京北教会ブログ──(2010.8〜2020.7継続中)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

3月24日(日)のこと─棕櫚(しゅろ)の聖日


           <きょうほく・きょうかい>
「虹のかかる教会」京北教会ブログ
2013.3.24
「3月24日(日)─棕櫚(しゅろ)の聖日

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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会

京都市 左京区 下鴨 神殿町 17-3
京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約9分

京北教会のホームページを、
ブログとは別に作っていますので、
よろしければ、どうぞご覧下さい!






 
 2013年 3月24日(日)付 

「3月24日(日)のこと─棕櫚(しゅろ)の聖日





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今朝の礼拝堂の花。
同志社女子大学の卒業式で用いられた花を、
職員の方が特別に、教会に寄贈してくださった。
感謝。

新たな気持ちで、
今日から始まる「受難週」を迎える。
教会の暦で、イエス・キリストの十字架の死を、
心に刻むとき。



 2013年 3月24日(日) 京北教会 「棕櫚(しゅろ)の聖日」礼拝

  イエスが、とらえられて十字架に付けられる数日前に、
  都の人々が棕櫚(しゅろ)の葉を振ってイエスを迎えた、
  その出来事から、受難週の聖日を、こう呼んでいる。

 聖書 ヨハネによる福音書 19章 17~27節
 説教 「まなざしを降ろして」
 讃美歌21 311番(1-4節)「血しおしたたる」
       313番「愛するイェス」
                   484番「主われを愛す」

 出席者数 19名
      今日は、急病や療養などで、
      欠席とのご連絡が多々ありました。
      季節の変わり目、まだまだ寒い日もあります。
      皆様、どうぞお大事に。

      礼拝後、何人かの方にお電話しました。
      元気な声が聞けてうれしかったです。
      午後から訪問にも参りました。

      先日に退院された方もおられました。
      自宅療養の中で、また礼拝に出られる日を、
      楽しみにしておられました。

      遠方の方からのお手紙もありました。
      教会のマーマレードの御礼など。
      皆様、どこにいても、つながっています。




        週報掲載 <宣教のことば>

 
 主イエス・キリストが、十字架につけられたとき、
 その場に、イエスの母マリアがいたことが、
 ヨハネ福音書には記されています。

 そして、十字架上のイエスの言葉によって、
 そばにいたイエスの弟子(ヨハネと考えられています)が、
 マリアをひきとることになりました。

 こうした聖書の場面を読むときに、
 そこで一人ひとりの心中は記されておらず、
 誰が何を考えたのか、私たちにはわかりません。

 けれども、この聖書箇所において、
 そこの場にいる、一人ひとりの心中を、
 私たちは知らなくてもよいのかもしれない、
 とも思います。

 なぜなら、
 他人には決して伝えられない苦しみは、
 「ただ神様だけがご存じであるべきもの」だからです。

 主イエスは、ご自分の苦しみをもって、命をもって、
 他者の存在を贖(あがな)いとられました。
 あがなう、とは何かを代償にすることで、
 大切なものを取り戻すことです。

 失われた命、失われた絆もまた─、
 主イエス・キリストの贖いによって取り戻されます。
 そのための、十字架の死でありました。

 そこに至るまでのキリストの苦しみは、
 一切の推測を退けて、
 「ただ神様だけがご存じであるべきもの」
 なのでありましょう。




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 3月上旬、ある教会員のご家族の方が逝去された。
 ご自宅で家族葬が行われ、
 京北教会牧師が司式させていただいた。

 その方の大切にされていたヒヤシンスの花。
 「この花が咲いたら、写真を撮りに来てください」と、
 以前に言われて、そのときが来るのを楽しみにしていた。

 花が咲く前に逝かれた。
 そして、何日かが過ぎて、花が咲いた。
 それから、ご遺族のお招きを受けて、写真を撮りに行った。

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以下、お庭で撮影させていただいた写真。
ご了解を得て、掲載いたします。

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 「球根の中には 花が秘められ
  さなぎの中から 命はばたく
  寒い冬のなか 春はめざめる
  その日、そのときを ただ神が知る」
  
         讃美歌21─575番1節


 「人の心に思い浮かびもしなかったことを、
 神はご自分を愛する者たちに準備された。」

                       コリントの信徒への手紙1 2章 9節