<きょうほく・きょうかい>
「虹のかかる教会」京北教会ブログ
2013.1.20付 「1月20日(日)教会新年会」
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先週の木曜日の朝の写真。
起きたら雪がうっすら積もっていました。
教会も少しばかり雪景色。
教会の庭にもいくらかの雪。
すぐに溶けて土の中に消えていきました。
聖書 ルカによる福音書 13章 10~21節
説教 「良き知らせを聴く」
讃美歌21 425番「こすずめも、くじらも」
412番「昔、主イェスの」
493番「いつくしみ深い」
出席者数 22名
風邪の方が相次いでいます。
皆様、御自愛ください。
礼拝後 教会新年会 20名
おぜんざいをいただきました。
牧師から今年のお正月をどう過ごしたかの話を聞き、
他に2名の方からそれぞれのお正月を聞きました。
お餅が大きくてボリュームがありました。
おいしくみんなでいただきました。
食べていると、しばし皆さん無言になりました。
お餅はかむことと、消化することに時間がいります。
温かいおぜんざいで、無言の幸せを味わいました。
ご用意いただいた皆様、感謝です。
しっかり塩昆布もつけてくださいました。
ふわっと甘いおぜんざいに、ぴったりです。
これは、某高校の卒業30年記念学年全体同窓会で、
配布された記念品の升(ます)。
牧師が、自分の今年のお正月の話をする中で見せました。
1月2日にこの同窓会が行われました。
遠方で、今までなかなか連絡のとれなかった教会員の方から、
年賀状が教会あてに届きました。
初めてのことで、とてもうれしかったです。
お元気にしておられることが文面からわかりました。
良かった! 年賀状をくださって感謝。
これからもお元気で、そしてまたお便りいただけると幸いです。
ほかにもいろいろな方から教会あてに、
いただいた年賀状を、教会新年会でご紹介いたしました。
皆様に感謝。
さて、来週の日曜日の礼拝後、
上の写真に写っている教会庭の夏みかんを、
みんなで収穫します。
その後、手分けしてマーマレードにします。
よろしければ、収穫をお手伝い願います。
マーマレードにするのも、ご希望の方にしていただけます。
夏みかんの数は、400個ぐらいでしょうか。
3ヶ月、樹にならせたままでおいてきました。
けれども、生でも、いただくことができます。
週報掲載 <宣教のことば>
神の定めた決まりを、
しっかりと守ることによってこそ、
人は神から救われるのだと、
堅く信じていた人々がいました。
その目から見ると、そのころの決まりごとであった、
安息日(神を礼拝するための日で、労働してはいけない日)に、
病人をいやしたイエスは、決まりごとを破ったがゆえに、
ゆるせない存在でした(ルカ13:1~)。
イエスが病人をいやしたことは、
労働をしたことだと、解釈したためです。
しかもその場所は会堂、
すなわち礼拝をするための場所でした。
ここは神様を礼拝する神聖な場所で、
労働をするところではないと、怒る人もいたでしょう。
しかし、イエスは、
18年間病気に苦しんできた女を思って、
「安息日であっても、その束縛から
解いてやるべきではなかったのか」と、
そうした人々に言いました。
行いというものは、とても大切なものです。
その人のふだんの行いに、その人の心が現れています。
けれども、行いが正しければ、
それで神に救われるのでしょうか。
たとえば、安息日の決まりごとを守って、
イエスがこの日、このとき、この場所で、
病人をいやさなかったら、
イエスは旅をしておられましたから、
次の日にはもう会えない存在になっていたかもしれません。
決まりごとを守っていれば、
それで神に救われるのではありません。
そうした「正しい行い」を守ることによらず、
何の「正しい行い」がなくても、
「主の名を呼び求める者は誰でも救われる」
(ローマの信徒への手紙10:13)。
これは、人間の力が何も作用しないところで、
ただ神の愛のみが、私たちを救うという信仰です。
イエスの告げた、良き知らせはここにあります。
思いつつでも構いませんから、
神様と隣人に感謝を献げて、
共に礼拝しましょう。
神様と私たちの間が、
神様の側からの近づきによって、縮めてもらえます。
たとえ私たちが、そのことに半信半疑であっても。
なぜなら、そのことは人間の力にはよらないからです。
人間の力には、よらない。
この景色のように。