桜が満開の中の京北教会。
春を示す桜が絶好調。
まだ寒い風も吹くが、
もはや後戻りをしない春が、
私たちを前に歩ませてくれる。
2012年 4月15日(日) 京北教会 聖日礼拝
聖書 ルカによる福音書 6章37~42節
説教 「あふれるほどに量(はか)ろう」
讃美歌21 425「こすずめも、くじらも」
458「飼い主、わが主よ」
459「信仰こそ我が身を」
出席者 28名
礼拝後
・こころで歌おう~新旧讃美歌一曲(自由参加)
讃美歌Ⅰ編─496 「うるわしの白百合」
・「お茶と祈りのとき」(お祈りは自由)
イースターの日の洗礼式の喜びのこと、
各人の近況や、礼拝に来ることのできない病身の方のこと、
生活(職場)の中で与えられている課題のこと、
身重の方のことなどを、
心に憶えて、三人の方に祈っていただきました。
そのうちお一人は、イースターに洗礼を受けられた方。
三人の方のお祈りの終わったあとに、
さらに近況と祈りの課題を教えていただき、
最後に牧師が祈りました。
みなさま、お祈りをありがとうございました!
言葉に出して祈られた方にも、
言葉に出さずとも、心の中で、
気持ちを合わせてくださった方にも、感謝。
美味しいケーキなど、茶菓をご用意いただいた皆様に感謝。
来週、22日(日)は礼拝後、まず軽食をいただいたあと、
2012年度定期教会総会。
会員の皆様、どうぞご出席をよろしくお願いいたします。
総会資料は既に週報棚に配布してあります。
下鴨散歩の記
桜。
どこにでも咲いているといえば、そうだが、
身近に桜があることは幸せなことではないだろうか。
こんなに素敵なのだから。
京北教会の正面には児童公園がある。
「萩(はぎ)児童公園」という。
上の写真の、向かって左側、公園内に桜の木が数本ある。
いま、満開。
大きな桜の木。
その向こうに教会。
教会もまた、この世界の中にあって、
自然の様々な恵みから祝福を受けている。
公園内から教会は上のように見える。
そして、この公園の中には下のような石碑がある。
土地区画整理竣工の記念碑。
実際に見ると、すごく大きく感じる。
その仕事をした人たちの誇りを感じるかのように。
この石碑に正対して、京北教会がある。
公園のモチノキの実の、深みのある赤が美しい。
この公園のあるおかげで、教会はいろいろと助かっている。
広い空間がここにあるおかげで、
教会が住宅街の中に隠れてしまわないでいる。
教会に来るときの目印にもなる。
その他もろもろ、この公園の存在は、京北教会にとって大きい。
秋~冬の時期には、イチョウの落ち葉が教会玄関など、
敷地に吹き込むので、それを掃除するのは大変です。
それでも、この公園は京北教会にとってありがたい。
来週は、この桜はどうなっているのだろう。
今日しか会えない桜に、今日出会ったのかもしれない。
「あなたがたには、自分の命がどうなるか、
明日のことはわからないのです。
あなたがたは、わずかの間 現れて、
やがて消えていく霧にすぎません。
むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、
あのことやこのことをしよう』と言うべきです。」
ヤコブの手紙 4章 14~15節
公園の外をふと見ると…
桜の花が飛翔して落ちて、「道」になっていた。
こんな「道」があるんだ。
春の道。
「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
働きもせず、つむぎもしない。
しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる、
野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたには、なおさらのことではないか。」
マタイによる福音書 6章 28~30節
もうひとつ、別のところへ…。
2012年 4月4日(水) 教会から自転車で10分ほどのところ。
何の花でしょう?
旧約聖書の1955年版口語訳では「あめんどう」と訳されている木の花。
そのころは日本では知られていない植物だったので、そう訳された。
アーモンド!
それは半世紀前には「あめんどう」と訳されていた。
アーモンド・チョコレートの発売は、その後だったのかな?
青空をバックに、美しく咲いていました。
道路東側の「ゆう薬局」のカドを疎水にそって東へ曲がり、
桜並木を見ながら、ず───っと東へ行き、
その道が高野川に突き当たる少し手前の、
ある駐車場の中に植えられています。
アーモンドという名を記した、木の札が付けられています。
駐車場の所有者の方、また、
木のお世話をしておられる方に感謝です。
説明書きが無ければ、多くの人にとっては、
アーモンドとは、わからないかもしれません。
桜の花に似た、美しい春の花。
春が来たことを知らせる自然の音信が、
私たちのすぐそばに来ている。
イエスの時代も、私たちの時代も、
そのことは変わらない。