<きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2013.4.14
「4月14日(日)のこと」
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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会
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2013年 4月14日(日)付
「4月14日(日)のことなど」
先週、強い風雨によってぺしゃんこになった、
教会庭の草花が、またしっかりと立つようになりました。
2013年 4月14日(日) 京北教会 聖日礼拝
聖書 ルカによる福音書 16章 19~31節
説教 「イエス・キリストに聴く」
讃美歌21 18「心を高く上げよ!」
451「くすしきみめぐみ」
433「あるがまま我を」
出席者数 28名
礼拝後 ・こころで歌おう~新旧讃美歌一曲(自由参加)
讃美歌21─226番 「輝く日を仰ぐとき」
・お茶と祈りのとき
・教会会計監査
週報掲載「宣教のことば」
「金持ちとラザロ」のたとえ話をイエス様は語りました。
自らのしてきたことを悔い改めている、
ある一人のお金持ちの切ない思いが描かれています。
自らを反省しているのですが、
その思いは実りを生みません。
(ルカによる福音書16章19~31節)
この話から、悔い改めとは、
悪行の反省ではないことがわかります。
イエス様が私たちに教えてくださった、
悔い改めの本当の意味は、
悪行の反省ではなく、
神様への立ち返りです。
神様のもとに、立ち返って、
そこで自分の身を神様に向けて投じて、
自分が神様と共に新しく生き始めることを、
神様に願うことです。
一般には、悔い改めとは、悪行の反省だと思われています。
それなのに、イエス様はそれと違ったことを教えています。
ふつうに考えると、悪行の反省だけで十分に思えますが、
どうして、反省だけでは、いけないのでしょうか。
その理由は、悪とは反省で済むものではないからです。
反省をしようとするならば、
その反省には際限が無く、
やがて反省すること自体が、
さらに心をむしばんでいくことだってあります。
悪行の反省はただのポーズに見えてしまいます。
ですから、悔い改めなど、
いったい何の意味があるのか?
…とあざけられます。
すると、それもそうかな、と人は感じてしまいます。
そうして、人間の反省は、やがて、
いつか無意味になってしまうことを、
主は知っておられます。
そして反省を超越する新しい一歩を、
自らの命を私たちのために献げることで、
私たちにくださったのです。
あっという間に、桜満開の季節が過ぎました。
桜と京北教会をうまく写真に収めようと、
満開の時期に、何枚も撮りましたが、
なかなかぴったりとはいきません。
以下、何枚か。
何枚撮っても、「桜と京北教会」の、
決定版となる写真が撮れませんでした。
結局、決定版というものは、作らないことにしました。
一つの決定版を作るよりも、
無数の姿を一つひとつ大切にするほうが、
良いことなのかもしれません。