<きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2013.11.3
「11月3日(日)のこと/バザー反省会」
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教会庭の夏ミカン。
日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会
ブログとは別に作っていますので、
よろしければ、どうぞご覧下さい!
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「11月3日(日)のこと/バザー反省会」
先週のバザーの日の朝。
台風の影響を心配していたので、
この光を見たとき、本当にホッとしました。
今日は礼拝後に、バザー反省会をします。
バザーを終えてから、
夏ミカンが急に黄色を帯びてきました。
2013年 11月3日(日) 京北教会 聖日礼拝
説教「復活の燭光」
讃美歌21 425「こすずめも、くじらも」
579「主を仰ぎ見れば」
280「まぶねのなかに」
出席者数 33名
礼拝後 ・軽食 ・バザー反省会
・11月定例役員会
お昼に、炊き込み御飯、おつゆ、漬け物。
朝からご用意いただき感謝です。
美味しくいただきました。
たっぷりと……。
もうひとつの食事がここに。
教会用のお弁当。
軽食後、先週の教会バザーを振り返って反省会をしました。
バザー反省会では、今年度の反省と次年度へのアイデアなど、
いろいろに話し合いました。バザー委員だけでなく、
いろいろな方からお話いただいてよかったです。
バザーが、天候にも恵まれ、
事故も問題もなく無事にできて、
収益も目標を越えて、
奉仕者・来会者ともに昨年より多く、
よい一日となったことを、みんなで神様に感謝しました。
みなさん、ありがとうございました。
お疲れがしっかりとれますように。
来年もまた、よいバザーができますように。
週報掲載 「宣教のことば」
イエスは、理不尽な裁判と、
人々のあざけりの後に、十字架につけられ、
苦しみの時間が過ぎて絶命されました。
群衆は、イエスの死に際して、
何かの奇跡が起きることを、
内心願っていたようです。
神が助けに来るのではないか、と。
そんなことは何一つ起きませんでした。
人々にとっていつもと変わらない、
平凡な日常の延長のなかで、
様々な出来事の帰結として、
イエスは死に至りました。
何も起きなかった現実を、
群衆は目の当たりにしたのちに、
それぞれの場へと、一人またひとりと帰っていきます。
彼らはいったい何を得たのでしょう。
何も得ませんでした。
一時のおもしろい高揚、
興味関心の集中も、
過ぎれば何もあとに残しません。
世はイエスを捨てました。
そして何も得ることはありませんでした。
残された人々を日常に返していきます。
またいつもの毎日が始まるのです。
主イエスのよみがえりが、
ともしびとして人々を照らすまでは、
何事も起こりはしなかったのです。
10月31日(木)に、三重県津市在住の京北教会員、
高木美代子さんが京都に来られました。
95才でお元気に過ごされています。
ふだんは津教会の礼拝に出席されています。
1941~1979年に京北教会牧師をされた高木彰牧師の、
ご夫人です。
以前はクリスマス礼拝や永眠者記念礼拝のときに、
京北教会に来てくださることもありました。
ご健康のことがあり、それは、
だんだん難しくなってきましたね。
今回、これから寒くなる時期を前にして、
遠方からご家族と共に京都に来ていただき、
よいときが持てました。
翌日には、下鴨在住の古くからの教会員、
Oさんのお家に来てくださり、
旧交を暖められました。
足が弱くなられて礼拝出席が難しいOさんが、
高木さんにと、リンゴケーキ(上写真手前)を焼いてくださり、
ユズのお茶と共にもてなしてくださいました。
今回、牧師と何人かの教会員とで高木さんにお会いでき、
楽しくおしゃべりできました。良かったです。
これからもお元気でお過ごしください。
またお会いしましょう。
教会庭のキンモクセイ。
バザー前に撮影したもの。
今はもうすっかり花がありません。
酔芙蓉(すいふよう)は、最後の一つが咲いています。
あったものがなくなり、
なかったものがあるようになります。
ときが過ぎていきます。
いつまでも同じものはなく、
いつまでも新しいものもありません。
いつまでも古いもの……これはどうでしょう。
自然の中では、いつまでも古いものも、ありません。
山も海も川も、生きているかのように変化を続けます。
人の目から見ると、いつまでも古いものであっても。
教会は、古いように見えて新しく、
新しいように見えて古く、
変化を少しずつしながら、
いつまでも変わらない神様に、
心を向けていくところなのでしょう。
「神は全てを時宜にかなうように造り、
また、永遠を思う心を人に与えられる。
それでもなお、神のなさるわざを、
始めから終わりまで見極めることは、
許されていない。
私は知った。
人間にとって最も幸福なのは、
喜び楽しんで一生を送ることだ、と。
人だれもが飲み食いし、
その労苦によって満足するのは、
神の賜物だ、と。」
旧約聖書 コヘレト(語る者)の言葉 3章 11~13節