<きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2014.10.7
「10月5日(日)のこと」
本日の記事は、
この下の、数枚の写真の後にありますので、
ずっと下方にスクロールしてご覧下さい。
─以下は、過去(2010~)のブログを、
読むときに便利な方法─
(パソコンで見る場合のみで、スマートフォンでは表示されません)
★ブログの右の欄の「ここ2ヶ月のブログ」という文字を、
クリックすると最近の約2ヶ月分のブログが出てきます。
★右欄の中にある、
「教会の四季や日常の歩み」「説教の断片など」
「クリスマスシーズン」「京都教区の諸教会などへの訪問記」、
などの各項目の文字をクリックすると、過去のブログを、
それらのテーマ別に分けて読むことができます。
★右欄の、項目の最上段の、緑の字の「すべて表示」を、
クリックすると、全てのブログを順番に読むことができます。
★上記の仕方で開いたときに、ブログ欄外の上のほうに、
赤く小さい字で「リスト」とあります。
この文字をクリックすると、記事の一覧表が出ます。
★右欄のカレンダーの、年と月の表示の、左右の三角印を、
クリックすると、年月を移動させて検索することができます。
カレンダーの中で赤文字の日付けが、ブログを作成している日で、
これをクリックするとその日のブログが、表示されます。
京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約7分
京北教会のホームページを、
ブログとは別に作っていますので、
よろしければ、どうぞご覧下さい!
ホームページのアドレス
本日のブログはここからです。
「10月5日(日)のこと」
礼拝堂の花。教会庭の花を活けていただき、感謝です。
2014年 10月5日(日) 京北教会 聖日礼拝
「世界聖餐日」礼拝
1940年に北米から教派を超えて始められた礼拝で、
戦争へ傾斜していく世界の教会が、この日には、
ともに聖餐式を行おうと提唱されました。
戦後、広く世界で行われています。
聖 書 ローマの信徒への手紙 14章 1~12節
説 教 「われら主にありて」
讃美歌21 18「こころを高くあげよう」
521「とらえたまえ我が身を」
433「あるがまま我を」
81「主の食卓を囲み」(聖餐式)
礼拝出席者数 38名
・岡山市から家族で来られた方々がありました。
京北教会牧師が岡山でお世話になった方々です。
よく来てくださいました。うれしかったです。
岡山でお元気でお過ごしください。
聖餐式の意味については、
京北教会ホームページの「礼拝のしおり」ページに、
簡単な解説を掲載しています。
そして、聖餐式のある日の週報には毎回、
以下の案内を掲載しています。
…………………………………………………………………………………
★聖餐式 ( せいさんしき )について
本日は、礼拝中に短く、聖餐式を行います。
これは、主イエス・キリストが、
自らを「パンとぶどう酒」で現し、
それを食する弟子たちは、
これから主イエス・キリストと共に、
生きるものであることを表す式です。
この意味を知って与かるべき式として、
すでに洗礼を受けた方にのみ、
パンとぶどう果汁を配餐します。
聖餐式を信仰への招きを聴く機会と受けとめて、
このとき、この場に共にいてくださるよう願います。
神様を信じる道である洗礼は、
誰にでも開かれた道であり、
自らの重荷を降ろしていく道です。
いつでもご遠慮なく、
牧師に受洗をご相談ください。
洗礼を受けて、主と共に、
教会と共に、歩んでいきましょう。
礼拝の朝早く、聖餐式の用意をしていただいて、
布をかけておきます。ご準備の役員の方々に感謝します。
今日は初めて、タイピンタイプのワイヤレスマイクを、
聖餐式のときに用いました。式文の言葉がよく聞こえたと、
好評でした。
今日のお昼御飯は、秋の味覚の炊き込み御飯。
サツマイモ、キノコなどです。おいしくいただきました。
朝からご準備いただいて、感謝です。
漬け物とおつゆ、それから種のないマスカットも、
ありがとうございました。
教会庭の酔芙蓉(すいふよう)。
食事後に、第2回バザー委員会を行い、
売り場などの役割分担をいたしました。
みなさまのご協力の申し出に感謝申し上げます。
バザーは10月26日(日)正午~2時に京北教会で行います。
どうぞみなさま、いらしてください。
販売のための物品寄贈も大歓迎です。
上と下の写真は昨年のバザー会場。
先日は、庭で大きな鉄板で焼きそばを焼くための、
木のきれはしをたくさんいただきました。感謝です。
みなさまの願い、祈り、工夫、参加、励まし合いで、
わたしたちの教会のバザーは成り立っています。
今年から特に、教会建物の改修工事費用のために、
バザー収益を全額そのために用いることにしました。
教会の雨漏りを直して、礼拝堂を大切に使い続けるためです。
ご協力をいただければ、たいへん幸いに存じます。
恵みをともに!!
週報掲載 <宣教のことば>
どんな人でも、
新しいことを始めるときは、
無から有を生み出すのではなく、
既にあるものを土台としています。
仮に過去のすべてのものを拒否したくても、
それらを無にして新しいことはできません。
けれども、過去をどのように重んじるか、
どの程度にそれをするかについては、
人の意見は分かれます。
難しいところかもしれませんね。
一人ひとりが、自分が確信することを、
お互いに大切にすることがよいのでしょう。
教会も、そうなのだと思います。
ローマの信徒への手紙14章を読んでいて、
そう思わされました。