(京都霊園内にある教会の納骨堂)
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
「2018年 10月21日(日)永眠者記念礼拝・墓前礼拝」
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2018年 10月21日(日) ブログ
2018年 10月21日(日) 京北教会
永眠者記念礼拝
永眠者記念礼拝
聖 書 マタイによる福音書 18章 10〜14節
説 教 「どこにいても御手に」今井 牧夫 牧師
讃美歌21 493「いつくしみ深い」
434「主よ、みもとに近づかん」
451「くすしき みめぐみ」
讃美歌21 493「いつくしみ深い」
434「主よ、みもとに近づかん」
451「くすしき みめぐみ」
385「花彩る春を」
礼拝のなかで「追悼のとき」を持ちました。
永眠者名簿の朗読、讃美歌21-385番、
オルガン奏楽のなかで短い黙想のとき
礼拝のなかで「追悼のとき」を持ちました。
永眠者名簿の朗読、讃美歌21-385番、
オルガン奏楽のなかで短い黙想のとき
礼拝出席者数 56名
遠方からの方々など、様々なご遺族の方が多く来られました。
また、初めて京北教会の礼拝に来られた方々もおられました。
どうぞまたいらしてください。
どうぞまたいらしてください。
礼拝後 ・軽食
・1時に教会を貸切バスで出発して、
京都霊園内の教会納骨堂で納骨式と墓前礼拝。
・1時に教会を貸切バスで出発して、
京都霊園内の教会納骨堂で納骨式と墓前礼拝。
今日は「永眠者記念礼拝」といって、
先に天に召された、
教会の先輩方たちを記念する礼拝の日です。
先に天に召された、
教会の先輩方たちを記念する礼拝の日です。
要望があれば、そのご家族の方々なども記念しています。
(「永眠者」「逝去者」「召天者」など、教会によって表現は様々です)
礼拝中の写真をいただきましたので、
感謝して掲載させていただきます。
感謝して掲載させていただきます。
今日は出席者がとても多かったです。
遠方からの方々など、ご遺族の方々が多く来られました。
また、今日が永眠者記念礼拝だからでなく、
初めて京北教会の礼拝に出席された方々もおられました。
こうして、様々な皆様と共に礼拝できること、
幸いです。
幸いです。
これは、礼拝前、9:30ごろの写真。
朝から、昼食の炊き込み御飯の用意をいただき、
みなさまのご奉仕に感謝申し上げます。
朝から、昼食の炊き込み御飯の用意をいただき、
みなさまのご奉仕に感謝申し上げます。
本当に、みなさまのお支えがありがたいです。
炊き込み御飯で、ちらし寿司のようにトッピングがあり、
ご飯には鯖が入っていて、とても美味しかったです。
ありがとうございました!
礼拝後、みんなで美味しくいただきました。
昼食後、1時前に貸切バスで教会を出発。
18名乗りで、補助席を出すと最大24名乗車できます。
18名乗りで、補助席を出すと最大24名乗車できます。
京都霊園まで50分程度で到着します。
その一画に京北教会の納骨堂があります。
見晴らしがよいところに建てられています。
礼拝堂に活けていた秋明菊を、こちらにも持って来ました。
この日は3名の故人の納骨式と墓前礼拝を行いました。
墓地に滞在する時間はそう長くないのですが、
爽やかな気持ちで、天を仰ぐこころになりました。
爽やかな気持ちで、天を仰ぐこころになりました。
墓前礼拝から帰ってきて、
礼拝堂の写真台などを仕舞う片付けを行い、
礼拝堂の写真台などを仕舞う片付けを行い、
4時過ぎに皆様が帰られました。
今日一日、穏やかで、心豊かに、
皆様が過ごされたことを願っています。
「わたしたちの国籍は天にある。」
(ピリピ人への手紙4章17節、口語訳聖書)
(ピリピ人への手紙4章17節、口語訳聖書)
京北教会納骨堂には、
この聖書の言葉が刻まれています。
この聖書の言葉が刻まれています。
いま使っている新共同訳聖書では、
「わたしたちの本国は天にあります。」
となっています。
「わたしたちの本国は天にあります。」
となっています。
自分の思いを超えたところにある、
神の国につながって、
自分の人生、生きていきたい、です。
神の国につながって、
自分の人生、生きていきたい、です。
──礼拝説教を聴く準備としての、各人の黙想のために──
あなたがたはどう思うか。
ある人が羊を百匹持っていて、
その一匹が迷い出たとすれば、
九十九匹を山に残しておいて、
その一匹が迷い出たとすれば、
九十九匹を山に残しておいて、
迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
はっきり言っておくが、
もし、それを見つけたら、
もし、それを見つけたら、
迷わずにいた九十九匹より、
その一匹のことを喜ぶだろう。
そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、
あなたがたの天の父の御心ではない。
マタイによる福音書 18章 12〜14節
この箇所はマタイによる福音書の18章1節から始まる、
主イエス・キリストの説教の一部です。
その1節では弟子たちが「いったいだれが、
天の国でいちばん偉いのでしょうか」とイエスに尋ねています。
弟子たちは、天国でさえも人間の地位や名誉が重んじられ、
人間の優劣が現れると思っていたのです。
主イエス・キリストの説教の一部です。
その1節では弟子たちが「いったいだれが、
天の国でいちばん偉いのでしょうか」とイエスに尋ねています。
弟子たちは、天国でさえも人間の地位や名誉が重んじられ、
人間の優劣が現れると思っていたのです。
しかし、天の国とは、そんなところではありません。
「一人でも」滅びずに、神に捜され、
見つけ出され、再会を経験するところにあります。
それは、いわゆる「天国」とかの話とは違っています。
小さな者たち──である私たちにとって、
いま生きている日常のなかにある、
いま生きている日常のなかにある、
小さな神の国が、いかに大切か、そう思います。
(教会庭の酔芙蓉)
来週の日曜日、京北教会のバザーです。
京北教会バザー
2018年 10月28日(日) 正午〜14:00
2018年 10月28日(日) 正午〜14:00
恵みをともに!
皆様のおいでをお待ちしています。
皆様のおいでをお待ちしています。
どんなバザーなのか、
その様子をご覧になりたい方には、
下記のアドレスをクリックいただくと、
過去のブログが開きますので、どうぞご覧下さい。
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(2016年10月のバザーのブログ報告)
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画面上で、このアドレスをクリック!
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