京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

<日本キリスト教団 大阪教会を訪れて>(震災救援の報告会)

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 2012年 3.11東日本大震災を覚えての会
 
(1)大阪教区主催の祈りの会(礼拝と講演会)
 
 2012年 3月9日(金)午後6~8時に、
 日本キリスト教団大阪教会を会場に行われました。
 奥羽教区(青森・岩手・秋田)の議長が来られ、
 講演してくださいました。
 出席76名(大阪教区63名、京都教区・兵庫教区から13名)。
 
 
 
(2)京都教区 教師一泊研修会(信徒も参加可) 
 
 2012年 2月28~29日(火~水)に、
 嵐山の、嵯峨野コミュニティセンターを会場に行われました。
 東北教区(仙台・山形・福島)の副議長が来られ、
 二日に渡り講演してくださいました。
 出席約40名(約30名の教師と約10名の信徒)
 
 

   
   ——日本基督教団 大阪教会を訪れて─
 
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 大阪教会での礼拝と講演会。
 
 講演前に、大阪教区議長のご挨拶。
 その後に、奥羽教区議長から、
 ムービー画像を用いての被災地の現状説明、
 そして講演をいただきました。
 
 大阪教会の礼拝堂は大きく、
 煉瓦造りのしっかりした、
 歴史的建築物です。
 
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    煉瓦のアーチが随所にある素敵な礼拝堂です。
 
 阪神淡路大震災のとき、   
     この大阪教会礼拝堂も大きな被害を受けました。
 
 歴史ある、美しい、素晴らしいこの礼拝堂は、 
 同時に、阪神淡路大震災痛みを、
 身を以て知っている礼拝堂です。
 
 そこで皆様と共に礼拝し、講演を聞きました。
 
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 礼拝堂で、ムービー画像が映し出されました。
 被災直後の宮古教会の礼拝堂です。 
 
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 その後、奥羽教区議長の講演を聴いた。
 
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                (夜だったので教会外観は撮影しませんでした)
 
  被災地にも、大阪教会にも、
   神様の恵みが豊かにありますように!

  


 
 
 
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 京都教区「教師一泊研修会」の報告
             2013年2月
 
  京都教区教師研修会は、2月末に、東日本大震災と教会」をテーマに、
 嵐山のコミュニティ嵯峨野(全国手話研修センター)で開催。 
 
 
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 部屋がぎっしりと埋まりました。
 「教師研修会」ですが、信徒の方々約10名も、
 講演時などに出席してくださりました。
 感謝です。
 
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 講師のために飾られたお花。
 教師部委員の一人(男性)が用意して持ってきてくださった。
 小さな花瓶と共に。
 
 東北に学生として住んでいたときに、
 この日の研修会講師である仙台の牧師から、
 洗礼を受けた方だった。
 
 
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 半年前にブログ筆者が撮影した、気仙沼港。
 当時、廃墟となった建物が立ち並んでいた。
 今もそうであるとのこと。
 

 
 
 ─今日の京北教会週報の「宣教のことば」欄より─
 
 
 
 3月11日という日付を見ると、東日本大震災を思い起こします。
 
 現地だけではなく日本各地で、追悼のための行事が行われます。
 
 どこにおいても、誰しもが、追悼と復興への決意をすることが、
 
 求められているのでしょう。
 
 しかし、自分の無力さを思うときに、私たちは、
 
 そんな決意ができるでしょうか。
 
 
 昨年、震災のことを考えながら、聖書を読んでおりますと、
 
 旧約聖書の「哀歌」の様々な言葉が目に止まりました。
 
 
 「海のように深い痛手を負ったあなたを誰がいやせよう」(2章13節)
 
 「水は私の頭を越え、もう最後だと私は思った」(3章54節)
 
 
 これらは戦禍の中でまちが壊滅し、
 
 人の命が失われていく様を記した言葉です。
 
 
 そして、次のようにもあります。
 
 
 「立て、宵の始めに。
 
 世を徹して嘆きの声をあげるために。
 
 主の御前に出て、水のようにあなたの心を注ぎ出せ」(2章19節)
 
 
 震災に対して、何も語ることのできないときには、
 
 聖書の言葉の中に自らを沈めて、
 
 みことばに思いを託して、
 
 ただその言葉をもって、
 
 私たちの追悼としたく思います。
 
                  

 
 
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 写真は昨年4月18日に行った、京都南部地区の、
 「東日本大震災を心に刻み、共に祈るつどい」。
 会場は京北教会。
 
 祈りのときに入る前に、
 司会者が、次のように言った。
 
 「あまりにひどい震災の前に、
  何も祈る言葉が出てこない方は、
 『被災地の方々の、夢が、かないますように』とだけでも、
 祈ってくださったら、幸いです。」
 
 悲惨な現実の中で、祈りの言葉など、何も見つからない、
 その中で司会者の心に、
 ふと浮かんだ、一つの祈りの言葉だった。
 
 あのとき、被災地において、
 「夢」など、あったのだろうかとも思う。
 しかし、神の力が働くとき、
 人は夢見る力を失わない存在であることを、
 私たちは聖書から教えられている。
 
 だから、今も、その祈りを祈りたい。
 ささやかな連帯を続けていくためにも。