京北教会ブログ──(2010.8〜2020.7継続中)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

2018年6月10日(日)のこと

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(教会の玄関近く)

<きょうほく・きょうかい>

「虹の架かる教会」京北教会ブログ

 「2018年6月10日(日)のこと」

 
本日の記事は、

この下の、数枚の写真の後にありますので、

ずっと下方にスクロールしてご覧下さい。
 

 
 以下は、過去(2010)のブログを読むときに便利な方法
 (パソコンで見る場合のみです。スマートフォンでは表示されません)
 
 ブログの右の欄の上のほうにある「最近のブログ」という文字を、
 クリックすると最近のブログが出てきます。
 
 右欄の中にある、「教会の四季や日常の歩み」「説教の断片など」
 「クリスマスシーズン」「京都教区の諸教会などへの訪問記」、
 などの各項目の文字をクリックすると、過去のブログを、
 それらのテーマ別に分けて読むことができます。
 
 右欄の、項目の最上段の、緑の字の「すべての記事」を、
 クリックすると、今までの全てのブログを順番に読むことができます。
 
 上記それぞれを開いたときに、ブログ欄外の上のほうに、
 赤く小さい字で「リスト」とあります。この文字をクリックすると、
 各記事の一覧表が出ますので、各記事をクリックして見られます。
 
 右欄のカレンダーの、年と月の表示の左右の三角印をクリックすると、
 年月を移動させて検索することができます。カレンダーの中で赤文字の
 日付けがブログを作成した日で、クリックでその日のブログが出ます。


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(教会玄関、以前撮影)

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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会
 
京都市 左京区 下鴨 神殿町 17-3
 
京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約8分


 
「京北教会ホームページ」を、
 
このブログとは別に作っています。

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よろしければ、下記アドレスか上の画像をクリックして、

どうぞご覧下さい!


 教会ホームページのアドレス
 ↓














 2018年 6月10日(日) ブログ




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2018年 6月10日(日)  京北教会 聖日礼拝

  聖 書 ローマの信徒への手紙 5章15〜30節

  説 教 「恵みは、ただ人を超える」今井 牧夫 牧師

  讃美歌21  11「感謝に満ちて」

       351「聖なるかな
    
         451 「くすしきみ恵み」
           
 
  礼拝出席者数  25名        
         
   
  礼拝後 ・お茶と祈りのとき

        ご家族を天にお送りした方や、

         ご健康の事情で礼拝欠席した方や、

         退院された方などを覚えて、

         三人の有志の方々にお祈りいただきました。

         感謝です。主の慰め、励まし、力づけが、

         わたしたち、それぞれに豊かに与えられますように。

          

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礼拝堂の花は、礼拝後に集会室へ。

ツリガネソウなどの花が、希望者にもらわれていきました。


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  今日は小雨の日でした。

 少しひんやりして、寒さを感じた方もおられたようです。

 それでも、一人また一人と、礼拝に来られる皆様を、

 天の神様が見守って下さっています。

 今日出席できなかった方々も、また来週、お会いしましょう。




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       週報掲載 <聖書と宣教のことば>
──礼拝説教を聴く準備としての、各人の黙想のために──


しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。


一人の罪によって

多くの人が死ぬことになったとすれば、

なおさら、神の恵みと

一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、

多くの人に豊かに注がれるのです。


この賜物は、罪を犯した一人によって

もたらされたようなものではありません。


裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、

恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、

無罪の判決が下されるからです。

          
    ローマの信徒への手紙 5章 15〜16節



ここで使徒パウロは、

旧約聖書の創世記に記された、

最初の人間アダムが神にそむいたことで

人間全体が罪人となったとの物語を元に語ります。


一人の人が罪を犯したからすべての人が罪人になるとの、

連帯責任のような罪の考え方が、

主イエス・キリストの十字架による、

罪のゆるしの到来によって変わりました。


恵みの賜物とは、罪のゆるしだけではなく、

人の生活のすべてを、罪から光の方向へ変える力です。





(以下、追記)

主イエス・キリストによる、罪のゆるしとは、

人間を、罪の連帯責任のような考え方から解放するものでした。


この文章を書いた使徒パウロは、

どんな人だったのでしょう。


この箇所で、パウロが語っている論証は、

現代日本社会に生きている私たちには、

「わかるような、わからないような」感じの論理です。


けれども、パウロ自身が、かつて、

古い価値観にとらわれて暗い心で生きてきた、

その自分の罪が、主イエス・キリストによって、

ゆるされ、解放され、自由になったことの喜びが、

これらの言葉のなかに満ちていることは、

私たちにも、なんとか伝わってくるのではないでしょうか。


そうであれば、聖書を読む、ということの意味が、

今日もまた、立派に果たされていると思うのです。





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梅雨に入って、たくさん雨が降り、

秋の実りへとつながっていきます。



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その雨の日の間に、晴れる日があって、

雨上がりのアジサイは、とてもきれいです。



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午後、上賀茂の施設に入居中の方を訪問しました。

退院後、初めてお話できて良かったです。



お話されるなかで、

「教会では弱い人を助けないといけないけど、

私にはその力がなくて……」とおっしゃ
いました。


ご自身の体調のことがあるなかで、

教会のこと、他者のことを考えておられる、

その言葉に、思いを感じました。


ご快復をお祈りいたします。




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何があっても、

神様に祈るとき、

瑞々(みずみず)しい気持ちでいたい、

と思います。