
<きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2016.7.24
「7月24日(日)のこと」
本日の記事は、
この下の、数枚の写真の後にありますので、
ずっと下方にスクロールしてご覧下さい。
─以下は、過去(2010~)のブログを読むときに便利な方法─
(パソコンで見る場合のみです。スマートフォンでは表示されません)
★ブログの右の欄の上のほうにある「最近のブログ」という文字を、
クリックすると最近のブログが出てきます。
★右欄の中にある、「教会の四季や日常の歩み」「説教の断片など」
「クリスマスシーズン」「京都教区の諸教会などへの訪問記」、
などの各項目の文字をクリックすると、過去のブログを、
それらのテーマ別に分けて読むことができます。
★右欄の、項目の最上段の、緑の字の「すべての記事」を、
クリックすると、今までの全てのブログを順番に読むことができます。
★上記それぞれを開いたときに、ブログ欄外の上のほうに、
赤く小さい字で「リスト」とあります。この文字をクリックすると、
各記事の一覧表が出ますので、各記事をクリックして見られます。
★右欄のカレンダーの、年と月の表示の左右の三角印をクリックすると、
年月を移動させて検索することができます。カレンダーの中で赤文字の
日付けがブログを作成した日で、クリックでその日のブログが出ます。


京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約8分
「京北教会ホームページ」を、
このブログとは別に作っています。
よろしければ、下記アドレスをクリックして、
どうぞご覧下さい!
どうぞご覧下さい!
教会ホームページのアドレス

週報掲載 「宣教のことば」
「渇く」と言われた。
こうして、聖書の言葉が実現した。
イエスはとらえられ、
偽りの裁判の結果として、
十字架にはりつけにされ、
十字架にはりつけにされ、
救われることなく、
命の終わりを迎えました。
聖書の言葉の実現としています。
(詩編22編16節の言葉の実現として)
示しているとも言えますが、
逆にこの22編の言葉によって、
十字架のイエスの死という、
どうしても受けとめることのできない、
その悲惨な現実のなかで、
残された人たちは聖書を開いて、
そこにある御言葉に頼ることによって、
神から答えが与えられました。
十字架のイエスの死の意味を問う者たちへの、
神からの答えです。

先週、三重県にお住まいの教会員のお見舞いに行きました。

現地の教会の礼拝に、客員として出席されています。
足を骨折され、リハビリなども含めて半年入院され、
やっと退院されたとのこと。
お会いすると、お元気そうにしておられ、ほっとしました。

高木美代子さん。
かつて京北教会で38年間牧師をされた、
故高木彰牧師のパートナーです。
ご本人の了解を得て写真掲載します。
100歳が近づいておられます。
今もお元気で、おしゃべりが大好きな方です。
毎日リハビリしながら、入居施設で生活されています。
ご自宅から近い施設で、良かったです。

お嬢さんとともに迎えてくださり、
楽しい時間を過ごしました。
お元気な様子に安心しました。
これからも、ご無理のない生活を願っています。

帰途につくときに、空にひこうき雲を見ました。
よく晴れた空に、どこまでも飛んでいきます。
人間は小さくても、あんな高くまで飛んで、
前へ前へと進んでいきます。
人間は歳月を重ねても、あんなに元気におしゃべりして、
前へ前へと進んでいきます。
暑い暑いとばかり言っていないで、
日々を充実させて、前へ前へと、
ゆっくりでいいから、
人と比較しなくていいから、
神様が備えてくださっている明日へ、
また一歩を踏み出してみましょう。