<きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
「2019年3月31日(日)のこと」
「京北教会ホームページ」を、
このブログとは別に作っています。
2019年 3月31日(日) ブログ
聖 書 マルコによる福音書 6章 30〜44節
説 教 「主イエス様、パンのように」
今井 牧夫 牧師
今井 牧夫 牧師
讃美歌21 361「この世はみな」
120「主はわがかいぬし」
493「いつくしみ深い」
礼拝出席者数 24名
礼拝後 ・(第5日曜の礼拝後は茶菓の席の用意を休みます)
──礼拝説教を聴く準備としての、各人の黙想のために──
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、
飼い主のいない羊のようなありさまを深く憐れみ、
いろいろと教え始められた。
いろいろと教え始められた。
そのうち、ときもだいぶたったので、
弟子たちがイエスのそばに来て言った。
「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。
人々を解散させてください。
そうすれば、自分でまわりの里や村へ、
何か食べる物を買いに行くでしょう。」
これに対してイエスは、
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」
とお答えになった。
とお答えになった。
マルコによる福音書 6章 35〜37節
飼い主のいない羊のような群衆……。
それは、わたしたち人間を、
神の国の視点から、見つめたときの姿でありました。
おそらく、私たちの一人ひとりは、
自分がそこまで、心細い存在とは思っていません。
自分がそこまで、心細い存在とは思っていません。
そもそも、人間を羊にたとえるのは、
失礼なことにも思えます。
失礼なことにも思えます。
しかし、イエスにとって、
羊はとても大切な、身近な存在でした。
羊はとても大切な、身近な存在でした。
自分のすぐ近くにいる、いとおしい羊の群れに、
主イエスは自らをお与えになられるのです。
主イエスは自らをお与えになられるのです。
その恵みを、羊たちに行き渡らせる「教会」、
それもまた、羊の群れの働きです。
教会前の公園の桜が咲きました!
すでに満開の木もあります。
全体には7分咲きです。
見ていると、何だか圧倒される気がしました。
(以上6枚の写真は4月4日(木)撮影)
夕刻の桜もきれいです。
(4月3日(水)撮影)
気が付くと、同じ木を同じ構図で、
別の日にも撮影していました。
(4月1日(月))
少しの間に、花が開いたのですね。
日々前進。
夕方の桜、そして教会。
日によって、陽の光によって、
見え方が違い、それぞれの光景には、
違ったものが生まれます。
違ったものが生まれます。
教会と桜。
わたしたちの教会も、ちょっとずつ、
前へ歩み出したいもの。
前へ歩み出したいもの。
「桜の開花」ほどに着実ではなくても。
理屈ではなく、こんなふうに、
人を祝福してくれる桜のように、
人も、教会も、そうありたいなあと、
春の空の下で思いました。