「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2014.7.13
「7月13日(日)のこと」
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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会
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「7月13日(日)のこと」
教会の庭の花。
陽射しが日に日に強く、空気が日に日に蒸し暑く……。
来ました。夏です。
夏だから、咲く花があります。
2014年7月13日(日) 京北教会 聖日礼拝
聖書 使徒言行録17章22~31節
説教「一人ひとりから遠くない」
讃美歌21 18「こころを高く上げよ」
390「主よわが身を」
433「あるがまま我を」
出席者数 30名
礼拝後 ・軽食
・7月定例役員会
(毎月第1日曜は、軽食と役員会がありますが、
7月は都合により第2日曜に移しました)
昼食後の役員会では、
教会建物(礼拝堂・牧師住居)の改修について、
時間をかけて話し合いました。
屋根と外壁の老朽化による雨漏りの可能性や、
窓枠、ひさしなどの傷み、その他いろいろな、
改修の必要性を考えました。
業者の見積もりを受けて具体的に話し合いました。
そして、また後日に、教会のみんなが集う場で、
今後の改修の計画を出して意見を聞こうと、
予定を立てました。
今後、みなさまのご意見、
ご協力をいただくことを願っています。
お昼はハヤシライス。キュウリの茗荷漬を合わせて。
ご用意に感謝いたします。美味しくいただきました。
雨模様で涼しい日かと思いましたが、
みんなで食べていると部屋が暑くなって、
クーラーを入れました。
これからは、こういう気候が続くのでしょう。
蒸し暑いなか、どなたも、
ご健康に気を付けてお過ごし下さい!
そして、また礼拝でお会いいたしましょう。
食事後、皆さんが帰り始めるころ。
集会室の真ん中に場所をいただいて。
みんなに見守られての、ひととき。
礼拝堂では、未来の奏楽者がオルガン練習中。ご両親です。
讃美歌21-425番「こすずめもくじらも」など。
聞こえているでしょうか。
週報掲載 <宣教のことば>
「あなたが説いている、
この新しい教えがどんなものか、
知らせてもらえないか。」
(使徒言行録 17章 19節)
地中海沿岸の各国からの物品や、
文化が入ってくるアテネのまち、
ギリシャ文化の栄えたこのまちにおいて、
人々は好奇の目でそれらを見て、
おもしろがって過ごしていました。
パウロが伝えていた、
イエス・キリストの福音もまた、
それらの中の一つとして、
好奇の目で見られたので、
人々はパウロに説明を願ってきたのです。
どれだけ素晴らしいものであったとしても、
人々の気まぐれな好奇心の対象にされて、
「どこに素晴らしい点があるのか」と、
つつきまわされるとき、どうなるでしょうか?
それでは、きっと、
本来の素晴らしさは伝わらなくなり、
やがて捨てられてしまうでしょう。
人々に説教しました。
結果は、好奇心だけの多くの人は去り、
少数の人だけが受けとめてくれました。
こうしてまた一歩、進むべき道を進んだのです。
ふと見ると、教会庭の夏ミカンの木に、
小さな実が成長してきていました。
いくつも、いくつも……。
毎年のことですが、枝から上向きに実がつく光景は、
不思議な感じがします。
地面には、先日の雨で落ちた実もたくさん。
今年は、少し収穫が少ないかもしれませんね。
収穫は毎年、1月末にしています。
みんなでマーマレード作りをします。
晴れた日ばかりではないなかで、
実が育ちます。
夏、秋、冬と、
これから長い期間を過ごします。
わたしたちの祈りも、
時間をかけた、
たゆまないものでありたい。