「人間の居場所と光」といたしました。この一人の人の居場所は、墓場でした。誰も近づかない場所、もっとも人間の死に近い場所において、凶暴な危険な人間として自らが苦しみ、人も苦しめている、この人の居場所が墓場でした。その墓場に住む人がイエスのところにやってきます。それは、その人の意志ではなく、その人に取り憑いている大勢の悪霊の意志でした。決してその人の意志ではありませんでした。しかし、ここで悪霊がイエス様と出会うことによって、この人は巻き込まれてイエスに出会い、イエスに救われて、光が射したのです。ここでイエス様がなされたことは、神の力で奇跡を起こして弟子を増やすということではなく、苦しんでいる人の原因を退治して、その人に新しい人生を与えるということでした。その新しい人生とは、元の居場所に帰って、家族に受け入れられ、自らがそれまで奪われてきた生活をやり直すことでした。
なぜ、イエス様はそうしたことができたのでしょう。聖書によれば、それはイエス様が神の独り子で、救い主であり、私たちを救ってくださる神様の御心だからです。そのような主イエス・キリストが、現在においても、私たちと共にいてくださいます。これは本当のことです。
しかし、そうしたことを考える一方で、私は思うことがあります。それは、イエス様という方は、とても優しい御方だったのだなあ、ということです。せっかく湖を渡って異邦の地にたどり着いて、そこで長年苦しめられてきた一人の人を救って、悪霊を追い出して、良いことをしたのに、地域の人々からは追い出されてしまうのです。そこには地域の人たちの率直な思いがあったのでしょう。地域の秩序を造りかえる人が外部から来て、そこに居座ってもらっては困るのです。こうして、神様の御心を伝える人は追い出されていくのです。けれどもイエス様はそこで人々を批判してはいません。そうではなくて、たった一人、この土地に生きる人として、悪霊を追い出していただいたこの人を、この地域に神の御心を伝える人として残していかれました。
それは、その人が、神様に感謝し、神様を賛美し、喜んで新しい人生を生きていく人になった、ということです。これが、主イエス様がここでなされた伝道、宣教の働きでした。それは、直接的に弟子を作る、つまり付いてくる人を増やす、ということではなくて、巨大な悪の力に支配されていたこの人を、そこから解放し、元いた家に帰らせることによって、その人の心の中に深い感謝を生み出し、その人が心から神様を賛美するようになる、ということです。
このことは、キリスト教の伝道あるいは宣教ということを考えるときに、とても大切なことを示しています。伝道も宣教もどちらも、イエス様のことを世界に宣べ伝える働きを指す言葉です。そして、それらは一つの宗教を広めるというだけの意味ではなく、具体的に一人ひとりの人間を救い出す神様を賛美し、神様を礼拝し、神様に仕えるということを含んでいます。そして、それをなすためには、その人の信仰を確かに表すための居場所というものが必要なのです。
人間にとって居場所とは何でしょうか。それは様々な考え方があると思いますが、本日の箇所でいえば、墓場を居場所としていた人は、最終的に自分が住んでいた元の家に帰ります。イエス様によって、その人にとっての本当の居場所に帰ることへと導かれたのです。それに対して、ここの地域から出ていってほしい、と言われたイエス様の居場所は、そこにはありませんでした。しかし、救われた一人の人が、これからその地域で新しく生きていくという、その人の居場所において、これからはいつもイエス様が共にいてくださることになりました。感謝に堪えません。私たちもまた、このイエス様と共に、今日から始まる新しい一週間を共に歩んで参りましょう。
お祈りいたします。
神様、新型コロナウイルス問題によって苦しめられている今日の世界のキリスト教会において、苦しんでいる人、社会から隔絶されたところで苦しんでいる人、強い力によって侵略され、支配され、苦しんでいる人、そうした私たちをどうぞお救いください。この祈りを、主イエス・キリストのお名前を通して、神様の御前にお献げいたします。
アーメン。
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2020年11月1日(日)京北教会 礼拝説教
「助かり、生きる」 牧師 今井牧夫
聖 書 マルコによる福音書 5章 21〜36節(新共同訳)
イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。
イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、
イエスを見ると足元にひれ伏して、しきりに願った。
「わたしの幼い娘が死にそうです。
どうか、おいでになって手を置いてやってください。
そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」
そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫ってきた。
さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。
多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、
全財産を使い果たしても何の役にも立たず、
ますます悪くなるだけであった。
イエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれこみ、後ろからイエスの服に触れた。
「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。
すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。
イエスは、自分の内から力が出ていったことに気づいて、群衆の中で振り返り、
「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
そこで、弟子たちは言った。
「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。
それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」
しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。
女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、
すべてをありのまま話した。
イエスは言われた。
「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。
もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。
「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生をわずらわすには及ばないでしょう。」
イエスはその話をそばで聞いて、
「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。
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(以下、礼拝説教)
7月からマルコによる福音書を続けて読んでいます。本日の箇所は5章です。先週の箇所では、イエス様がガリラヤ湖という湖の向こう気に舟で渡り、その地方に住む、悪霊につかれた一人の人から悪霊を追い出してその人をいやしたところ、そのことを快く思わなかった地域の人たちから、この地方から出ていってほしいと言われました。そうして、イエス様はまた舟に乗って元のユダヤの地域に戻ってきたのでした。そして、本日の箇所においては、同じようにイエス様が苦しんでいる人たちを癒す話ですが、今度は、イエス様が複数の人たちのいやしに関わる話です。
本日の聖書箇所は、読んでいただくとわかりますが、まず最初にヤイロという名前の会堂長が、自分の娘が病気で死にそうなので救ってほしいと願うことから始まります。そしてイエス様はそのために出発するのですが、その途中で全く別の人がイエス様にいやされたいと願って来て、そのことで別の話となり、その後にまた最初の話に戻る、という展開です。つまり、ここでは二つの話があって、最初の話の中に割り込む形でもう一つの話が入って、はさむ形になっています。
