「虹の架かる教会」京北教会ブログ
「2018年8月12日(日)のこと」
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(教会庭の夏ミカン)
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2018年 8月12日(日) ブログ
聖 書 出エジプト記 32章 1〜18節
説 教 「迷える小羊を愛するか、否か」今井 牧夫 牧師
讃美歌21 206「七日の旅路」
434「主よ、みもとに近づかん」
451「くすしき みめぐみ」
讃美歌21 206「七日の旅路」
434「主よ、みもとに近づかん」
451「くすしき みめぐみ」
礼拝出席者数 27名
礼拝後 ・お茶と祈りのとき
この日、初めて礼拝に来られたご家族が、
お茶のときまで残ってくださりました。
ご挨拶の言葉もいただき、
本当にありがとうございました。
うれしく思いました。
「教会の礼拝」に初めて参加された御母様と、
学校で礼拝出席するお子様に、
天の神様の御守りと導きをお祈り申しあげます。
また、機会を作って礼拝にいらしてください!
──礼拝説教を聴く準備としての、各人の黙想のために──
分からないからです。」
出エジプト記 32章 1節
民衆は、モーセがなかなか戻ってこないことに、
不安を感じていました。
旅する民衆は、リーダー不在で孤独をも感じていたでしょう。
そして、自分たちの心の安心のために、
新しい何かの神々の像を造ることを求めます。
民衆は金の耳輪を外して溶かし、
金の子牛の像を造ります。
金の子牛の像を造ります。
(金の子牛の上に、目に見えない神様が乗ると考えたようです)
その像に献げ物をし、その像に向かって礼拝し、
祭りを行い、食事をして戯れました。
そのあとに、モーセが帰ってきたのでした。
自分たちのために、
自分たちが納得できるような、
ちょうどいい「神」を自分たちで造って拝む。
それは自然な人間の姿ではありますが、
虚しさもあります。
今日、信仰とは何か、
主イエス・キリストに聴く心でありたい。
台風が過ぎて青空が見えるようになると、
また猛暑です。
また猛暑です。
それでも、以前よりは、
暑さの具合が、少しマシになった気がします。
暑さの具合が、少しマシになった気がします。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
教会庭の、夏ミカンの実がだんだん大きくなり、
実が垂れ下がってきました。
(最初は、実が上を向いた形でなり始めるのです)
実が垂れ下がってきました。
(最初は、実が上を向いた形でなり始めるのです)
花が少ない夏の教会庭で、
ふと、綺麗な花が咲いているな、と思って見ると、
サルスベリの木から落ちた花が、
落ちたところの葉に乗っているのでした。
ふと、綺麗な花が咲いているな、と思って見ると、
サルスベリの木から落ちた花が、
落ちたところの葉に乗っているのでした。
ぱっと見だと、そこに、
小さな花が咲いているように見えます。
小さな花が咲いているように見えます。
本当には、上から落ちてきた花であっても、
十分に綺麗に感じました。
十分に綺麗に感じました。
教会庭の、本物のサルスベリの花。
夏にふさわしい、元気な色に思えます。
夏にふさわしい、元気な色に思えます。
その元気な色が、地面の砂利の上に落ちても、
輝いています。
輝いています。
教会から出すカードに書く言葉を、
「暑中〜」から「残暑お見舞い申し上げます」に変えました。
「暑中〜」から「残暑お見舞い申し上げます」に変えました。
もう、そういう時期に来ました。
長くて暑い夏。
心のマラソンをしているような気にもなります。
心のマラソンをしているような気にもなります。
峠は越えたのでしょうか。