<きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2015.4.12
「4月12日(日)のこと」
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「4月12日(日)のこと」
イースターの日につぼみとして、
いただいた白百合が、礼拝堂で満開に咲きました。
しばしば、白百合は、
復活の主イエスを表す象徴として用いられます。
教会に、自然の花が、
信仰を教えてくれているようです。
復活を信じるということは、たとえば、
静かに白百合の花を見ている、今の気持ちを、
ただ大切にするということ、
そういうものではないのか……と。
2015年 4月12日(日) 京北教会 聖日礼拝
聖書 マタイによる福音書 7章1〜12節
説教 「はっきり求める」
讃美歌21 11番「感謝にみちて」
326番「地よ声高く」
575番「球根の中には」
礼拝出席者数 25名
礼拝後 ・いつものお茶
・教会会計監査(関係者のみ)
礼拝後に、みんなでお茶とお菓子をいただきました。
お菓子は皆さんからの差し入れ。感謝です。
イースターの日に洗礼を受けられた方(他教会の方)から、
京北教会のみなさまにといただいたお菓子もこの中に。
いろいろな方に、この教会が覚えられて感謝です。
教会の改修工事がずっと続いており、
玄関の前にも足場が設置されています
礼拝堂の隣の集会室の窓の外も、
足場でおおわれています。
雨の日が続くと、工事が進みません。
でも、気長に構えましょう。
教会の改修工事は5月中旬まで続く見込みです。
週報掲載 <宣教のことば>
「あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして、あなたがたの天の父は、
求める者に良い物をくださるにちがいない。」
マタイによる福音書 7章11節
世の中には悪があり、
それに人間が苦しめられている現実があります。
そのなかで、
悪人でも自分の子には温かく接することを、
私たちが知っているとイエス様は語ります。
言葉にはしづらいけれど、
そんな現実の中で私たちは、
「悪人ですら、愛する者には優しい」ことに気づきます。
ここでイエス様が、
天の父なる神様を「悪人」と並べることで、
神の恵みを語っていることに驚きます。
「求めなさい。そうすれば、与えられる」(7節)。
清く正しい神を信じることができない人も、
悪人のおとうちゃんからは贈り物がもらえます。
そして本当の神は、それ以上の存在だから、
もっといい贈り物が必ず。
教会の前の児童公園。
桜が満開の時期には雨の日が多く、
その時期を過ぎると、
もうほとんどが散ってしまいました。
今年の桜は短かった気がします。
いまは、もうどれもが、葉桜。
おまけに天気も悪いので、
綺麗には撮れない。
そこで、
もう少し咲いていてほしかったな……
……と思うのは、人間の勝手な言い分。
考えてみれば、
1年に1度、短い期間に、
花が咲くときだけ、人は桜を見ている。
そのほかのときは、
何もないように思っている。
でも、ずーっと、そこに立ってんだけどな、
桜の木は。
最後に咲いている花は、
このときにしか咲けなかった花かもしれない。
なのに、人間は見ようともしない。
「もう季節が終わった」と言って。
いつ咲いても、いいんだ、きっと。