今日は、教会創立102周年記念礼拝を行った。
礼拝の中で聖餐式をした。
写真は式で使うグラス。洗って乾かしているところ。
被災地の教会の方々が聖餐式を行うとき、何を思われながら聖餐にあずかるのだろうか。想像できない。恵み深きときになりますように。
創立記念礼拝の後には、昼食会。美味。お赤飯ってやっぱり良い。お祝いの気分。
食事後に、讃美歌をテーマに自由な語り合い。讃美歌を四曲歌った。
1954年版「讃美歌」から、191「いともとうとき」、291「主にまかせよ汝が身を」、234A「昔主イエスのまきたまいし」。それから、現在使用している「讃美歌21」から、563「ここに私はいます」。
そのあと、みんなで、それぞれにとっての印象深い讃美歌についての思い出を語り合った。
久しぶりに来られた方、遠方から来られた方とも共にみんなで良いときを過ごした。
創立記念礼拝はうれしいとき。
同時にいまは震災の被害に世界が揺さぶられているとき。
そして教会の暦は受難節。
こんなときに、わたしたちはなぜ讃美歌を歌うのか、どんな讃美歌を歌うのか。いろいろなことを考えて、歌う讃美歌を選ばせていただいた。
こんなときだからこそ、讃美歌を歌おう。
それは現実逃避ではなくて、現実に一歩一歩近づいていくことだから。
今日から、私たちは教会で、震災募金を行うことにした。
昨日は、教会にあったカセットコンロとガスボンベを東北に送るために、A教会に運んだ。
日本海側のN教会が集積地になってくださるので、全国からそこへ送ってからまとめて被災地に運ぶそうだ。
そして全国の教会から大量に品物が届いたので、いったん受付を打ち切るとの報告が昨晩深夜にA教会からあった。
たくさんの方々の気持ちが形になって、支援物資が届けられたことを知ってうれしかった。
被災地との間に立って支援を調整してくださる方々の労苦と祈りに感謝。
A教会にも、N教会にも、祈る人たちがいるのだ。
そして私たちの京北教会にも。
祈る心を持ちながら、讃美歌の歌詞を見ていると、ことばが心にしみた。
「しのびて春を待て 雪はとけて花は咲かん」
「なやみは強くても みめぐみには勝つを得じ」
(讃美歌291番歌詞の一部)
震災のことを思いながらの創立記念礼拝の一日が過ぎゆく。
今日の礼拝後の昼食会でのご馳走。
作ってくださった皆様に感謝。おいしくいただきました。
被災地の食卓にも、いつかこんな、きれいなご馳走の皿がならんで、それをみんなが囲んで食べることができる日の来ることを願いつつ。