京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

2016年11月27日(日)待降節第1聖日

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 <きょうほく・きょうかい>

「虹の架かる教会」京北教会ブログ

2016.11.27

 「2016年11月27日(日)待降節第1聖日

 
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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会
 
京都市 左京区 下鴨 神殿町 17-3
 
京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約8分




 
「京北教会ホームページ」を、
 
このブログとは別に作っています。


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 ↓2016年 11月27日(日) ブログ




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  2016年 11月27日(日)  京北教会  待降節 第1聖日礼拝


  聖書 ヨブ記 42章 1〜9節

  説教 「あの方が祈ってくださる

  讃美歌21 231「ひさしく待ちにし」
 
          441「信仰うけつぎ」

        460(1-4番)「やさしき道しるべの」 

  出席者数   25名        
         
  礼拝後 ・お茶のとき

        お仕事で京都に来られた名古屋のご夫婦が、

        HPを見て礼拝に来てくださいました。

        お茶のときにも参加いただき、感謝です。

        また機会があれば、いらしてください。


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      4本のローソク待降節(アドベント)の時期には、

      毎週の日曜日の礼拝で、1本ずつ、ともし火を、

      増やしていきます。今日は1本目をつけました。





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        週報掲載「宣教のことば」

      ─礼拝説教を聴く準備としての、黙想のために─



「あなたのことを耳にしてはおりました。

 しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。

 それゆえ、わたしは塵(ちり)と灰の上に伏し

 自分を退け、悔い改めます。」  ヨブ記 42章 5〜6節


 
 教会の暦が待降節(アドベント)に入りました。

 クリスマスまでの四週間のことです。

 (注・アドベントとは、ラテン語から来た言葉で、

 「到来する」「現れる」という意味です)

 
 この時期、主イエス・キリストの降誕を、

 待ち望む思いで、教会は歩みます。


   旧約聖書には、それぞれの時代の困難のなかで、

 神に救いを待ち望み続けた、

 人々の信仰が記されています。

 その人々は、なぜ、将来に救いが来たると、

 信じることができたのでしょう。

 
 それは、日々の生活において、

 すでに神が自分たちと一緒におられ、

 すべてのことを導いてくださっている、

 という信仰があったからです。

 
 しかし、旧約聖書ヨブ記の物語のように、

 その信仰が現実に直面して、

 壊れていくこともあります。


 そしてヨブのように、

 神に悪態をつくのが、

 およそ人間の実相でありましょう。


 けれどもヨブは最後に、

 それまでの自分を神の前で退けて、

 悔い改めます。


 徹底した自己否定ができるのは、

 ただ神の前でだけでした。

 それが惨めなヨブの待ち続けた救いです。


 待降節は、救いを待ち望むときです。

 わたしたちは、それぞれの思いで、

 それぞれに救いを待っていいのではありませんか。

 それぞれのやり方で、自らを悔い改め、

 この待降節の期間を、過ごしてみましょう。


 


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土曜日に、役員と有志で、

アドベントの教会飾り付けをしました。

11人がご奉仕しました。

みなさまのご協力に感謝申し上げます。


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 からをぬぐように わたしらも いまは

 おもいわずらいを うちすてよう

 あいがやどり むねはさわやかに

 めぐみあふれよ あたらしいとし

     (讃美歌 第2編151番、クリスマスから新年への歌)

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 教会庭の秋明菊が、もう最後でしょうか、

 きれいに咲いていました。秋から冬へと変わる、いま。


 古いものは、いらなくなって消えるのではなく、

 最後まで、自らを全うして去っていきます。


 その姿が、新しいことが現れつつある、

 「いま」という時間の意味を、表します


 人間として、そんなふうに生きてみたい。