京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

11月3日(日)のこと/バザー反省会

           <きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2013.11.3
「11月3日(日)のこと/バザー反省会

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教会庭の夏ミカン。

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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会

京都市 左京区 下鴨 神殿町 17-3
京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約7分

京北教会のホームページを、
ブログとは別に作っていますので、
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ホームページのアドレス







 
 本日のブログはここからです。

「11月3日(日)のこと/バザー反省会





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 先週のバザーの日の朝。
 台風の影響を心配していたので、
 この光を見たとき、本当にホッとしました。

 今日は礼拝後に、バザー反省会をします。


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バザーを終えてから、
夏ミカンが急に黄色を帯びてきました。

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2013年 11月3日(日) 京北教会 聖日礼拝

聖書 ルカによる福音書 2344節~2412
説教「復活の燭光」
讃美歌21 425「こすずめも、くじらも」
   579「主を仰ぎ見れば」
   280「まぶねのなかに」

出席者数 33名

礼拝後 ・軽食 ・バザー反省会 
・11月定例役員会


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お昼に、炊き込み御飯、おつゆ、漬け物。
朝からご用意いただき感謝です。
美味しくいただきました。
たっぷりと……。

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もうひとつの食事がここに。
教会用のお弁当。


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 軽食後、先週の教会バザーを振り返って反省会をしました。


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 バザー反省会では、今年度の反省と次年度へのアイデアなど、
 いろいろに話し合いました。バザー委員だけでなく、
 いろいろな方からお話いただいてよかったです。

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 バザーが、天候にも恵まれ、
 事故も問題もなく無事にできて、
 収益も目標を越えて、
 奉仕者・来会者ともに昨年より多く、
 よい一日となったことを、みんなで神様に感謝しました。

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 みなさん、ありがとうございました。
 お疲れがしっかりとれますように。
 
 来年もまた、よいバザーができますように。
 




       週報掲載 「宣教のことば」

 イエスは、理不尽な裁判と、
 人々のあざけりの後に、十字架につけられ、
 苦しみの時間が過ぎて絶命されました。

 群衆は、イエスの死に際して、
 何かの奇跡が起きることを、
 内心願っていたようです。

 神が助けに来るのではないか、と。

 そんなことは何一つ起きませんでした。
 人々にとっていつもと変わらない、
 平凡な日常の延長のなかで、
 様々な出来事の帰結として、
 イエスは死に至りました。

 何も起きなかった現実を、
 群衆は目の当たりにしたのちに、
 それぞれの場へと、一人またひとりと帰っていきます。

 彼らはいったい何を得たのでしょう。
 何も得ませんでした。

 一時のおもしろい高揚、
 興味関心の集中も、
 過ぎれば何もあとに残しません。

 世はイエスを捨てました。
 そして何も得ることはありませんでした。

 死は、過ぎてしまえば、
 残された人々を日常に返していきます。

 またいつもの毎日が始まるのです。

 主イエスのよみがえりが、
 ともしびとして人々を照らすまでは、
 何事も起こりはしなかったのです。






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  10月31日(木)に、三重県津市在住の京北教会員、
 高木美代子さんが京都に来られました。
 95才でお元気に過ごされています。
 ふだんは津教会の礼拝に出席されています。
 1941~1979年に京北教会牧師をされた高木彰牧師の、
 ご夫人です。

 以前はクリスマス礼拝や永眠者記念礼拝のときに、
 京北教会に来てくださることもありました。
 ご健康のことがあり、それは、
 だんだん難しくなってきましたね。

 今回、これから寒くなる時期を前にして、
 遠方からご家族と共に京都に来ていただき、
 よいときが持てました。


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  翌日には、下鴨在住の古くからの教会員、
 Oさんのお家に来てくださり、
 旧交を暖められました。

 足が弱くなられて礼拝出席が難しいOさんが、
 高木さんにと、リンゴケーキ(上写真手前)を焼いてくださり、
 ユズのお茶と共にもてなしてくださいました。
 
 今回、牧師と何人かの教会員とで高木さんにお会いでき、
 楽しくおしゃべりできました。良かったです。 
 
 これからもお元気でお過ごしください。
 またお会いしましょう。

 



 


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 教会庭のキンモクセイ
 バザー前に撮影したもの。
 今はもうすっかり花がありません。


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 酔芙蓉(すいふよう)は、最後の一つが咲いています。


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 山茶花(サザンカ)の向こうで夏ミカンが色づいてきました。

 あったものがなくなり、
 なかったものがあるようになります。

 ときが過ぎていきます。
 いつまでも同じものはなく、
 いつまでも新しいものもありません。

 いつまでも古いもの……これはどうでしょう。

 自然の中では、いつまでも古いものも、ありません。
 山も海も川も、生きているかのように変化を続けます。
 人の目から見ると、いつまでも古いものであっても。


 教会は、古いように見えて新しく、
 新しいように見えて古く、
 変化を少しずつしながら、
 いつまでも変わらない神様に、
 心を向けていくところなのでしょう。


 
 「神は全てを時宜にかなうように造り、
 また、永遠を思う心を人に与えられる。
 それでもなお、神のなさるわざを、
 始めから終わりまで見極めることは、
 許されていない。

  私は知った。
  人間にとって最も幸福なのは、
  喜び楽しんで一生を送ることだ、と。

  人だれもが飲み食いし、
  その労苦によって満足するのは、
  神の賜物だ、と。」

     旧約聖書 コヘレト(語る者)の言葉 3章 11~13節