京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

11月9日(日)のこと



  <きょうほく・きょうかい>

「虹の架かる教会」京北教会ブログ

2014.11.10

 「11月9()のこと


 
本日の記事は、

この下の、数枚の写真の後にありますので、

ずっと下方にスクロールしてご覧下さい。

 




     ─以下は、過去(2010)のブログを読むときに便利な方法

 (パソコン版で見るときに使える機能)


 
 ブログの右の欄の「ここ2ヶ月のブログ」という文字を、

 クリックすると最近の約2ヶ月分のブログが出てきます。

 
 右欄の中にある、

 「教会の四季や日常の歩み」「説教の断片など」

 「クリスマスシーズン」「京都教区の諸教会などへの訪問記」、

 などの各項目の文字をクリックすると、過去のブログを、

 それらのテーマ別に分けて読むことができます。

 
 右欄の、項目の最上段の、緑の字の「すべて表示」を、

 クリックすると、全てのブログを順番に読むことができます。

 
 上記の仕方で開いたときに、ブログ欄外の上のほうに、

 赤く小さい字で「リスト」とあります。

 この文字をクリックすると、記事の一覧表が出ます。

 
 右欄のカレンダーの、年と月の表示の、左右の三角印を、

 クリックすると、年月を移動させて検索することができます。

 カレンダーの中で赤文字の日付けが、ブログを作成している日で、

 これをクリックするとその日のブログが、表示されます。
 


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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会
 
京都市 左京区 下鴨 神殿町 17-3
 
京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約7
 
 
京北教会のホームページを、
 
ブログとは別に作っていますので、
 
よろしければ、どうぞご覧下さい!
 
 
ホームページのアドレス
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
本日のブログはここからです。
 
「11月9日()のこと


 





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教会庭の夏ミカンがあっという間に、

色づきが進みました。



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 秋が深まっていき、
 色はどんどん黄色くなりますが、
 夏ミカンの実際の収穫は来年の1月末です。
 マーマレードに適するようになるまで待ちます。

 秋の実りも、
 それを取り入れるのは秋とは限りません。

 しばらくの時間を、待つことに用いましょう。




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礼拝堂の花。様々な種類を美しく活けていただき、感謝。

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集会室の片隅にも。


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   2014119() 京北教会 聖日礼拝
 
    聖 書  サムエル記上 2111
    説 教  「片隅での献げ物」
    讃美歌21 494ガリラヤの風」
          482「わが主イェスよ」
                120「主はわがかいぬし」
 
          出席者数  35名
 
          礼拝後 ・「お茶と祈りのとき」
 
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   このときのために、
 ご両親の記念会(逝去された方を記念する会)を、
 今週に自宅で行われるご夫妻から、
 ご両親を記念して、お菓子の寄贈を、
 いただきました。ありがとうございます。
 
 そして、長野在住の方から、柿を送っていただきました。
 生の柿、樽柿(焼酎に渋柿をつけて甘くしたもの)、
 干し柿と3種類をいただき、ありがとうございました。

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 日曜日の朝、むく手間がたいへんなところ、
 素早く綺麗に出していただき、
 お世話になりました皆様に感謝です。

 お茶とお菓子と柿をいただいたのちに、
 個人消息や教会のこれからのことなど、様々に、
 祈りの課題を出し合って、3人の有志にお祈りいただきました。
 ありがとうございました!

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 今日はよく泣いていたね!
 


 

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      週報掲載 <宣教のことば>

     「主は何事も知っておられる神。

        人の行いが正されずに済むであろうか。」

                          (サムエル記上 2章3節)




 これは、ハンナという女性の、感謝の祈りの一節です。
 
 ハンナは、ある願い事をもって祈り、
 それがかなえられたときに、
 神様に感謝し、たたえて祈りました。
 
 一つの祈りから、次の祈りへと進む生活です。

 わたしたちの普段の生活は、このハンナのように、
 願い事の祈りから、ときを経て感謝の祈りへと進む、
 その間にある時間ではないかと思えます。
 
 願い事だけで終る祈りは、
 自己中心的な生活のなかの、
 独り言のようなものです。
 
 そうではなくて──
 自分にけじめをつける意味でも、
 願ったことが、その後どうなったかを考えて、
 過去を振り返って感謝を献げましょう。
 
 そこできっと、ハンナが祈ったように、
 「人の行いが正さ」れていきます。
 
 祈って、振り返って、また祈って、
 その生活のなかで、
 自分の行いが正されていきますように。
 そう願います。

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この日の午後、遠方のホームに入居されている方を、
車で訪れました。

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見晴らしがよくて、とてもいい部屋で、
のびのびとしておられました。

とてもお元気にされており、
訪問を大変喜んでくださいました。
久しぶりにお会いできて感謝です。

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教会からの寄せ書きカードを、
部屋にはって下さっていました。
うれしく思います。
励まされているのは、
カードを送るほうかもしれません。

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近況をおしゃべりして、
讃美歌「うるわしの白百合」と、
「いつくしみ深き」をみんなで歌って、
お祈りをして、ホームをあとにしました。

車で帰るわたしたちを、
ホームの玄関を出て、
手を振って見送っていただきました。

部屋に、聖句がかけてありました。
洗礼を受けられたときにいただいた聖句とのこと。

 
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「いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

これこそ、キリスト・イエスにおいて、

神があなたがたに望んでおられることです。」


         テサロニケの信徒への手紙1 5章16〜18節