謹賀新年。
京都では、比較的おだやかな気候のお正月となりました。
教会の庭の夏ミカンが色づいてから、早2ヶ月。
1月29日(日)礼拝後に、みんなで収穫する予定。
毎年数百個を収穫して、女性会の皆様がマーマレードにします。
皆様のご苦労に、感謝申しあげます。
2012年1月1日(日) 新年(元旦)礼拝
聖書 イザヤ書 40章 1~5節
説教「本当に新年が来た」
讃美歌21 361「この世はみな」
252「羊は眠れり」
458「信仰こそ旅路を」
出席者 18名
礼拝後に行事やお茶などは無し。
午後2時から、京都南部地区の「新年合同讃美礼拝」が、
同志社女子大の栄光館にて行われました。出席170名。
みなさま、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
新しい年がよい年でありますように。
みんなで、そういうふうにしていきましょう。
京北教会 牧師 今井牧夫
写真は、昨年9月に気仙沼を訪れたときのもの。
大島に渡る船内から、船にとまったカモメを撮影。
曇った空の下で遠くを見ているカモメ。
何を見ていたのだろう。
クリスマス・カクタスという花の鉢を飾りました。
この、礼拝堂の中央扉には、ある物語が残されています。
京北教会に初めて訪れた1人の牧師、
彼は京北教会に主任牧師として迎えられるかどうか、
そのことを教会役員の方々と話し合うために、
そして初めてこの教会で礼拝説教をするために、
やってきました。
その日は、12月第1日曜日。4年前の今日……。
教会玄関に入り、そこで受付をしていた教会員に、
彼は、爽やかに、「こんにちは!
どうぞよろしくお願いいたします!」
と元気よく声をかけたあとに、
玄関からスリッパを履いて中に入り、
中央扉を手前にひっぱって勢いよく開けたのでした。
(当時、小さい机は扉の前に置かれていませんでした)
すると、どうなったかというと!
扉の上にかけられていた、手作りのクリスマス・リースが、
扉の戸にあたって、勢いよく、手前に跳ね上がるようにして飛び、
そして床に落下して、バーン! という音と共に壊れ、
リースに丁寧に付けられていた飾りが飛び散りました。
「うわっ!」と声があがり、その後に、沈黙の時間……。
この中央扉は、結婚式や葬儀式など以外のときは、
締め切っている扉だったのです。
それを知らなかった彼は、
この扉を開けて礼拝堂へ入ろうとして、
思わぬ粗忽者(そこつもの)になってしまいました。
「そこつもの」とは何でしょうか。
国語辞典によれば、「そそっかしい人」、
また「おっちょこちょいな人」とあります。
落ちたクリスマス・リースは、
教会員が拾い上げて飾りを直して再び飾られました。
それ以来、この中央扉の前には、
小さい机を置き、花を飾ることが習慣となりました。
粗忽者を二度と出さないために。
彼はその後、どうなったのでしょうか。
4年前のことを思い出しながら、ブログを書いています。
粗忽者であり続けながら。
アドベント、それは、幸いが現れることを待つとき。
思い出のなかで、そのことを感じます。