<きょうほく・きょうかい>
「虹のかかる教会」京北教会ブログ
2012.12.2 「12月2日(日)のこと/リース作りのこと」
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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会
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ここからが本日のブログです。
2012年 12月2日(日)
「12月2日(日)のこと/リース作りのこと」
12月2日(日)から教会の暦が待降節(たいこうせつ)に入ります。
この時期はアドベントと呼ばれます。「現れる」時期の意味。
イエス・キリストのお生まれであるクリスマスを待つ4週間。
この時期にはアドベントの飾り付けをします。
12月1日(土)に有志で飾り付けを行いました。
クリスマス・リース作り。玄関や壁にかけます。
クリスマス・ツリーの設置。葉がちらばるので掃除も。
2012年 12月2日(日) 京北教会 聖日礼拝
聖書 ルカによる福音書 12章35~48節
説教 「ともしび」
讃美歌21 231「ひさしく待ちにし」
497「この世のつとめ」
433「あるがまま我を」
出席者数 32名
礼拝後 ・軽食 ハヤシライスとお漬け物。
美味しくいただきました。
・12月定例役員会
クリスマス行事のこと等を話し合いました。
今日の礼拝に、教会の近くを偶然通りかかったご家族3人が、
参加してくださいました。うれしかったです。歓迎!
教会ってこんなところです。
どうぞまたいらしてください。
─本日の説教の断片─
聖書 「腰に帯をしめ、ともしびをともしていなさい。
主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、
すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
…(中略)…
あなたがたも用意していなさい。人の子は、
思いがけないときに来るからである。」
(注・「人の子」とはイエス様が御自身を指して使われる言葉)
クリスマスを待つ4週間を、教会の暦でアドベントと言います。
毎週、礼拝ごとにローソクを一本ずつともしていきます。
四本がともるとクリスマスとなり、時が満ちたことになります。
それと反対に、ローソクを一本ずつ消していく礼拝の仕方が、
イースター(復活日)礼拝の前の時期にあるとも聞きました。
教会のこうした伝統的な儀式は、ともしび、というものが、
「とき」と「命」を象徴していることを示しています。
ときが流れること、命が満ちること、
そして、逆に命の輝きが減じることを通じて、
新しい命への希望が満ちること。
聖書の物語に心動かされて、ともしびに祈りを託した、
昔々の教会の人々の気持ちは、今日に受け継がれています。
今日の聖書の箇所には、目を覚まして神の救いを待ち望み、
そのためのともしびを消さずに待ち続けることの大切さが、
たとえ話を通じて、イエス様から教えられています。
この話では、夜遅くに帰ってくる家の主人を待つ、
しもべが眠りこけてしまわずに、ともしびをつけて待っている、
そうした姿に、「信仰」ということの意味が重ねられています。
なるほど、私たちの姿勢はそういうものでありたい。
しかし、私たちが消さずにともし続ける、
そのともしびとは、具体的には何のことでしょうか。
教会ではともしびは、「とき」と「命」を表すものです。
ならば、時間を大切にして、自分の命を大切にして、
眠りこけずにしっかりした心でいれば、
それがともしびを消さずにいることか、とも思います。
けれども、時間を大切に…、命を大切に…、
単にそうしたことであれば、
別にイエス様にわざわざ言われなくたって、
ふだんから、誰だってそうしていると思います。
では、今日の聖書で言われている、ともしびとは何でしょう。
それは、イエス・キリストのことです。
私たちの罪を負って十字架で死なれたイエスの姿は、
自ら燃えて消えていく過程で全ての人を照らす、
ともしびにたとえられます。
陽光のように強くはない、小さなともしび。
それゆえに、陽光の届かないところにも来てくれる灯り。
ときと命の歩みを、不断に刻みながら、
私たち一人ひとりと共にいてくれる灯り。
その灯りである、イエス・キリストを、
一人ひとりの心から消さずに、ともし続けていましょう。
神の救いは、突然にやってくるのですから、
そのとき、それを受けとめるための灯りがなければ!
─リース作りのこと─
11月30日(金)に、自宅でリース作りをしておられる教会員の、
自宅の仕事場にお招きいただきました。
新作リースの撮影のために。
このブログへの写真掲載を了解いただき、感謝です。
「今年でリース作りは最後にします」とのことです。
素材のドライフラワーを作ってくれていたお友達が、
そのお働きを閉じることになったこと等が理由だそうです。
小型のリース。
小さくても、色の輝きは鮮烈です。
そして…
大型のリース。これは初夏を思わせる色彩。
品格のある紫。
青の基調の中で紅が映えるリース。
「リース作りは今年で、もう最後にするのよ。
だから、写真とってくださね」。
ありがとうございました。
近年、足がご不自由になられ、
最近は礼拝に来ることが困難になり、
自宅でずっと過ごされています。
ご夫妻で助け合って、元気な心でおられます。
リースを作られるようになったのは30年以上前。
友人に請われて初めてリースの個展をした30年前に、
案内として書いた手紙を、今も壁に貼っておられます。
(上の写真をパソコンのデスクトップにコピペしたあと、
その写真を開けて拡大すると、大きく表示して読めます)