
(教会庭の酔芙蓉)
<きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
「2017年10月1日(日)世界聖餐日礼拝」
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2017年 10月1日(日) ブログ

(礼拝堂にて。教会庭の秋明菊)
2017年 10月1日(日) 京北教会
「世界聖餐日」礼拝
「世界聖餐日」礼拝
聖 書 ルカによる福音書 10章 38〜42節
説 教 「違うはずだった小道を」
讃美歌21 3「扉を開きて」
394「信仰受け継ぎ」
403「聞けよ、愛と真理の」
81 「主の食卓を囲み」
・礼拝のなかで聖餐式を行いました。
・礼拝のなかで聖餐式を行いました。
礼拝出席者数 29名

この日は教会の暦で「世界聖餐日」です。
第2次世界大戦の直前に、世界大戦が始まらないように、
世界の教会が一つとなって祈るために始められ、
この日に聖餐式(せいさんしき)を行います。
いつも下記の文章を週報に掲載しています。
★聖餐式について
本日は礼拝中に短く聖餐式を行います。
これは主イエス・キリストが
「パンとぶどう酒」で自らを表し、
それを食する者が
主と共に生きることを表す式です。
その意味を知ってあずかっていただくため、
すでに洗礼を受けた方にのみ、
パンとぶどう果汁を配餐します。
未受洗の方には、この聖餐式の場を、
万人を招く神様の御心のなかにあって、
洗礼を受けるまであえて待つ機会として、
この場に共にいてくださるよう願います。
神様を信じる道である洗礼は、
誰もが自らの重荷を降ろしていく道です。
いつでもご遠慮なく牧師に受洗を相談なさってください。
主イエスと共に、教会と共に、
前に広がる道を歩みましょう。
礼拝後 ・軽食
・第2回バザー準備を話し合う会 22名出席
・第2回バザー準備を話し合う会 22名出席
日程や準備内容をみんなで話し合いました。
教会員だけでなく、教会に集う皆様に、
参加いただきました。バザー当日に向けて、
皆様のご協力をよろしくお願いいたします!
今年の教会バザーは、10月29日(日)正午〜2時です。
どうぞいらしてください!

(教会庭の酔芙蓉)
週報掲載 <宣教のことば>
──礼拝説教を聴く準備としての、各人の黙想のために──
「一行が歩いていくうち、イエスはある村にお入りになった。
すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
彼女にはマリアという姉妹がいた。
マリアは主の足元に座って、その話に聞き入っていた。
マルタは、いろいろのもてなしのため、
せわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った、
せわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った、
『主よ、わたしの姉妹は、
わたしだけにもてなしをさせていますが、
何ともお思いになりませんか。
手伝ってくれるようにおっしゃってください。』
主はお答えになった。
『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、
心を乱している。
しかし、必要なことはただ一つだけである。
マリアは良い方を選んだ。
それを取り上げてはならない。』」
ルカによる福音書 10章 38〜40節
いろいろなことがありすぎて、
自分がしなければならないことに、
追われすぎている人に、
必要な言葉とは何でしょう。
マルタもマリアも、そしてイエス様も、
ここでそのことについて考えています。
これはみんなの課題です。
マルタが愚かだった、というのが結論ではありません。
そうではなくて、自分の歩むべき道について、
大きな道ではなくて、隠れた小道を探すべき自分の、
本当の道が何であるかを、この物語は、
読む人の一人ひとりに問うているのです。
誰だって、バタバタとしたくて、してるわけじゃありません。
賢い人と比較されて、損な役を演じたいわけでもありません。
もてなしの料理のためだけに、心を乱しているわけでもなくて。
神の国の福音を聴きたいのに、
なぜか聴けない、自分自身の心にバタバタしている、
そういうことではないでしょうか。

1941〜1979年に京北教会牧師であられた、
故高木彰牧師の妻、高木美代子姉。
お元気で、快活にしておられ、
私たちの訪問を喜んで下さりました。
記憶も鮮明で、昔の京北教会のこと、
いまの近況のことなど、たくさんおしゃべりができて、
うれしく思いました。
「わがたましいを愛するイェスよ」など、
思い出深い讃美歌をいろいろ歌ったあと、
最後にご自分から、
京北教会のためにお祈りしてくださいました。
ご家族の皆様のお支えも含めて、
この日、お会いできましたことに感謝申し上げます。