これは単に時間の経過の中で二つの話が続いているというだけではありません。一つ目のいやしの話の途中で、二つ目の話が入ることで、結果としてイエス様がそこで足止めをされてしまった、ということです。その結果、最初の目的地であったはずの病気の娘のところに到着する時間が遅れてしまい、そのためにその娘が死んでしまった、という話になっています。しかし、イエス様はそのあとにその娘のところに生き、その娘を甦らせてくださいます。つまり、別の人のいやしのために時間がとられて、最初の人を救うことができなかった、ということはなかったということであり、イエス様のいやしというものは、そうした時間の差、つまり環境の差によって違いが出るのではなくて、どのような環境であっても、いやしというものは必ずイエス様から与えられる、ということが、示されています。
では、そのイエス様によるいやしというものは、具体的にはどのようになされるものなのでしょうか。そのことを、本日の箇所の中間にあります、一人の女性のいやしの話に焦点を当てて考えてみます。この女性は12年間に渡り、ずっと治らない病気に苦しめられてきました。その治療のために全財産を使い果たしたが何の役にも立たなかったとあります。とても辛い思いをしてきた女性でありました。
この女性が、イエス様の噂を聞いて、イエス様に病気を直していただくためにやってきました。ところが、イエス様の周りには大勢の人たちがいて、近づくことができませんでした。このとき、本日の聖書箇所では、イエス様は会堂長ヤイロの娘の命を救うために、急いで歩いて移動していた最中でした。ここでイエス様の一行は立ち止まることができません。ですから、この女性がせっかくイエス様のところを探し当てたけれども、旅の途中で止まってくださいとは言えませんでした。そこで、この女性は、そのイエス様の一行の中にまぎれこんで、後ろからそっとイエス様の服のすそに触れようと考えました。
そうやって少しでも触れたら、病気がいやされるはずだと考えたのです。この女性がなぜそのように考えたかは記されていませんが、そのころの人たちの一般的な考え方だったのだろうと思われます。特別な人間の力というものは、その人の身体から出るものなので、その人の来ている服のはしっこに触れただけでも、その人の中から発する特別な力が自分に伝わって、そのことで自分は癒される、そのように考えたようです。
こうした考え方は、現代の私たちから見ると非科学的であり、迷信のようなものにも思えます。けれども、よく考えてみると、この女性のこうした考えやふるまいは、実は現代の私たちにもよくわかるものがあるのではないでしょうか。それは、この女性が、イエス様の服のすそにでも触れたら癒されるのでは、と思う、その気持ちは、ただ単にイエス様に近づきたいというだけではなくて、私なんて本当はイエス様にいやしていただくほどの値打ちがない、イエス様にいやしていただく資格なんてない、だから、イエス様に気づかれないように後ろからこそっと近づいて、直接ではなくて服のすそにこそっと触れるぐらいでいいんだ、という気持ちだったのではないか、と私は思います。
つまり、自分というのは、イエス様にとっては何の値打ちもない、見知らぬ他人であり、ただ病気を直してほしい一心で、それ以外にはイエスに対して興味は何もない、そんな人間なんだから、後ろから服のすそに触れるだけで精一杯、という気持ちです。少し言葉を変えて言いますと、そのように後ろからそっと服の端っこに触れるという、日陰者の私が私なんだ、という考えです。そのように誰かわからないようにして、こそっと服の裾に触れる、ということ、もうそれが私の人間としてのあり方なんだ、それが私の限界なんだ、という思いです。
この行動には、この女性の心が現れています。これを、この女性の自画像があります。自画像とは、自分で自分を描く絵のことですが、この女性にとって、自分の自画像というのは、言わば真っ黒い闇のような絵でした。自分の存在というものに光が当たっていないのです。自分という人間は12年間病気に苦しめられて、何にも良いことが無かった存在です。人から認められない存在です。そのころの時代においては、病気は人間の罪の結果だと考えられていました。病気は罪の結果として神様から与えられた罰と考えられていました。ですから、この女性は神様の前に出て光を当てられる人間だとは思っていませんでした。
この女性は、一人の人間としてイエス様に真っ正面から出会い、イエス様とお話して、イエス様によって認められて、病気をいやされる、そのような言わば立派な存在として自分を考えることができなかったのです。だから、後ろからそっと近づいて、服のすそにだけ触れたのです。
わずかでもいい、イエス様が神様から与えられた救い主であるならば、その力にわずかでも触れたら、自分ごときの人間はいやされるだろう、だから、という切ないこの女性の思いが私たちにも伝わってきます。このとき、この女性にとっての自画像は真っ暗な闇の中にいる自画像でした。
自分には光が今まで当たってこなかった、だから自分はイエス様にきちんといやしていただく値打ちがない、だから、こそっと触れるだけでいい、と願ったのです。
そして、どうなったでしょうか。イエス様の服のすそに触れた瞬間、その女性の病気が治りました。奇跡が起こりました。この女性の願いがかなえられたのです。それは、イエス様の意志によらずに、この女性の切なる願いが通じた、という不思議な形での奇跡でした。
そして、そのあとに意外なことが起こります。イエス様がそのことに気づいて、「私に触れたのはだれか」と言われたのです。イエス様は、ご自分の中から力が出ていったことに気が付かれたと聖書には記されています。これは、科学的な意味でどうであったか、というようなことは詮索しても意味がありません。そのころの人たちの直感的な理解として、誰かが私に触れた、そして私の中の何かが動いた、という、このことは、人間にとっての直感的な出来事としか言えません。
こうしてイエス様は、誰がご自分に触れたのかを周囲に向かって問います。しかし、周囲の弟子たちは、こんなに人が多くいるのにわかりませんと言います。それでもイエスはそこで立ち止まり、先ほどご自分に触れた人は誰かと尋ね続けます。
このとき、イエス様に触れた女性は、震えていました。自分の切なる思いで後ろからこそっと触れたことが、イエス様に気づかれてしまい、そしてイエス様が怒っていると考えたのです。それはそうでしょう。言わばイエス様のおゆるしなしに、イエス様のいやしの力を後ろから服のすそに触れて、こそっと盗んだようなものです。それがバレてしまった、そのことが怖くなって震えているのです。どうしたらいいでしょうか。
さきほど、この女性がこそっとイエス様に近づいて触れたことについて、その行動は言わばこの女性の自画像だと私は申し上げました。そして、その自画像は闇の中の真っ黒な自画像であり、光が当たっていない自分の像であると申し上げました。人に見せる自分の自画像、そして神様に見せる自分の自画像、それがこの女性にはなかったのです。人目を避けて、苦しみながら何かにすがりつこうとして生きている、そのような自分の存在は、イエス様と真っ正面から出会うことがない、日陰の存在でした。
ところが、その自分がいま、主イエス・キリストから捜されているのです。あなたは、どこにいるのか、名も知らないあなた、今わたしに触れたはずのあなた、私の意志ではないけれども私のいやしの力を必要として、それに触れていやされたあなたは、一体だれなのだ、とイエス様が捜しておられるのです。
そのイエス様の言葉の前に、この女性は自分を隠し通すことができなくなり、イエス様の前に名乗り出ました。震えながらです。これから自分がどのようにイエスから裁かれ、罪とされるのか、そのことにおびえて震えながら自分の姿を現したのです。それはイエス様だけではなく、その周囲にいた弟子たちや様々な人々の前にもまた自分をさらけ出すことでありました。
そこで、イエス様は仰いました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
