<きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2016.7.3
「7月3日(日)のこと」
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どうぞご覧下さい!
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週報掲載 「宣教のことば」
イエスがとらえられて尋問を受ける場面です。
よくわからなかったのですが、総督は結局、
一人の人に死罪を宣告することが、
こんないい加減な形でなされてよいはずがありません。
けれども、時代の雰囲気のなかで、
こんないい加減な形でなされてよいはずがありません。
けれども、時代の雰囲気のなかで、
社会の動向のなかで、民衆の心の動きによって、
こんな理不尽なことが現実に起こるのです。
こんな理不尽なことが現実に起こるのです。
この現実があるなかで、
神はどこにいるのでしょう。
死んだあとの天国ではなくて、
いま、ここに、わたしたちの間に、
すでに来ている、神の恵みの領域です。
すでに来ている、神の恵みの領域です。
そこでは、死に価するはずの者が、
生きるに価する者として、
神に見出され、救われます。
神に見出され、救われます。
イエスの十字架の死、そして復活を通して。
その、主イエス・キリストが語る希望の言葉を、
聴き逃しませんように……。