京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

寒くても教会は新年会

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朝、7時半ごろ。牧師住居の窓を開けて、南の方向を見る。
地には雪、雪、雪。
 空には、朝焼け。

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 今年度3回目だろうか。朝起きて窓をあけると雪。それほどつもっているわけではないが、やはり驚く。寒い。はたして今日は人が来るのだろうか…と思ったが、礼拝出席は24名。いつも通り。初めての方も来られた。歩行に何かの困難がある方たちは特に、雪の日は礼拝に来られないのでは、と思っていたが来られた。車で送迎してくださる方もある。一人ひとりのお気持ちがうれしい。身体の調子などで来ることのできなかった方達からの連絡もあった。教会は毎週、いろいろな方を心にとめて忘れないところである。

 今日は礼拝後に、教会新年会をした。お正月が過ぎて落ち着いたこの時期に毎年、新年会をしている。三が日や年始の忙しさが残っているころには、なかなか皆さん集まりにくいもの。ゆったりとするには1月第3日曜日がよいだろうということでこのときに実施している。

 ものすごく寒い今日、礼拝後に熱々の豚汁、その他の昼食をご用意いただいた。美味、そして体が温まった。寒い雪の日に礼拝のために集まった一人ひとりに、暖かな励ましだった。雪の朝から準備をしてくださった皆様に心から感謝。

 食事の後に、今日のゲストの方から、経験に基づいた話として、加齢などに伴う記憶力などの機能低下の予防に役立てさせられる身近なアイデアということで、簡単な表やルールに基づいての「簡単でおもしろい数字計算の遊び」を繰り返しすることで、記憶力の低下などを防止できることについてお話をうかがった。豊かな例話や経験談の数々を楽しませていただきながら、簡単な法則にのっとりながら繰り返し数字の計算に創意工夫をもって取り組むおもしろさと、実用的な有益さが伝わってきた。お話のあとには皆さんから質問や笑い話がいろいろ出て、予定の午後1時をオーバーしても誰も帰らなかった。

 このお話のために喜んで来ていただいたゲストの方に、心より御礼申し上げます。この新年会、みんなが楽しい気持ちになりました。

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 教会の生け垣につもった雪の写真と、今日の朝焼けの空の写真を、ここに並べてみた。

 何の関係も無いといえば無いのだけれども、二枚の写真を見ていると、

 雪と雲って、不思議と似ていると感じた。

 かたや地面の上の小さな小さな光景。かたや空の上の大きな大きな光景。

 けれども、それぞれに自然が創り出した形や色に、不思議と相通じるかのような、似たものを感じることもある。

 雲も雪も、もともとは水。その水が大きな自然の中で、それぞれの場にみあった形、色になり、そして光を映し出す。そこに似通ったものが生まれてくることは、当たり前のことではあるけれども、「当たり前!」の一言ですまして自然の光景を見過ごしたり通り過ぎたりしていることが、私たちにはたくさんあるのではないだろうか。

 大きなものも、小さなものも、自然のものはみな何かのつながった力によって存在しているのだろうか、と感じる。

 人間も、その中にいる。その不思議さと恵みの暖かさ。

 旧約聖書の「天地創造」の物語は、世界や人間を神が創造したとする、ひとつの物語として読んで、その解釈は各人にゆだねるしかないものだけれども、そして無理な解釈をする必要はないけれども、読む人の詩的な心を豊かに活かして解釈することは、とても意味があると思えるときがある。

 天然の世界の美しさと、そこにある深みに気づくときである。

 内村鑑三(近代日本の思想家・キリスト教独立伝道者)は、「自然」という言葉よりも「天然」という言葉を重んじたと読んだことがある。自ずからそこに存在している「自然」よりも、天がその存在を成り立たせている「天然」という言葉のほうが、より真実を表しているということである。

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 まだちらちらと粉雪の舞っている晴れた午後に、私たちの教会は日曜日の働きを終えて散会した。寒いですね、とお互いに言葉をかけあいながら教会の玄関を出て、一歩一歩それぞれの家路へと向かった。

 家路はみなそれぞれに違うのだが、どこに帰っていっても、そのいる場において、いつも不思議とつながっている自然界の一員として、私たちは神様によって、つながっている。

 このブログも、その恵みを証しするものでありたい。

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 天然のこの紅い花のひとつほどにも、美しく映えることはなくても。




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