ここで、この女性にとっての自画像が新しく描かれることになりました。それは、自分自身で黒く塗りつぶした暗闇の中の自分ではありません。自分が全く気が付かなかった自分の姿が、神様によって描かれることになったのです。それは、それまでに治らなかった病気によって12年間苦しんできた自分の人生は、暗闇の中の人生ではなく、神様の救いを求め続け、希望を諦めることがなかった人生であり、その、希望を諦めることがなかった人生が、イエス様から「あなたの信仰があなたを救った」と言われることになったのです。あなたの12年間の苦しみの人生の中で考えてきたこと、そのことが神様の目から見たときに、「信仰」と呼ばれたのです。
しかし、この女性自身は、自分に、イエス様から言われるほどの信仰があるとは思っていませんでした。もし信仰があると思っていたら、イエス様から捜されたときに、震えていることはなかったでしょう。自分はこのとき、どさくさにまぎれて、こそっと後ろから近づいてイエス様のいやしの力のほんのはしっこに触れて、それで自分の病気を治したい、と考える程度の、ずるい人間だと思っていたはずです。ですから、この女性は、このとき、おそらく「信仰って何だろう?」と考え込んだに違いありません。いま聖書を共に読んでいる私たちもまた、考えてしまいます。
信仰とは何でありましょうか。それは様々な考え方ができることです。おそらく、その答えは一つではないでしょう。本日の聖書箇所を何度読んでも、いろいろ分析しても、それでも、信仰阿とは何か、ということを明確には表現することは難しいと思います。しかし、私自身がここで一つ確実に言えることがあります。それは、本日の箇所で現される病気のいやしということは、ひとつの奇跡でありますが、その奇跡ということに最も近いところにあるもの、それが信仰だということです。信仰とは何であるか、それは奇跡ということの、最も近くにあるものです。
信仰とは、形なきもの、目に見えないものです。それが何であるか、解釈はいくらでもできるでしょう。それはどなたも自由にお考えいただいてよいのです。けれども、今日の箇所に即していえば、信仰とは、奇跡にもっとも近いところにあるものです。イエス様のすぐ後ろに近づいて、こそっと服のすそに触れる、それぐらいに、こそっと、そうっと、人に知られず近づいて、こそっとお恵みにあずかろうとする、そんな心が、奇跡にもっとも近いところある信仰なのです。
この話のあと、1番最初にイエス様に来てほしいと願ったヤイロという人の病気の娘が死んだという知らせが来ます。もう手遅れです、という使いに対してイエス様は、「恐れることはない。ただ信じなさい」と言われます。奇跡にもっとも近いところにあるもの、それが信仰なのです。
お祈りいたします。
神様、私たち一人ひとりに神様からの恵みとしての信仰をくださっていることに感謝をいたします。何よりも大切なものを、神様が主イエス様を通してくださってことに心より感謝し、今日から始まる一週間を新たな思いで、隣人と共に生きさせてください。この祈りを、主イエス・キリストのお名前を通して、神様の御前にお献げいたします。
アーメン。
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2020年11月8日(日)京北教会 礼拝説教
「つまずいた思い出も」 牧師 今井牧夫
聖 書 マルコによる福音書 5章35節〜6章6節(新共同訳)
イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。
「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生をわずらわすには及ばないでしょう。」
イエスはその話をそばで聞いて、
「恐れることはない。ただ信じなさい。」と会堂長に言われた。
だれもついてくることをお許しにならなかった。
一行は会堂長の家に着いた。
イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、
家の中に入り、人々に言われた。
「なぜ、泣き騒ぐのか。子どもは死んだのではない。眠っているのだ。」
人々はイエスをあざ笑った。
しかし、イエスは皆を外に出し、子どもの両親と三人の弟子だけを連れて、
子どものいる所へと入って行かれた。
そして、子どもの手を取って、「タリタ、クム」と言われた。
これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい。」という意味である。
少女はすぐに起き上がって、歩き出した。もう十二才になっていたからである。
それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。
イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、
また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。
イエスはそこを去って、故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。
多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。
「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。
この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡は、いったい何か。
この人は大工ではないか。
マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。
姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」
このように、人々はイエスにつまずいた。
イエスは、
「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、
そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。
そして、人々の不信仰に驚かれた。
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(以下、礼拝説教)
7月からマルコによる福音書を続けて読んでいます。本日の箇所は5章の終わりから6章にかけてです。主イエス様が病気で命を落としたと思われていた少女をよみがえらせた話のあとに、今度はイエス様が子ども時代からずっと育った土地であるナザレという名前の村に行き、そこで昔から知っている近所のひとたちの中でお話をされたが、人々から受けいられなかった、という話です。
本日の箇所を読んで、いつもの福音書の話と違うと感じるところは、この話では、人々がイエス様を信じるのではなくて、つまずいたと書かれていることです。そして、さらに、本日の箇所の最後に、こうあります。「そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。」このように記されています。福音書を最初から読み続けてきますと、イエス様は何でもできる方のように思いますが、実は、生まれ故郷、ふるさとの村では、イエス様は、何人かの病人をいやしただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった、というのです。これは何か不思議な気がします。
イエス様が、奇跡ができなかった、とはどういう意味でしょうか。人々がイエス様を心から受け入れることができなかったので、そのような人たちに対しては、イエス様は病気のいやしの奇跡を行うことができなかった、という意味に思えます。すると、いやしの奇跡というものは、イエス様から一方的に与えられものではなくて、それを心から願い、イエスの言葉を受け入れる者に起こることであり、イエスの言葉を受け入れない人にはいやしの奇跡は起こらない、ということかと思えます。すると、奇跡というのは、それを与える側と受け取る側の両方の関係が結ばれていなければ起こらない、ということになるでしょう。
けれども、そうだとすると、奇跡というものは、神様の側と人間の側の両方の条件が一致しないと起こらない、ということになり、奇跡を起こす条件の半分は人間の側にある、ということになります。果たして奇跡とはそんなものでしょうか。やはり神様からの一方的な恵みであると思います。とすると、今度は別の問題が起こります。本日の箇所では、イエス様は意識的に奇跡をしなかったのではなく、おできにならなかったと書いてあります。人々がイエス様を受け入れなかったので、イエス様は奇跡ができなかった、と考えると、イエス様にもご自分の力を発揮することができない、ということがあった、つまりイエス様のお働きには限界があった、ということにもなります。果たしてそうだったのでしょうか。
