京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

4月13日(日)/教会の近くの桜

           <きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2014.4.13
 「4月13日(日)/教会の近くの桜」

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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会

京都市 左京区 下鴨 神殿町 17-3
京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約7分

京北教会のホームページを、
ブログとは別に作っていますので、
よろしければ、どうぞご覧下さい!

ホームページのアドレス







 
 本日のブログはここからです。

「4月13日(日)/教会の近くの桜







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  今日は、「棕梠の聖日」です。

  棕梠(シュロ)の聖日とは、
  主イエスが十字架に架かる一週間前に、
  主イエスを出迎えた都の群衆たちが、
  歓迎して棕梠の葉を持って振ったことに由来する名です。
  主イエスの十字架への一週間に入ることを意味します。

  今日から一週間、教会の暦は「受難週」。
  木曜日は「洗足木曜日」、
  金曜日は「受難日」。
  そして来週4月20日(日)はイースター(復活日)礼拝の日です。

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 2014年 4月13日(日) 京北教会 「棕梠の聖日」礼拝
  
  聖書 ヨハネによる福音書 16章 16~33節
  説教「散って出会えて」
  讃美歌21 19 「みさかえ告げる歌は」
                311(1-4節) 「ちしおしたたる」
                303 「丘の上の主の十字架」

  礼拝出席者数 32人

   礼拝後 ・いつものお茶
               ・教会会計監査


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 茶菓の用意をありがとうございました。
 手作りマーマレードケーキです。
 マーマレードが中に入っているのと、上に載せたものと2種類。
 教会庭の夏みかんの木から収穫した手作りマーマレードです
 美味しくいただきました。感謝いたします。

 

 お茶のあとの教会会計監査は、担当の方々にお願いして、
 書類を見ながらしっかり監査いただきました。
 会計役員の方々の記帳の正確さと、記録の仕方、
 実に注意深く確実に間違いないようにしておられることに、
 感動を覚えました。
 ありがとうございます。






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       週報掲載 <宣教のことば>
 
 「悲しみが喜びに変わる」──
 そんな日が来るのかなと思います。

 ヨハネによる福音書16章20節には、
 エスのその言葉があります。

 十字架の死を前にして、
 イエスはどうしてそう言えたのでしょうか。

 イエスの弟子たちは、しばしば自分の価値、
 自分たちの価値について考えてきました。
 イエスの価値についても、考えてきました。
 そして、弟子たち同士でケンカしたりもしました。

 自分の価値がどこにあるのか──
 そう考えると不思議なもので、
 自分はたいした存在じゃないと卑下したり、
 いやそれなりに生きてきたと自負したり、
 心の中で自分の価値が上がったり下がったりします。

 けれども本当は、自分の価値というものは、
 自分がいなくなったときになって、
 初めて明らかになる──
 そうではありませんか?
 (人生は終わったときに完成するとしたなら)

 そうすると、
 自分の価値というものは、
 そう簡単には定まらないもの、
 勝手に自分で決めることができないもの、
 そういうものでありましょう。

 主イエスに何の価値があるのでしょう。
 その言葉に何の意味があるのでしょう。
 それは十字架の死の後に明らかにされます。
 
 そこで、弟子たちの悲しみが喜びに変わったのです。

 そんなことがあるんですよ。
 いろいろな価値が、悲しみの後に変わるということが。
 生きることで、そのことを経験するんですよ。
 
 



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  桜がだんだんと散って、葉桜になっていきます。

 教会の前の児童公園の桜、
 今年も見事に咲いて、そして少しずつ散っていく。
 
 
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今週は受難週。
主イエスの十字架を想って、
自分と隣人のことを祈ろう。


わたしたちがすべきことは、
ちゃんと神様から与えられる。