朝の礼拝堂。
お花を活けていただき、感謝です。

玄関受付に、新しい傘立てを置きました。
これは、先日横浜に引越された方が寄贈してくださったもの。
この傘立ては場所をとらず、たくさん入れることができ、
また、どっしりと安定していて、とても使いよいです。
寄贈いただき、どうもありがとうございました。
ここ数日、大雨が続き、全国的な雨の様相が気になります。
皆様、大丈夫ですか……。

写真は、先日の雨の日のスモークツリー。
教会員のお宅にて。

聖書 ルカによる福音書 9章10~17節
説教 「それは無理です、神様」
讃美歌21 493「いつくしみ深い」
579「主を仰ぎ見れば」
459「かいぬしわが主よ」
出席 25名
礼拝後 ・いつものお茶
・教区祈りのカレンダーによるハガキへの感謝の返信の作成
いくつかの教会から、京北教会を憶えて祈っていただいた、
寄せ書きのハガキをいただきました。感謝して返信を、
みんなで寄せ書きをして出しました。
<週報の「宣教のことば」欄より>
人里離れたところにおいて、
大勢の群衆たちが、
イエスの話を聴きに来ていました。
夕方になったとき、
五つのパンと二匹の魚しか食べるものがなく、
弟子たちはイエスに、群衆を解散させることを願います。
イエスから話を聴いていても、
群衆たちは腹をすかせると、
自分たちの現実を思い出して、
きっと、心がさめるでしょう。
弟子たちは、そう予期して、
それを避けようとします。
しかし、イエスは弟子たちに言われました。
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」。
弟子たちは反発します。
そこで、イエスは、
五つのパンと二匹の魚を手に取りました。
全員がそこから満腹するのです。
……これは解釈の難しい物語です。
しかし、どんな上手な解釈をしたところで、
結局、私たちは夕方になると腹をすかせる存在です。
腹をすかせたとき、自分の現実に気づき、
心がさめる、そんな弱い人間です。
ならば、この物語に、なにか上手な解釈を、
施していくことに意味があるでしょうか?
この物語は、腹をすかせたまま、
すなわち、解釈が未完のまま、
読み続ければよいのでありましょう。
聖書に記された奇跡は、解釈されるためではなく、
読む人に奇跡を起こすためにありますゆえ。
もうすぐ生後2ヶ月の赤ちゃんが、ご両親と共に二度目の礼拝出席。


ご夫婦で助け合って子育て中。

教会員が、あやしてくださった。
瞳を見つめながら。