(教会の玄関近く)
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
「2018年6月10日(日)のこと」
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(教会玄関、以前撮影)
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2018年 6月10日(日) ブログ
聖 書 ローマの信徒への手紙 5章15〜30節
451 「くすしきみ恵み」
礼拝出席者数 25名
礼拝後 ・お茶と祈りのとき
ご家族を天にお送りした方や、
ご健康の事情で礼拝欠席した方や、
ご健康の事情で礼拝欠席した方や、
退院された方などを覚えて、
三人の有志の方々にお祈りいただきました。
感謝です。主の慰め、励まし、力づけが、
わたしたち、それぞれに豊かに与えられますように。
礼拝堂の花は、礼拝後に集会室へ。
ツリガネソウなどの花が、希望者にもらわれていきました。
ツリガネソウなどの花が、希望者にもらわれていきました。
今日は小雨の日でした。
少しひんやりして、寒さを感じた方もおられたようです。
それでも、一人また一人と、礼拝に来られる皆様を、
天の神様が見守って下さっています。
今日出席できなかった方々も、また来週、お会いしましょう。
週報掲載 <聖書と宣教のことば>
──礼拝説教を聴く準備としての、各人の黙想のために──
しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。
一人の罪によって
多くの人が死ぬことになったとすれば、
なおさら、神の恵みと
一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、
多くの人に豊かに注がれるのです。
この賜物は、罪を犯した一人によって
もたらされたようなものではありません。
裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、
恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、
無罪の判決が下されるからです。
ローマの信徒への手紙 5章 15〜16節
一人の人が罪を犯したからすべての人が罪人になるとの、
連帯責任のような罪の考え方が、
連帯責任のような罪の考え方が、
恵みの賜物とは、罪のゆるしだけではなく、
人の生活のすべてを、罪から光の方向へ変える力です。
(以下、追記)
主イエス・キリストによる、罪のゆるしとは、
人間を、罪の連帯責任のような考え方から解放するものでした。
どんな人だったのでしょう。
この箇所で、パウロが語っている論証は、
現代日本社会に生きている私たちには、
「わかるような、わからないような」感じの論理です。
けれども、パウロ自身が、かつて、
古い価値観にとらわれて暗い心で生きてきた、
その自分の罪が、主イエス・キリストによって、
ゆるされ、解放され、自由になったことの喜びが、
これらの言葉のなかに満ちていることは、
私たちにも、なんとか伝わってくるのではないでしょうか。
そうであれば、聖書を読む、ということの意味が、
今日もまた、立派に果たされていると思うのです。
梅雨に入って、たくさん雨が降り、
秋の実りへとつながっていきます。
秋の実りへとつながっていきます。
その雨の日の間に、晴れる日があって、
雨上がりのアジサイは、とてもきれいです。
午後、上賀茂の施設に入居中の方を訪問しました。
退院後、初めてお話できて良かったです。
退院後、初めてお話できて良かったです。
お話されるなかで、
「教会では弱い人を助けないといけないけど、
私にはその力がなくて……」とおっしゃいました。
「教会では弱い人を助けないといけないけど、
私にはその力がなくて……」とおっしゃいました。
ご自身の体調のことがあるなかで、
教会のこと、他者のことを考えておられる、
その言葉に、思いを感じました。
教会のこと、他者のことを考えておられる、
その言葉に、思いを感じました。
ご快復をお祈りいたします。
何があっても、
神様に祈るとき、
瑞々(みずみず)しい気持ちでいたい、
と思います。