──京都南部地区 音楽部の活動を訪れて──
日本キリスト教団 京都教区
京都南部地区 音楽部 主催「讃美のつどい」
タイトル「讃美のひととき みんなで歌う
みんなに響く 会堂もよろこぶ」
日 時 2013年 6月30日(日) 14:30〜16:00
写真撮影とこのブログへの写真掲載を、
快く了解してくださった、京都御幸町教会の難波牧師と、
京都南部地区音楽部委員長の奈良いずみ牧師に、
心より感謝申しあげます。ありがとうございました。
以下のアドレスをクリックしてください。
当ブログ記事が、以下のアドレスをクリックすると開きます。
このほかにも、京北教会ブログの一環として、
京北教会牧師が様々な教会などを訪れた記録の、
「あちこち訪問記」のアドレスは、
以下です。よろしければご覧ください。
京北教会牧師が様々な教会などを訪れた記録の、
「あちこち訪問記」のアドレスは、
以下です。よろしければご覧ください。
2013年6月30日(日)に会場提供をいただいた、
京都御幸町教会は、著名な建築家の、
ウィリアム・メレル・ヴォーリスが設計・建築した会堂。
レンガ作りの会堂としてヴォーリスの現存最古の建物。
上の説明文を読みたい方は、上の写真を、
パソコン画面上にドラッグして、コピーをして、
それを クリック、拡大してからお読みください。
パソコン画面上にドラッグして、コピーをして、
それを クリック、拡大してからお読みください。
日曜日の礼拝は、午前10時30分から。
教会学校は午前9時30分から。
下の写真は、教会玄関から外を見たところ。
御幸町通りに面しています。
教会の前庭に涼しげなザクロの木。
京都御幸町教会は、
戦前の教派「日本メソジスト教会」の伝統による、
京都の最初の教会です。
筆者が属する「京北(きょうほく)教会」は、
実はこの教会を拠点とした、
実はこの教会を拠点とした、
当時の伝道から生まれました。
ここより南にあたる下京区に作られたのが「京南教会」。
それが北の下鴨に移ったときに「京北教会」と名称変更。
そのときの、南北を分ける中心点となってのが、
この京都御幸町教会(当時の「京都中央教会」)でした。
京都御幸町教会は、
昔は「京都中央教会」という名だったのです。
昔は「京都中央教会」という名だったのです。
京都中央教会からは、三つの教会が生まれました。
京南教会、伏見教会、三条教会です。
後に──京南教会は京北教会と名称を変更しました。
三条教会は、現在の洛東教会となりました。
京南教会(京北教会の前身)。
京北教会。
伏見教会。
つい先日、牧師就任式がありました。
三条教会。(現在は写真の洛東教会)。
京都御幸町教会礼拝堂の扁額。
これは、日本メソジスト教会の初代監督の、
本多庸一筆とのこと。
本多庸一筆とのこと。
聖書の「目を覚まして祈っていなさい。」の意でしょうか。
(マルコによる福音書14章38節)
(マルコによる福音書14章38節)
この教会の、祈りこそが、
幾つもの教会を生み出したのでしょう。
幾つもの教会を生み出したのでしょう。
さあ、中へ。
今日の、地区音楽部の「讃美のひととき」のために、
ミニ看板が立てられています。
京都御幸町教会はスリッパに履き替えるのではなく、
土足で礼拝堂に入ることができます。
(……と、帰るときに初めて気がついた牧師が一人いたとか)
30分遅れて入ったところ、
会場は一杯でした。
出席者108名!
美しい木製の窓。
美しい天井部。讃美の声がよく響きます。
(上写真の左の紫色はカメラのレンズによる光のにじみです。ご容赦下さい)
じっくり見ると、本当に美しい、木の天井です。
平安教会、京都教会、京都丸太町教会、鴨東教会、
そして京都御幸町教会。
各教会から教会聖歌隊の皆様が参加してくださいました。
筆者の到着時刻が遅く、全ての教会の皆様の写真は、
撮れませんでした。ご容赦ください。
最後に、みんなで二曲を合唱。
コピーするために著作権許諾をきちんと得て、
楽譜が印刷されていました。
これからはこういうことが大切ですね。
写真は、礼拝堂後部の窓からの光。
豊かな讃美の響きをたくさん聞いて、
会が盛況のうちに終わりました。
地区音楽部の皆様、京都御幸町教会の皆様、
出席者の皆様、どうもありがとうございました。
歴史ある教会で、天の光が、歌声を通して、
降り注いでいるようでした。
さあ、今週一週間も、
皆様それぞれの心の中に、
好きな歌を響かせて、
歩むことにしましょう。
暑い日、湿気の多い日が増えてきています。
皆様、ご健康が守られますように──。