「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2014.4.13
「4月13日(日)/教会の近くの桜」
本日の記事は、
この下の、数枚の写真の後にありますので、
ずっと下方にスクロールしてご覧下さい。
─以下は、過去(2010~)のブログを読むときに便利な方法─
(パソコンで見る場合のみです。スマートフォンでは表示されません)
★ブログの右の欄の「ここ2ヶ月のブログ」という文字を、
クリックすると最近の約2ヶ月分のブログが出てきます。
★右欄の中にある、「教会の四季や日常の歩み」「説教の断片など」
「クリスマスシーズン」「京都教区の諸教会などへの訪問記」、
などの各項目の文字をクリックすると、過去のブログを、
それらのテーマ別に分けて読むことができます。
★右欄の、項目の最上段の、緑の字の「すべて表示」を、
クリックすると、今までの全てのブログを順番に読むことができます。
★上記の仕方で開いたときに、ブログ欄外の上のほうに、
赤く小さい字で「リスト」とあります。この文字をクリックすると、
記事の一覧表が出ます。
★右欄のカレンダーの、年と月の表示の左右の三角印をクリックすると、
年月を移動させて検索することができます。カレンダーの中で赤文字の
日付けがブログ作成の日で、これをクリックするとその日のブログが、
表示されます。
ブログとは別に作っていますので、
よろしければ、どうぞご覧下さい!
ホームページのアドレス
本日のブログはここからです。
「4月13日(日)/教会の近くの桜」
今日は、「棕梠の聖日」です。
棕梠(シュロ)の聖日とは、
主イエスが十字架に架かる一週間前に、
主イエスを出迎えた都の群衆たちが、
歓迎して棕梠の葉を持って振ったことに由来する名です。
主イエスの十字架への一週間に入ることを意味します。
今日から一週間、教会の暦は「受難週」。
木曜日は「洗足木曜日」、
金曜日は「受難日」。
2014年 4月13日(日) 京北教会 「棕梠の聖日」礼拝
説教「散って出会えて」
讃美歌21 19 「みさかえ告げる歌は」
311(1-4節) 「ちしおしたたる」
303 「丘の上の主の十字架」
礼拝出席者数 32人
礼拝後 ・いつものお茶
・教会会計監査
茶菓の用意をありがとうございました。
手作りマーマレードケーキです。
マーマレードが中に入っているのと、上に載せたものと2種類。
美味しくいただきました。感謝いたします。
お茶のあとの教会会計監査は、担当の方々にお願いして、
書類を見ながらしっかり監査いただきました。
会計役員の方々の記帳の正確さと、記録の仕方、
実に注意深く確実に間違いないようにしておられることに、
感動を覚えました。
ありがとうございます。
週報掲載 <宣教のことば>
「悲しみが喜びに変わる」──
そんな日が来るのかなと思います。
イエスのその言葉があります。
十字架の死を前にして、
イエスはどうしてそう言えたのでしょうか。
イエスの弟子たちは、しばしば自分の価値、
自分たちの価値について考えてきました。
イエスの価値についても、考えてきました。
そして、弟子たち同士でケンカしたりもしました。
自分の価値がどこにあるのか──
そう考えると不思議なもので、
自分はたいした存在じゃないと卑下したり、
いやそれなりに生きてきたと自負したり、
心の中で自分の価値が上がったり下がったりします。
けれども本当は、自分の価値というものは、
自分がいなくなったときになって、
初めて明らかになる──
そうではありませんか?
(人生は終わったときに完成するとしたなら)
そうすると、
自分の価値というものは、
そう簡単には定まらないもの、
勝手に自分で決めることができないもの、
そういうものでありましょう。
主イエスに何の価値があるのでしょう。
その言葉に何の意味があるのでしょう。
それは十字架の死の後に明らかにされます。
そこで、弟子たちの悲しみが喜びに変わったのです。
そんなことがあるんですよ。
いろいろな価値が、悲しみの後に変わるということが。
生きることで、そのことを経験するんですよ。
桜がだんだんと散って、葉桜になっていきます。
教会の前の児童公園の桜、
今年も見事に咲いて、そして少しずつ散っていく。
今週は受難週。
主イエスの十字架を想って、
自分と隣人のことを祈ろう。
わたしたちがすべきことは、
ちゃんと神様から与えられる。