こうした、聖書に記された物語に出てくる、奇跡、というものが現代の私たちにとって何を示しているか、ということについては、様々な解釈があるでしょう。本日の箇所は、いやしの奇跡ということについて、様々に考えさせる箇所であります。本日の礼拝説教では、イエス様がいやしの奇跡ができなかった、ということの解釈よりも、イエス様の生まれ故郷の人たちがイエス様を受け入れなかった、ということに焦点を当てて考えてみます。イエス様を子どものときからよく知っている人たち、イエス様が若者のときから知っている人たちこそが、イエス様を受け入れなかったのです。ほかの町や村ではなかったことです。
本日の箇所で、キーワードになる言葉は、人によって違うとは思いますが、私は、この箇所のキーワードは、つまずいた、という言葉だと思います。つまずく、とはこけるということであり、そこから歩けない、進めなくなるということです。もちろん、そこですぐに立ち上がれば歩けるのですが、本日の箇所では、つまずいたままそこで止まってしまったという状態を表しています。何につまずいたかといえば、イエス様が語ることばにつまずいたのではありません。イエス様が会堂でお語りになられた聖書の言葉の解き明かし、つまり神の国の福音、そうした言葉の内容につまずいたのではなくて、イエス様が自分たちにとってよく知っている人間、その過去を隠すことができない人間、ありのままを知っている人間であることにつまずいたのです。
もしも、これがイエス様でなくて、初めて出会った人物、たとえば各地を旅しながら教えを説く人間、今まで会ったことがない宣教師のような人であれば、人々はつまずかなかったかもしれません。全く知らない人であれば、その人のことは、その人の語る言葉によって判断するからです。しかし、あいにく、この村の人々にとって、イエス様は、その子どものときのことから知っている、自分たちにとって身近な、存在でした。その職業は大工です。その母親マリアも兄弟姉妹もみんな知っている人たちです。そのような当たり前に近しい存在であるイエスが、旅をして戻って来たら、ずいぶん昔とは違った賢い言葉を語る。そのことが人々をつまずかせたのです。イエスがそんなに素晴らしい人間のわけがない、と思ったのです。
そのような人々に対してイエス様は言われました。「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と。そして、そのあとにこう続きます。「そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。」こうして本日の箇所は終わっています。
この箇所を読んで私が思うのは、イエス様の寂しさということです。イエス様の寂しさ。それは私がこの箇所を読んで思うことです。聖書にはイエス様が寂しいと感じられたとは書いてありませんから、実際には、イエス様は寂しいなんて思われなかったかもしれません。それよりも人々の不信仰に驚かれた、という驚きの思いのほうが大きかったとも言えましょう。
けれども私は、この箇所を読み、イエス様は寂しかったのだろうと思います。なぜかというと、こう書いてあるからです。「そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった」、この場面は、イエス様が、この村でほとんど何もいやしの奇跡ができなかったということであり、イエス様は、ほかの村ではどこでもしてきたことが、この自分のふるさとでは何もできなかった、ということは、それ自体が、イエス様の寂しさを表していると私は受けとめるのです。
ここで、ふるさとということについて考えてみます。皆様はふるさとと呼べる場所があるでしょうか。生まれ故郷、育ったふるさと、かつていたところ、そうした自分の遠い昔の育ちに何かの形で関わる場所で、ここが故郷、ふるさとですと言える場所があることは幸いだと思います。
というのは、ふるさと、という言葉を使うときには、それが単に自分の生まれ育った場所、というだけではなくて、それが自分にとって懐かしい場所であり、それがいま自分の住んでいる場所とは違う、自分の出発点であり、自分が育てられた場所、つまりその土地の家族・親族や地域の関係者などに、何らかの恩義がある、そこに感謝があり、懐かしさがある、というときに、そこを私のふるさと、といい、私にとって特別な場所としてふるさとと言うからです。
ふるさと、それは、そこに自分が行くときには、様々な思いでがよみがえり、なつかしさや様々な感謝の気持ちがわいてくる場所です。その場所に行って、その地域の人たちと再会し、そこで、自分ができる精一杯のことをしたい、恩返しというものができるものであればしたい、と思うのが人情というものです。イエス様に、ここでそのような気持ちがあったかどうかはわかりません。けれども、さきほども言いましたが、「ここでは奇跡をおできにならなかった」とあるときに、そこには、イエス様がふるさとで味わった何ともいえない寂しさが感じられるのです。
こうして、本日の箇所を読んでいて、私は気づきました。イエス様は、さびしくなったから、いやしの奇跡を行うことができなかったのではないでしょうか。もちろん、そんなことは聖書にはどこにも書いてありません。神の独り子、神様からの救い主である主イエス・キリスト様が、さびしくなったから奇跡ができなかった、なんということは聖書のどこにも書いてありません。けれども、この箇所を読んでいて、私は次の様に思ったのです。「人間、さびしくなったら、できなくなることってあるよな」と。
そして、次のことも思いました。本日の箇所にあるイエス様の言葉の、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」、これは、いわばイエス様の捨てゼリフだなあ、と。捨てゼリフですが、むかっと怒って言われたのではなくて、とてもとても寂しい気持ちをこめて、この捨てゼリフを言われたのではないかな、と思いました。それは、イエス様が故郷の人々や親戚・家族の態度に腹を立てて、言われたのではなくて、ああ、これで私は故郷とも家族とも関係が切れていくのだなあ、という深い寂しさがこめられているのではないかな、と思うのです。
ここで、本日の箇所の前半のほうに戻ります。ここには、イエス様が一人の少女をよみがえらせた話があります。その少女は、イエス様が到着するのが遅れたために、間に合わなくて病気で死んでしまうのです。人々はいまさらイエス様が来ても、もうとっくに手遅れだと思います。それはそうでしょう。命が失われたあとにイエス様が来たってしょうがないのです。その通りです。しかし、イエス様は言われます。「なぜ、泣き騒ぐのか。子どもは死んだのではない。眠っているのだ。」この言葉を聞いて人々はあざ笑ったと書いてあります。
人々はあざ笑ったのですが、イエス様は、何人かの弟子たちとともに少女のところに行きます。そして、起きなさいと言われます。ここでしるされている「タリタ・クミ」とはイエス様の時代にその地域で使われていたアラム語の言葉です。新約聖書のすべて、そして福音書はギリシャ語で書かれているので、こうして言葉のついての解説が記されているのです。
そして少女はよみがえり、起き上がります。まさに、眠っていたのが目が覚めたように、です。そして食事をします。こうして、一人の人の命がイエスによって、目覚めた、といういやしの奇跡が記されています。こうしたいやしの奇跡の物語を、現代の日本社会に生きている私たちは、これを言葉通りにすべて事実と受けとめるのは難しいでしょう。しかし、神様の聖霊、聖い霊の働きを受けることによって、私たちは、こうしたいやしの奇跡の物語を通して、言葉通りの事実としてよりも、この言葉にこめられた神様の側の真実なお気持ち、というものを知ることが出来ます。私たちにとって大切なのは、いやしの奇跡の事実を信じるかどうか、ではなくて、その物語にこめられた神様のお気持ちを知るかどうか、ということなのです。
