<きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2016.3.20
本日の記事は、
この下の、数枚の写真の後にありますので、
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─以下は、過去(2010~)のブログを読むときに便利な方法─
(パソコンで見る場合のみです。スマートフォンでは表示されません)
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「クリスマスシーズン」「京都教区の諸教会などへの訪問記」、
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それらのテーマ別に分けて読むことができます。
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★上記の仕方で開いたときに、ブログ欄外の上のほうに、
赤く小さい字で「リスト」とあります。この文字をクリックすると、
記事の一覧表が出ます。
★右欄のカレンダーの、年と月の表示の左右の三角印をクリックすると、
年月を移動させて検索することができます。カレンダーの中で赤文字の
日付けがブログ作成の日で、これをクリックするとその日のブログが、
表示されます。
京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約7分
「京北教会ホームページ」を、
このブログとは別に作っています。
よろしければ、下記アドレスをクリックして、
どうぞご覧下さい!
どうぞご覧下さい!
教会ホームページのアドレス
本日のブログ内容はここからです。
「3月20日(日)のこと」
説教 「命を豊かに受けるために」
讃美歌21 311(1-5番)「ちしおしたたる」
298「ああ主は誰がため」
575「球根の中には」
出席者数 28名
礼拝後 ・お茶のとき
インフルエンザで入院されていた方が、
無事に退院して、1ヶ月ぶりに出席されました。
良かったです。
また、札幌にお住まいの方がご家族の関係で、
京都を訪れたとのことで、礼拝に来られました。
東京の聖公会の神学校で勉強されて、
将来に向けて歩んでおられるとのこと。
今後の主の導きをお祈りいたします。
コーヒーとケーキ。
ご用意をありがとうございました。
週報掲載 「宣教のことば」
私が来たのは、羊が命を受けるため、
しかも豊かに受けるためである。
私は良い羊飼いである。
しかも豊かに受けるためである。
私は良い羊飼いである。
良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
教会の暦で「受難週」という一週間があり、
今日はその最初の日で「棕櫚(しゅろ)の聖日」といいます。
主イエス様が都に来たとき、民衆が棕櫚の葉を振って、
歓迎したからです。しかし、その週にイエスは捕らえられ、
今度は、同じ民衆からあざけられ、十字架で死なれます。
最初は歓呼して迎えた民衆が、
なぜ一転して十字架のイエスをあざけったのでしょうか。
人の心の闇を思います。
人は怖い。本当に恐ろしい。
希望を持つ心の半面には、いつだって、心の闇があります。
その闇は、誰の心の中にもあるものでしょう。
イエスは羊飼いにたとえて、ご自分のことを話されました。
何のためにご自分の命があるか、ということについて。
このことを、イエスの十字架と重ねて考えてみましょう。
イエスに救われたのは、無数の羊のような、
イエスが誰だかわかっていない民衆一人ひとりでした。
私たちのような人々でした。
その、私たちの姿を、十字架は映し出しています。
希望の半面としての心の闇を映し出すのが十字架であり、
そんな私たちをも救い出すのが十字架のイエスの、
罪のゆるしです。
羊飼いが羊のために命を捨てる、という、
普通ならありえないようなことを言っているのは、
ありえない形で、神は人の罪をゆるし、人を救う、
そういうことを伝えたいのかな、と思います。
そう思うことが、イエス様からゆるされますように。
3月14日(月)、雨の日でしたが、
教会の礼拝堂の床の塗装(2回目、半面)を行いました。
5人の有志の方々に感謝!
ご奉仕を本当にありがとうございました。
床の木材のささくれが無くなったことで、
掃除の際に、モップが引っかからなくなったとのこと。
そして、安心して、
子どもが裸足で駆け回れる礼拝堂になりました。
良かったです。
奏楽者のオルガン練習の際に、
駆け回ってくれました。
床がきれいにスベスベになって、
良かったよね!
教会の庭にて。
来週の3月27日(日)は、イースター(復活日)礼拝。
そして京北教会創立107周年記念礼拝です。
みなさま、どうぞいらしてください。