<きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
「2019年4月14日(日)から“受難週”」
「京北教会ホームページ」を、
このブログとは別に作っています。
2019年 4月14日(日) ブログ
聖 書 マルコによる福音書 15章 33〜47節
説 教 「人の傷と神様を知る」 今井 牧夫 牧師
讃美歌21 210「来る朝ごとに」
311(1〜4番)「ちしおしたたる」
451「くすしきみめぐみ」
礼拝出席者数 21名
礼拝後 ・お茶のとき ・教会会計監査
──礼拝説教を聴く準備としての、各人の黙想のために──
「わが神、わが神、
なぜわたしをお見捨てになったのですか。」
マルコによる福音書 15章 34節
今週は教会の暦で「受難週」です。
主イエス・キリストの、
十字架の死に至る一週間を覚えて過ごすときです。
十字架の死に至る一週間を覚えて過ごすときです。
今週の木曜日は「洗足木曜日」といって、
イエス様が弟子たちと最後の晩餐を行い、
弟子たち一人ひとりの足を、
イエス様が洗ってくださったことを覚えます。
イエス様が洗ってくださったことを覚えます。
イエス様がパンとぶどう酒をご自身にたとえて、
祈って皆で分け合った式も、この日のことでした。
そして金曜日を「受難日」として、
イエス様の十字架の死を覚えます。
こうして私たちは、イースター(復活日)が、
次週の日曜日に来ることを待ち望みつつ、
この一週間、主の受難を心に刻みます。
十字架に打ち付けられ、群衆にあざけられながら、
主は、その命を失います。
その前に、主が叫ばれたのが上の言葉です。
神の子が十字架で死ぬ、その意味は何だったのでしょう。
教会は、その計り知れない意味を、
自ら担って、主の復活にあずかります。
なぜ、と問いつつ。
桜には、それぞれの花の育ち方があり、
満開になって散った木があり、
葉桜になって美しい木もあり、
葉桜になって美しい木もあり、
ゆっくりつぼみがふくらむ木もあり、
それぞれのようです。
教会前の公園。
遊ぶ子どもたちの歓声。
遊ぶ子どもたちの歓声。
桜は満開を迎え、やがて葉桜へ。
すっかり散った木もあります。
今週は教会の暦で「受難週」。
主イエス・キリストの十字架を思います。
わたしたち一人ひとり、
それに似た何かを担いながらの、
この一週間。
それに似た何かを担いながらの、
この一週間。
みなさまの日々の祈りが、
豊かになりますように。
豊かになりますように。