そのあとに、本日の箇所の後半、イエス様のふるさとの話が続いています。このとき、イエス様のふるさとの人々は、イエス様に対して何も期待していませんでした。イエス様がほかの村や町でしてきた、神の国の福音の宣教ということを期待していませんでした。期待していなかったから、ふるさとの人々はイエス様につまずいたのです。イエス様の言葉を通して表される神の御心に何も期待しないときに、つまずきが起こるのです。本日の箇所には、イエス様に何の期待もしない、ふるさとの人々がイエス様につまずいた、というイエス様の苦い思い出が記されています。その苦い思い出も、また、聖書を今日読んでいる私たちにとってしっかりと意味があります。
イエス様は言われました。「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである。」ここには、イエス様の寂しさがあります。何の期待もされず、何も求められない、そして自分の語る言葉に耳を傾けない。そんなふるさとにおいて、イエス様はきっとさびしかったと思います。私は思うのです。イエス様には、決して寂しい思いをしていただきたくないと。私たちは、イエス様に期待していきたいです。そして、自らの祈りと願いをイエス様に献げていきたいです。もちろん、私たちが期待するからイエス様が何かの奇跡ができる、というものではありません。さきほどの病気の娘のいやしの話も、娘が命を落としたあとにイエス様が到着したとき、人々はイエス様に何も期待せず、あざ笑いました。それでもイエス様のいやしの奇跡が現れました。奇跡は、人間の期待によって起こるのではありません。神様からの期待によって起こるのです。
その、神様から人への期待ということを、イエス様のふるさとの人々は、受けとめることができませんでした。主イエス・キリストの存在は、神様から人への期待ということであります。この御方を通じて神様の御心が示されるのです。そのことにおいて奇跡が起こります。それに対して、神様の御心というものに何の期待もしないのは、とても寂しいことです。その寂しさのなかで、イエス様は奇跡をおできになりませんでした。そのことを前にして、今日の私たちは何をすべきでしょうか。決してイエス様を寂しくさせてはなりません。神様の御心に期待して、主イエス・キリストを私たちの心にお迎えして、日々を歩んで参りましょう。
お祈りいたします。
神様、私たちが、日々、イエス様の心に近づいてお祈りできますように。そして、私たちとそれぞれの隣人が寂しくなることがないように、日々を導いてください。この祈りを、主イエス・キリストのお名前を通して、神様の御前にお献げいたします。
アーメン。
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2020年11月15日(日)京北教会 礼拝説教
「イエスから現代の宣教へ」 牧師 今井牧夫
聖 書 マルコによる福音書 6章 7〜15節(新共同訳)
それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。
そして、十二人を呼び寄せて、二人ずつ組にして遣わすことにされた。
その際、
けがれた霊に対する権能を授け、
旅には杖一本のほか何も持たず、
パンも、袋も、
また帯の中に金も持たず、
ただ履物ははくように、
そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。
また、こうも言われた。
「どこでも、ある家に入ったら、
その土地から旅立つときまで、
その家にとどまりなさい。
しかし、あなたがたを迎え入れず、
あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、
そこを出ていくとき、
彼らへの証しとして足の裏のほこりを払い落としなさい。」
十二人は出かけて行って、
悔い改めさせるために宣教した。
そして、多くの悪霊を追い出し、
油を塗って多くの病人をいやした。
人々は言っていた。
「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。
だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」
そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、
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(以下、礼拝説教)
7月からマルコによる福音書を続けて読んでいます。本日の箇所は6章です。ここには、主イエス・キリストが12人の弟子たちを二人ずつ組みにして、宣教の旅に遣わされたときのことが記されています。そのとき、弟子たちの持ち物は杖一本のみ。あとは最低限の衣服と履物だけでした。食べるパンや、ものを入れる袋、お金も持っていってはならないというのです。
本日の聖書箇所を読んだときに、多くの人は、いくらなんでも、これは極端ではないかと思うのではないでしょうか。こんなふうにして宣教の旅に出ろと言われたら、現代であれば、誰だっていやだというでしょう。これでは生きていけないはずです。しかし、イエス様の時代であれば、少し様子は違っていたようです。イエス様の時代に、聖書が記された土地、パレスチナ、イスラエルにおいては、各地を放浪するように旅をしながら、行く先々で客として家に泊めてもらう旅人、というのもいたようです。それは、遠方から旅をしてくる人を、大切な人としてもてなす風習がある世界がその時代、そこにはあったということです。とはいえ、いくらなんでも、袋もお金も持つな、杖一本で旅をしろと言われると、本当にそれは、あまりにも冒険といわざるをえません。
なぜ、イエス様がこんな無茶なことを弟子たちにさせたのか、その理由は記されていません。しかし、結果として、この12人の弟子たちが二人一組になって宣教の旅に遣わされたことは、成功したようです。というのは、そのあとに、こう書いてあるからです。「十二人は出かけて行って、
悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。」そして、そのことで今度は「イエスの名が知れ渡ったのでヘロデ王の耳にも入り……」と話が続いていきます。ということは、12人の弟子たちの無謀に見える宣教の旅は成功したのです。弟子たちは人々に悔い改めの宣教を行い、悪霊を追い出し、多くの病人をいやした。これは、それまではイエス様お一人だけが直接なされていたことを、今度は弟子たちがイエス様に代わって、あちこちでイエス様と同じことをした、ということです。そして、そのことによって、弟子たちが名声を博したのではなくて、弟子たちの働きは主イエス・キリストの恵みの現れとして、イエス様の名が知れ渡ったということです。
そして、人々は、イエス様に対して様々なことを考えました。イエス様について、旧約聖書に登場するもっとも重要な預言者エリヤの名前を出して、エリヤがまた現れたのだと言う人もいました。そのほかの預言者が甦ったのだという人もいました。イエスとはどんな存在であるか、ということが、世の人々のなかで様々に論じられるようになったのです。そして、そこから派生する形で、マルコによる福音書の流れでは、本日の箇所のあとに、ヘロデ王と洗礼者ヨハネの関係に関するエピソードが記されています。そのことは本日の箇所と直接関係がないので、各人で福音書のその箇所を読んでいただければと思います。とにかく、12人の弟子たちが遣わされておこなった宣教の働きが成功して、その結果としてイエス様の名が知れ渡っていったことがここには記されています。弟子たちの働きは、本当に成功したのです。たくさんの人々を苦しみから救い出し、そして自分たちの名誉ではなく、神の子、救い主である主イエス・キリストを世界に宣べ伝えることができたのです。弟子たちもまた立派だったということができるでしょう。
さて、このような本日の箇所を読んで、皆様は何を思われますでしょうか。書いてある内容は、それは素晴らしいことなのだろうとは思います。しかし、正直、本日の聖書箇所だけを読んでも、特にあまり心に響くようなことはないように思う方が多いのではないでしょうか。この場面の弟子たちのように、何も持たずに宣教の旅へと遣わされることは、とんでもなく大変なこと過ぎて、現代の私たちには弟子たちの実感がつたわりません。また、ここに書かれているような宣教、つまり人に取り憑いた悪霊を追い出すとか、油を塗って病気をいやすとか、そのようなことは私たちにはとうていできないからです。また、こうした福音書の物語は、古代の人たちの考え方の中でのことですから、現代にあっては非科学的な宗教のお話にも思えるからです。
