美しい教会堂が、愛媛の陽に輝く。
1931年に建築されたヴォーリス設計による建物。
南予にある教会を訪ねた。
教会写真の掲載について牧師の了解をいただきました。
ありがとうございました。
格調高い窓の造り。
近年の手入れで、建物全体が綺麗に整備されている。
メソジスト教派の伝統を持つ。
ということは京北教会と同じ伝統。
毎日曜日の礼拝は、午前10時30分~11時30分ごろ。
子どもたちの教会学校は午前9時から。
大人も子どもも、どうぞいらしてください。
また、教会付属の幼稚園がすぐ近くにあります。
階段を登って二階の礼拝堂へと。
牧師の案内で礼拝堂を見せていただいた。
きょうだいのお二人とも牧師。
メソジスト教会の伝統に基づく講壇の構造。
この柵で囲んだ形は「恵みの座」と呼ばれる。
歴史を感じさせる説教壇。手前は聖餐卓。
この写真の露光を上げてみたのが下の写真。
せっかく撮影させていただいたのに、
露光の関係でわかりにくい写真になってしまったが、
講壇の後ろの壁に、いばらを模した木の装飾がある。
この写真を撮影することが、今回の訪問の目的の一つでした。
しかし、うまく撮れなかったので…、
さて、次に…下の写真は、京北教会の講壇。
後ろの壁の木の装飾に注目。
デザインとしては、ほぼ同じといっていいと思えます。
ほぼ、というか、全く同じ? いばらのトゲの付き方も同じ。
京北教会と八幡浜教会の礼拝堂の共通点は、
この壁の装飾のみだった。あとは全く違う。
それにしても、この壁のデザインは個性的。
ある方からご教示を受けたのは、このデザインは、
もともとゴシックデザインの教会窓ではないかとのこと。
窓の周囲にいばらの装飾が使われていたことから、
そのデザインの部分だけを取り出して、
一つの意匠として壁に用いたのではないか…と考えられる。
京北教会は会堂建築が1924年。
八幡浜教会は1931年。
共に当時のメソジスト教派に属していたから、
建築に関しても何らかの共通のものがあったのだろうか。
八幡浜教会はヴォーリス設計(詳しいことは不明とのこと)。
京北教会はそうではない。
どういうつながりかはわからないが、
建築に関して残っている資料があったら、
また教えてください、と二人の牧師にお願いしておいた。
他には1939~40年に京北教会に在籍した、
森里忠生牧師の転任地が八幡浜教会だった。
過去にそんな経緯があった。
今となっては、教派としてのメソジスト教会は無くなり、
様々な教派が合同した日本キリスト教団に属している。
歴史は消えていき、忘れられていく。
人の出会いを通して、再び視線があてられるまで。
礼拝堂後部に二階部分がある。(建物としては三階)
ふと上を見上げてみると、星がある。
教会学校の子どもたちが、クリスマスの劇をする。
イエス様の降誕劇(ページェント)。聖書の物語を劇として行う。
そのときに、劇中でこの星が動くようになっているそうだ。
クリスマスの時期を過ぎても、この星は、
礼拝堂にそのままとのこと。
「うちらの子どものときから、これあるよね」─
八幡浜教会の幼稚園の卒園生であるきょうだい二人の牧師が、
そう語っていた。
教会を出て、お二人の牧師が、教会のすぐ近くの、
八幡浜の港を案内してくださった。
お二人の牧師の内の一人は、
この4月から別の教会に転任されるとのこと。
新しい船にのって、新しい仲間と出会いながら、
また新しい旅に出るっていうことなのだろう。
この日、幼稚園や教会のことでお忙しいなか、
突然の訪問客に暖かく接してくださった、
お二人の牧師、そして八幡浜教会に、
心より感謝申しあげます。
ブログの写真掲載も了解してくださり感謝。
疲労なのか、教会を出たあと、
私は体調不良を起こして、
八幡浜を失礼しました。申し訳ない…。
その後、京都へとその日の内に戻りました。
高速道路で帰る途中、松山近くの伊予の海に沈む夕陽を見た。
いつか四国教区の青年キャンプを、この近くの、
双海(ふたみ)というところで行った。
夕陽の美しい浜辺のあるところ。15年前頃のことでしたか。
美しい輝きを、今回の四国の旅で、たくさん見た。
それを心に記して、さあ、京都へ帰ろう。