この場所に掲載していましたが、
ブログ分量を整理するために、
6月3日付ブログに場所を移しました。
(または、以下のアドレスでご覧下さい)

京北教会の、
庭のナンテンの実。逆光の中で紅が輝く。
今日は、降ったり晴れたり、なんだか天候の変化が忙しい。
降ったかと思うと、そのあとにさんさんと陽の光。
こういう日もある。
今日は、2011年度の最終の日曜日。
そして、京北教会の、
創立記念日。(記念礼拝は先週行いました)
創立103年目に突入。
ブログのタイトルも「~103年目の歩み」と改めました。

雨上がりのツバキの花。雨滴が付いた花に、陽の光が木洩れ日のように、
背後から射して花びらを光らせている。

雨滴を載せて、光らせている。
晴れたり降ったりの日だから撮れる写真。
年度の終わり、3月の終わりの、
良い一日でした。
2012年3月25日(日) 京北教会 聖日礼拝
聖書 ルカによる福音書 6章27~36節
説教 「それが善であること」
讃美歌21 155「目を上げ我は仰ぐ山々」
313「愛するイェス」
494「ガリラヤの風」
出席 26名
礼拝後 ・こころで歌おう~新旧讃美歌一曲(自由参加)
讃美歌1編 130番「喜べや讃えよや」
・いつものお茶の時間
・受洗準備会 (希望者一名、役員一名、牧師の三人で)
4月8日(日)イースター(復活日)礼拝の中で、
洗礼式を行う。今日はその準備の会をもった。
簡単なプリントを用意して、
お話させていただいた。

窓の外では、晴れたり曇ったり降ったり、
本当に今日の天候は変化が忙しかった。
その中での受洗準備会。
昨日、そのために用意するプリントの文章を書きながら、
いろいろなことを考えた。
いろいろなことを考えると、
文章はどんどん長くなっていく。
それを整理して、読み直して、また書き直して、
…できるだけ短く簡潔にまとめていく。
本当に大切なことは何かと、確かめていくような気持ちで。
私たちが、今日において、信じて生きていくことについての、
教会が語る教えとは何かと、考えながら。
今日、ご出席いただいた皆様、ありがとうございました。
楽しく、有意義な時間でした。

今日の全ての会が終わり、
皆さんが帰っていかれたあと、
ぼんやりしていると、
ふと、ずいぶん以前のことを、
なぜだか、突然に思い出した。
京北教会に来るときよりもはるか昔…
ブログ筆者が、愛媛県の教会にいたときに、
役員のTさんという方がおられ、
その方が、「3月」という時期について、
言っておられた言葉だった。
「わしはなあ…どうも、この3月ごろの空気が、
好きになれんでなあ…。それはなあ、この3月のころの景色の、
なんともいえん『しろ~い感じ』が好きになれんのや。
なんや、はっきりせん感じでなあ。」
…という言葉。
3月という時期には、空気や景色が、
「なぜか、いつもより、ぼ~っと白く見える感じがする」という意味。
これは、3月の空気や景色に、
白い色がついているという意味ではない。
寒い冬が終わったが、まだ元気な春は来ていない、
そんな、なんとなく中途半端な気候の時期に、
ふわりと射してくる陽の光のもとで、
景色や空気が、ぼんやりと白く見える…
ように感じるとのことだった。
わかる。
1年間を過ごした、年度の終わりに、
何かぼんやりとした、ごくごく軽い虚脱感のようなものを感じ、
景色や空を見たときに、確かに「白い」ような何かを感じる。
その言葉を言った方は、ご夫婦で酪農を営んでおられ、
また畑で野菜を作り、年中忙しくしておられる方だった。
朝4時に起きて牛の世話。1日2回の搾乳。
毎日、50頭の牛の世話があるので、旅行に出ることも難しい。
お嬢さんの結婚式の日には、牛の世話を近くの同業者に頼んで、
ようやく、まる1日をあけることができた。
そんな生活の中、教会役員を数十年つとめてくださっていた。
夏も冬も関係なく、季節に耐えて、
体を動かし続ける、
忙しい日々を1年間過ごしていたがゆえに、
年度の終わりの3月の、穏やかな、
「まどろみ(かすかな眠り)」を誘うような気候が、
あまりお好きではなかったのかなぁとも思う。
あるいは、年度末には、いろいろな仕事の区切りがつくが、
まだ新年度の活動には入れない、「しばらく何もなし」という、
この時期独特の感覚のせいだろうか…。
私が四国から岡山に転任が決まって引越をするとき、
大型トラックを借りて、自ら運転して荷物を運んでくださった。
あれも確か、3月の終わりの「しろ~い感じの空気」の中だった。
最後まで、本当にお世話になった方だった。
そして、私が転任してちょうど1年後に天へ召されていかれた。
思いもよらない病気で。あれは、確か3月の末。
そして、イースターの日曜日の午後に、
ご葬儀が行われたと記憶している。
岡山の教会で、それらの知らせを聞いたことを覚えている。
あれから、ずいぶんと時間が経った今日、
イースターのことを思うなかで、
その方の「3月の白い空気」という言葉を思い出した。
イースターは、過去の記憶の想起のときでもあり、
未来への希望を持つときでもある。
人の命を動かす力を持つ神への信仰を持つときである。
「3月の白い空気」を打ち破って、
まどろみを打ち破って、
イースターの日がやってくる。
今年は4月8日(日)。

夕刻の京北教会。
2011年度最後の日曜日がもうすぐ終わります。
1年の実りを、神様に感謝いたします。