しかし、この箇所を繰り返し読む中で、本日の箇所のある部分が私の心に止まりました。それは、次の言葉です。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けないようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏のほこりを払い落としなさい。」
これはイエス様が弟子たちに語られた言葉です。前半は、弟子たちが遣わされた町で、自分たちを家に泊めて支援してくださる人がいたら、その人に家にずっと留まる、つまり、一つの町ごとに一つの家を拠点として、そこから動かずに滞在して、宣教の活動をすることが指示されています。そして後半では、前半と逆に、弟子たちの話に耳を傾ける人が一人もいない場合の話です。その町にやってきた弟子たちを迎え入れる人が一人もおらず、宿泊させてくださる家も一つもない、という場合には、その町を出て行くときに、その町の人たちへの証しとして、足の裏のほこりを払い落としなさい、と言っています。ここで言われている、足の裏のほこりを払い落とす、とは、足の裏にすらその土地の痕跡を残さない、つまり、完全に関わりを絶って、何の関係も持たなくなることであり、それは、私はあなたたちに対して何の責任も負いません、ということを宣言して、その町を出て行くという意味だと考えられます。
この場面が、なぜか私の心に止まりました。それはなぜでしょうか。その理由は、この箇所の後半の、町の人々から受け入れられなかった場合は、その町を出ていくときに、足の裏からほこりを落としなさい、という言葉が、私にとっては、とても厳しく鋭い言葉に思えたからです。そしてまた、この箇所の意味を様々に考えてみますと、少し不思議な気もしてきます。というのは、イエス様は、世界のすべての人たちの救いのために神様から遣わされた神のひとり子、救い主なのに、こうして、弟子たちを受け入れない町には、関係を絶って責任を負わないことを宣言するようにと弟子たちに指示しています。もしかしたら、イエス様はここでは少し冷たい、あるいは恨み深い人だったのだろうか、とも思えます。
しかし、このあとで遣わされた12人の弟子たちの宣教は成功していきますので、ここでのイエス様の言葉は、イエス様の冷たさを意味しているのではなくて、世の中の現実に対して、ここでのイエス様の言葉が実際に意味があった、役に立った、その通りにすることが良かった、ということであると思えます。
イエス様はこの箇所において、12人の弟子たちを、杖一本の他には何も持たせずに様々な町へと宣教の旅をさせました。そこには、確かに無茶があったのだろうと私たちは思います。けれども、イエス様は、ただ単に弟子たちを無茶な形で現実世界の中に放り出したのではありません。遣わされた先で、誰からも相手にされないような町があれば、その町に対して、私はあなたたちに何の責任も負いません、と宣言してその町を出たらよい、とイエス様が言われた背景には、弟子たちに無用な苦労をさせたくない、という思いがおありだったはずです。イエス様は、ただ単に弟子たちを現実世界の中に放り出して、そこで成果が現れるまでずっと苦労し続けなさい、とは言われませんでした。いくら一生懸命に宣教をしたとしても、その町で誰一人相手にしてくれないのであれば、もうそこを立ち去っていいよ、とイエス様は言ってくださるのです。それは、イエス様の冷たさではなくて、優しさがあります。弟子たちに対する優しさです。
そのイエス様の優しさ、ということを考えてみます。本日の箇所において、イエス様は、弟子たちに対して、杖一本以外は何も持たずに、パンも袋もお金も持たずに、宣教の旅として様々な町に行くことを求められました。それは人間の目から見れば、ひどい話です。何の保証もなく、弟子たちは自分たちの身を守るものや緊急時の備えも何も無く、現実世界のなかに放り出されるわけです。しかし、イエス様はこのとき、知っておられました。弟子たちが何も持たずに行くことによって、どの町に行っても、誰かが弟子たちを助けてくれるようになる、ということをイエス様は知っておられました。
すなわち、何も持っていないからこそ、すべてを天に任せて生きるようになる、そのときに、その様子を見て、必ず助けてくれる人がいる、ということです。杖一本しか持たない、ということによって、その人が他に何も持たないで宣教します。その姿に、その人の真剣さが現れます。その、何も持たない姿は、逆に、主イエス・キリスト以外には自分は何もいらない、という真剣な姿です。主イエス・キリストの言葉において、神様の導きによってのみ自分は生きている、という徹底的な姿勢を、このときの弟子たちはイエス様によって与えられたのです。そして、その姿勢をとることが、現実の世の中を生きるときの力になりました。
そして、もしも、弟子たちのそのような真剣な姿を、一切受け入れない人々しかいない町であれば、もうその町に未練を持たずにそこを出て行けばよいと、イエス様は示してくださっています。宣教ということで結果を出せるまで、ずっと苦しまなくていい、ということです。そこには、現実というものは人間が100%結果を出すことができるものではない、というイエス様の現実認識があります。そんなにうまくいくことばかりのはずがない、ということです。うまくいかないときは、その町を去ったらいいよ、ということです。なぜならば、町や村は無数にありますから、ひとつの箇所で成果がでないからといって、その他の町や村への宣教を行わないわけにはいかないからです。この言葉が、弟子たちの心を明るくさせたと私は思います。成果の出ない現実の前でただ苦しみ続けるのではなく、ときには撤退することも必要だと、イエス様が教えてくださったているです。
本日の説教題は、「イエスから現代の宣教へ」と題しました。それは、本日の聖書箇所を単に昔のイエス様の物語として読むだけでは、読み方が足りないことだろうと思ったからです。イエス様の時代から私たちの時代に、現代の宣教というものが続いています。これは、はるか昔のイエス様から始まって、今日の現代日本社会のなかで宣教している、いまの私たちの京北教会まで続いている、宣教の流れというものがあるということです。それは、今も昔も、イエス様は私たちを、杖一本以外は何も持たない形で宣教に遣わされるということです。
そのときには、自分を守るためのもの、たとえば食べ物・道具・お金などは持っていくなとイエス様は言われます。それでは人間の実際の生活はどうなるのでしょうか。それは、遣わされた先の場所であなたを支援してくれる人が現れる、ということです。そんなにうまく現実が運ぶとは到底思えませんが、それでも、イエス様は、私たちに対して何も持たないで遣わされていくことを求めています。そのことによって私たちの生きる姿勢が真剣になり、主イエス・キリストの福音、神の国の良き知らせ、ということ以外は何も持たないで、人々に宣教する、そのことにおいて神様が私たちと共にいて、必要なことをすべて与えて下さるということです。
現代日本社会では、聖書の時代や地域とは違って、ものがあふれています。様々な科学的・合理的な技術があふれています。聖書のメッセージを世の中で人に伝えるということにおいても、様々な手段が考えられます。けれども、教会において私たちがもっとも大切にしたいことは、わたしたちが主イエス・キリストから遣わされて、イエス・キリストの神の国の福音以外は何も持たずに、それのみで人の前に立ち、人と共に生きていこうとすることです。
本日の聖書箇所において、大きな意味があることが私たちに教えられています。それは、イエス・キリストによって世につかわされる私たちは、ある意味で貧しい人間になるということです。主イエス・キリストが共におられる、ということ以外のことは、すべて元いたところに置いておいたまま、旅に遣わされることになります。そして、遣わされた場で新しく出会う人たちとの関係において、「相手から支えられる」という経験をすることになります。自分が相手の上に立って相手を支配するのではなく、相手の下に立って、相手から支えられるようになる。宣教とは、そうして新しく出会う人たちから協力や支援ということを、与えられて成り立つものであることが、本日の箇所ではっきりと示されています。
