2017年1月17日(火)18:00
於 神戸栄光教会
主催 日本キリスト教団兵庫教区
★他に、京北教会牧師が、京都を中心に、
各地の様々な教会などを訪れた記録の、
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「あちこち訪問記」のコーナーをホームページに作っています。
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この日を記念する、ということかなあ、と考えました。
この日の会場の神戸栄光教会は、
阪神大震災のときに全壊しました。
それまで、毎週の礼拝に250名ほどが集われていた、
歴史ある大きな礼拝堂が震災で崩壊しました。
それから長い年月の祈りと奉仕により、
新しい礼拝堂を建てられました。
毎年行われる追悼礼拝に、今までは、多いときで500名、
少ないときで300名が出席してこられたと聞きました。
今回は233名とのこと。ときの経過を思います。
今回の追悼礼拝の呼びかけ文に、
以下の言葉がありました。
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巡り来るその日。
逃れたくても逃れられない悲しみ。
いくら時が流れても、澱(おり)となって沈み来る痛み。
できごとに向き合う歩みからつむぎだされる言葉と、
できごとに向き合う歩みからつむぎだされる言葉と、
祈りと、しらべとの中、
そこに、そのかたわらに身を置き続けること。
そのようなときを皆様と共にしたいと願いつつ
そのようなときを皆様と共にしたいと願いつつ
礼拝をささげます。
ご参集くださいますよう、お願いいたします。
ご参集くださいますよう、お願いいたします。
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(以上は案内チラシより転載)
説教者は京都教区の平安教会の宇野稔牧師。(向かって左側の方)
震災当時、兵庫教区の三役として労されました。
震災当時、兵庫教区の三役として労されました。
説教題は「あれから22年、まだ22年〜主にある希望を抱いて」。
聖書箇所はテサロニケの信徒への手紙2の2:16〜17。
みんなで讃美歌を歌い、祈りのことばを朗読します。
主催者に感謝して、
この日の礼拝の式次第を、以下に掲載させていただきます。
この日の礼拝の式次第を、以下に掲載させていただきます。
前奏 「日暮れてやみはせまり」(R.パークス)
招き 詩編62編3節
「神こそ、わたしの岩、わたしの救い、とりでの塔。
わたしは決して動揺しない。」
うた 「来たれ全能の主」讃美歌21-352
告白 被災教区の震災5年目の宣教にあたっての告白
(3月11日を心に刻みつつ)
黙祷
聖書 テサロニケの信徒への手紙2 2:16〜17
祈り (司式者)
うた フクシマ
説教 「あれから22年、まだ22年〜主にある希望を抱いて〜」
宇野稔牧師(京都教区・平安教会牧師、元摂津三田教会牧師)
祈り (説教者)
うた 「やすかれ、わがこころよ」讃美歌21-532
東北地方太平洋沖地震・津波・原発事故
被災者支援などのために
(被災者生活支援・長田センターを通じて)
祈り 「1月17日 人と自然の共存を祈る」
神さま、私たちが自然の中で生き、
生かされていることを感謝します。
でも、自分たちも大きな自然の中の一部であって、
その自然の中で生かされていることを
すぐに忘れてしまいます。
いつも人間だけが、
人間の知恵や力によって生きていて、その上、
自分たちが自然を支配しているかのように
勘違いしてしまいます。
あの大地震をとおして、
自分たちが考えている以上に
様々な支えや励ましがあったことを知り得た今、
私たちは自然に対しても、
支えられ、慰められ、共に生きている仲間であることを
覚えていきたいと思います。
決して人間が自然を支配しているものではない
ということを覚えるために。
アーメン
うた 「わが行くみち」讃美歌21-463
終祷 (説教者)
後奏 「ただ神にのみ ゆだねまつる者は」(J.S.バッハ)
報告
礼拝修了後、帰途に就きます。
ロビーや玄関あたりで、出席者同士で挨拶したり、
再会を喜んだり、様々な出会いがありました。
兵庫県庁の隣、大きな会堂です。
ライトに照らされたレンガの美しさ。
教会の塔の先端に、十字架があります。
「あれから22年、まだ22年」という説教題を思い起こします。
今回、初めてこの追悼礼拝に出席できたことを感謝し、
礼拝を準備された兵庫教区の皆様、また、
会場の神戸栄光教会の皆様に、感謝申し上げます。
ありがとうございました。