教会の庭の酔芙蓉(すいふよう)。
<きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2016.9.25
「9月25日(日)のこと」
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教会ホームページのアドレス
週報掲載「宣教のことば」(礼拝前の黙想のために)
「心の貧しい人々は、幸いである。
天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである。 その人たちは慰められる。 柔和(にゅうわ)な人たちは、幸いである。 その人たちは地を受け継ぐ。 義に飢え渇く人々は、幸いである。 その人たちは満たされる。」 マタイによる福音書 5章3〜6節
ここで言われる「心の貧しい人々」とは、
どのような人々でしょうか。 そのあとに続く言葉と合わせて考えてみると、
「悲しむ──柔和な──義に飢え渇く」といった言葉と、 深くつながったところに、 この「心の貧しい」という言葉があると思えます。 それは、自分が「心豊かな人」とは思えない、 何かを背負った人々です。
心に欠けがある者、でありましょう。
では、私たちはどのような人々なのでしょうか。
自分が「心の貧しい人々」の一人であることに、
気づいているでしょうか。 今日は、「お茶と祈りのとき」のあとに、
10月末に行う「教会バザー」に向けた準備をしました。 看板書き。
食券作り。
皆様、ありがとうございます。
「教会バザー」は、10月30日(日)正午〜2時に行います。
ご協力を皆様にお願いいたします! そのあと、この日は、牧師と役員などの有志で、 施設に入居した教会員、Oさんを訪問しました。 お元気にしておられ、お会いできて、良かったです。 久しぶりに、様々なお話ができました。感謝。 またお会いしましょう。 秋の日々のなかを、わたしたちは過ごしています。
あれこれ、想いつつ。
まだまだ、暑い日々が続いていますが、それでも、
秋らしさを少しずつ感じるようにもなってきました。
それは、教会の庭の、酔芙蓉の花が、
たくさん咲いている様子を、見ていても思います。
この花は、一日の内に、白から赤へと、
色が変化していきます。そのことに驚きます。
(もちろん、目の前であっという間に変わったりはしませんが)
9月半ばに咲き出して、10月のバザーの前に散ってしまいます。
その短い期間に、しっかりと、素晴らしく、
花の命を咲かせます。
……わたしたちも、そうではありませんか。
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。 すべてのことに感謝しなさい。 これこそ、キリスト・イエスにおいて、 神があなたがたに望んでおられることです。」 テサロニケの信徒への手紙1 5章16〜18節
先週一週間、聖書のこの言葉を、深く味わいました。
様々なことを振り返りながら。
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