そのような宣教を行うために、私たちは、神様の前で貧しい者となって、そこから新たに遣わされていく必要があります。そして、その宣教は、何の成果も出ないままにずっと苦しみ続けるというようなものではありません。受け入れられなかったら、そこをそっと立ち去ったらいいのです。受け入れられるまで死ぬまでがんばる、というような発想はここにはありません。人間には、できるという経験もあれば、できないという経験があってあたりまえです。様々な経験を積みながら、皆様が共に現代の宣教に、主イエス・キリストによって遣わされますように願います。
お祈りします。
神様、この時代のそれぞれの人の人生にふさわしく、私たちを世に遣わしてください。この祈りを、主イエス・キリストのお名前を通して、神の御前にお献げします。
アーメン。
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京北教会 収穫感謝礼拝 説教「神様にパンを願います」2020年11月22日(日)
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本日の聖書 マルコによる福音書 6章 30〜44節(新共同訳)
自分たちがおこなったことや教えたことを残らず報告した。
イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。
出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、
すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、
飼い主のいない羊のような有り様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。
「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。
そうすれば、自分でまわりの里や村へ、何か食べるものを買いに行くでしょう。」
これに対してイエスは、
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。
弟子たちは、
「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、
みんなに食べさせるのですか」と言った。
イエスは言われた。「パンはいくつあるのか。見て来なさい。」
弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」
そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、
青草の上に座らせるようにお命じになった。
人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、
パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。
すべての人が食べて満腹した。
そして、パンのくずと魚の残りを集めると、十二のかごに一杯になった。
パンを食べた人は男が五千人であった。
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(以下、礼拝説教)
本日は、収穫感謝礼拝です。秋の農作物の収穫時期にあたり、自然のたくさんの作物の収穫へと導いてくださった天の神様に感謝を献げる礼拝です。本日の聖書箇所は、7月から礼拝でマルコによる福音書を続けて読んでいますので、その流れで本日にふさわしい箇所を選びました。
本日の箇所は、五千人の食事の場面が出て来ます。五千人の人がいて、食べるものがほとんどなかったのに、主イエス・キリストが食べるものを用意してくださったという、奇跡が行われる話です。このような話を皆様はどのように読まれるでしょうか。深く考えずに一読しただけだと、これは実際にはありえない荒唐無稽な奇跡物語のようにも思えます。すると、この箇所から神様のメッセージを読み取ろう、受け取ろう、という気が中々起きてこないかもしれません。しかし、この五千人の食事の話は、実は四つの福音書すべてに、ほぼ同じ流れの内容で記録されている話です。しかも、一つの福音書の中に、繰り返して、ほぼ同じ流れの内容で出てくるのです。ということは、この話、福音書の中で、無くてはならない重要な話として記録されているということがわかります。そうであれば、これは単に荒唐無稽なお話として済ませるわけにはいきません。
では、この話の何がそんなに大切なのでしょうか? この話がとても素晴らしい話だとすれば、どこにそのような素晴らしさがあるのでしょうか。もしも、この話から人生に役に立つ教訓を引きだそうとするなら、どのような読み方ができるでしょうか? たとえば、この話は、人々が持っていた数少ない食べ物を、みんなで分け合って食べた話だと解釈することができます。
ここで五千人の人たちが食べるだけの量の食べ物が最初はなかったけれども、誰かが最初に、自分のために持っていた少しばかりのパンと魚を、みんなのために提供することで、ほかの人たちの心が動かされた、と考えてみるのです。すると、実は自分のための食べ物を少しずつ持っていた人たちがいて、その人たちがそれをほかの人たちと一緒に分けて食べるために、食べ物を出した、そのことによって、最初は食べる物がなかったたくさんの人たちが、少ない食べ物を分け合ったと考えることができます。すると、飢える人が一人もなく、みんなで助け合って食べることができた、そういう話に解釈することもできます。
もちろん、このような解釈は、実際は聖書に書かれていないことを想像しての解釈です。聖書には書かれていないけれども、現実に起こった出来事はそのようなことだったのではないか、と新しい解釈をすることによって、新しい物語を生み出していくことです。そうした解釈による新しい物語を作り出すことで、この聖書箇所の持つメッセージを引き出す、ということもできます。それは、聖書の物語を現実的に実行可能な、教訓的な話として解釈するという魅力があります。
けれども、本日はそうした、想像をもとにした教訓的な解釈をするのではなく、本日の聖書箇所の文章そのものが持っている意味を追求することで、聖書のメッセージに触れていきたいと思います。なぜならば、聖書は、単に人間の生活の教訓が記されている書物ではなく、荒唐無稽な物語の書物でもなく、聖書は、神の言葉を人間に伝える物語として記されているからです。
では、具体的に本日の箇所を読み進めて行きます。最初の部分では、12人の弟子たちがイエス様によって各地の町や村へ遣わされて、神の国の福音、良き知らせを宣べ伝える旅をしたあと、イエス様のところに戻って来て、自分たちが各地でしてきたことを報告した場面が記されています。弟子たちの報告を聞いたイエス様は、弟子たちに向かって言われました。「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」。そこで、イエス様の一行は舟に乗って湖を渡り、人があまりいないところに行って食事をし、休もうとします。
ところが、イエス様の一行が舟で出かけていく様子を見た多くの人々が、イエス様の一行を追いかけて先回りして、イエス様が行かれる人里離れた地点へと、陸の道を行って先に着いて待っていたのでした。なぜそこまでして、人々がイエス様の一行を追いかけたのか、その理由は書いてありません。しかし、それほどまでに多くの人々がイエス様を必要としていたと考えることができます。そのような人々、ここでは大勢の群衆と記されていますが、その群衆の様子を見て、イエス様は、群衆を「飼い主のいない羊のような有り様」と見て、深く憐れみ、いろいろと教えられ始められた、とあります。
その状況は、弟子たちが最初から想定していたことではなく、弟子たちからすると急に起こった想定外のことでありました。というのは、本当はイエス様と弟子たちの一行は、今までの仕事を終えて、さあ今から休もう、食事して休もう、そう思って小舟で湖を渡ったからです。ところが、その着いた先に大勢の群衆が先回りして自分たちを持っている、ということは、まさに自分たちは、押し寄せる人々から逃れられない、ということを知るときでもありました。このとき押し寄せてくる群衆は、一人ひとり、自分の願いというものを持っています。病気をいやしてほしい、とか、家族に取り憑いた悪霊を追い出してほしい、とか、何らかの願いを持っている人たちだったはずです。イエス様は、そうした群衆を避けず、ここで向き合っておられます。
そして、そのうちにだいぶ時間が経って、夕方になりました。そのとき、弟子たちがイエス様のところに来て次の様に言いました。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶ経ちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分でまわりの里や村へ、何か食べるものを買いに行くでしょう。」このような弟子たちの言葉は、もっともです。5千人以上いる群衆がいたまま夕方になり夜になれば、食べるものもないままに人々は放浪することになります。それでは無責任というものです。夕方のうちに解散させて、食べるものは各人がそれぞれに自己責任で買い求めるようにさせましょう、ということです。
これに対してイエス様は言われました。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と。弟子たちはそんなことは到底できませんから、それに対して、次のように言いました。「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と。二百デナリオンというのは、現代で言えば、200万円ぐらいと考えていただいて結構です。とにかく5千人以上の人たちに十分な食事を与えるとすれば、それぐらい出費が必要になるのですが、そんなお金はありません、と弟子たちはイエス様が仰られた言葉をまともに受けとめようとはしません。
イエス様は言われました。「パンはいくつあるのか。見て来なさい。」弟子たちが持っているパンは五つ、そのほかに魚が2匹でした。これは、12人の弟子たちとイエス様が食べる食糧でした。12人以外にもイエス様に従っていた人たちがいたとしたら、もっと多くの人、たとえば全体で20人ぐらいの一行だったかもしれません。その一行全員が食べる食糧が、五つのパンと2匹の魚ということだったのでしょう。すると、これはかなり節約した食事、というか、数少ない食べ物を10数人程度で分けて食べる食事になります。弟子たちは、そのようなつつましい食事をこれからしようとしていたのです。
本日の聖書箇所を読んでいて、私が最初に一番印象に残った言葉は、弟子たちが言った、次の言葉です。「人々を解散させてください。そうすれば、自分でまわりの里や村へ、何か食べるものを買いに行くでしょう。」なぜ、この言葉が印象に残ったかといえば、この言葉の冷たさに気づいたからです。この言葉は、一見したところでは、群衆たちが食べものがなくて飢えることがないようにと、気遣っているようにも思えます。
しかし、自分たちで食べ物を買いに行くでしょう、と弟子たちが群衆のことを言う、この言葉を読んだときに、私は、そこに何かの冷たさを感じました。そして、弟子たちのそのような冷たさはどこに理由があるのだろう、と思いました。そして、本日の箇所をもういちど読んでみますと、気が付きました。このとき弟子たちは最初の仕事が終わって人里離れたところへ行って、そこで休養して食事をとろうとしていたのです。ところが、その休もうとして行った先に群衆が先回りをしていて、イエス様の一行を待ち構えていたので、弟子たちは休むことも食事することもできなかったのです。
さらに、イエス様は群衆たちを見て、飼い主のいない羊のような様子と思われて、深く憐れみ、教え始められました。そんなイエス様の行動にひっぱられる形で、弟子たちはここで休むことも食事することもできず、いわば群衆とイエス様につき合わされていたのです。だから、夕方になったときに、もう、群衆を解散させましょう、彼らは自分たちの食べ物は自分たちで買いますよ、というときに、そこには、もういい加減にして、群衆を解散させて、自分たちでゆっくりと休みたい、ゆっくりと自分たちだけで食事したい、という気持ちがあったはずです。そのような弟子たちの食事は、どんな食事だったでしょうか。
本日の箇所では、弟子たちは五つのパンと二匹の魚を、群衆たちが帰ったあとで仲間内だけで食べようと考えていました。そのような弟子たちに対して、イエス様は、群衆を組みにして草むらに座らせるように言われます。そして、五つのパンと二匹の魚を割いて、祈りをもって配っていかれます。すると、イエス様の手から配られるパンと魚は、終わることがなかったのです。そうして群衆全体にパンと魚が配られました。それはもちろん、イエス様の弟子たちにも最後は必ず配られていたはずです。こうして、このとき、弟子たちは群衆の一部になって、群衆たちと一緒にイエス様のパンと魚をいただきました。そして、そのときに、本当の心からの満足を得たのです。最初に思っていた、弟子たちとイエス様だけで、五つのパンと2匹の魚を食事として囲む、その自分たちだけのいじましい食事ではなく、群衆と一緒になることで本当の満腹を得たのです。
このような本日の箇所は、私たちに何を伝えているのでしょうか。それは人によって受け止め方は様々だと思いますが、私は次のように思いました。これは、教会というもの、あるいはキリスト教というものが、社会のなかで大衆に出会うことによって、変わったという話だと思います。
イエス様の弟子たちがここで、自分たちだけの食事をいじましく行うのではなくて、イエス様を必要として追いかけてきた大勢の群衆たちに出会って、その中に入り、群衆のなかでパンと魚を配る仕事をして、そして弟子たちも群衆と一緒になって、みんなで共に食事することによって、弟子たちは変わっていったのです。それは、後の時代のキリスト教会が、群衆、あるいは大衆、あるいは民衆、というものと出会って、その活動の内容が変わっていったことを示しているのではないかと私は思います。この箇所では、イエス様がそのような出会いを導かれておられます。その出会いのなかで、弟子たちは大衆というものに出会って、変わっていくのです。それは、まさに教会というものが大衆に出会って変わっていく、ということと同じです。
本日の説教題は「神様にパンを願います」としました。それは、弟子たちは自分たちが持っているパンを自分たちだけで食べることを願ったのに対して、イエス様は、天の神様にお願いして、群衆たちと一緒にパンを食べることを願ったからです。自分たちが持っているパンを食べることだけを望むならば、神様にパンを願う必要はありません。けれども、大勢の人たちのためにパンを必要とするならば、そのときには自分の持っているパンを配るのでは到底足りないので、神様にパンを願うことになります。そのとき、私たちの心が神様によって変えていただけるのです。
一つの例をお話します。それは、京北教会の元になっているイギリスのメソジスト教会の歴史です。私たちが今礼拝している、この京北教会の源流は、イギリスで始まったメソジスト教会にあります。メソジスト教会とは、18世紀の産業革命によって生み出されたたくさんの工場労働者たちのすさんだ生活を助け、子どもたちを含めて人々の生活全体をよくして、救うという目的を持った教会でした。そのために、難しい神学を話すのではなく、神学を簡潔に短くまとめて活用しました。そして讃美歌をたくさん作り、たくさん讃美歌を歌うことによって工場労働者たちに伝道しました。教会学校を盛んにして、子どもたちの生活を守りました。そうしたメソジスト教会の歴史には、お堅い教会というものが、一般大衆の生活の変化の中に入り、大衆と出会い、そのことによって教会が変わっていく、新しい宣教の道筋を開いていく歴史でした。私たちの現代日本社会における教会もまた、そのような変化を必要としています。教会は、大衆と出会って、そこで働くことにより、本日の箇所のようにイエス様に導かれる姿へと変えられていきます。
本日は収穫感謝礼拝です。神様の御心にかなって、世界全体のすべての人々に自然の収穫が行き渡るように、そのために祈り、また、自分自身が持つ五つのパンと2匹の魚を献げましょう。
お祈りいたします。
神様、教会が様々な人々が集う場所、イエス様が飼い主のいない羊のような私たちを守ってくださる場となれますように、導きをお願いいたします。この祈りを、主イエス・キリストのお名前を通して、神様の御前にお献げいたします。
アーメン。
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