<きょうほく・きょうかい>
「虹のかかる教会」京北教会ブログ
2012.11.11 「11月11日(日)のこと/教会員訪問など」
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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会
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2012年 11月11日(日)
「11月11日(日)のこと/教会員訪問など」

礼拝堂で見つけました。これは何でしょう。
2012年 11月11日(日) 京北教会 聖日礼拝
聖書 ルカによる福音書 12章 1~12節
説教 「心配を越えて」
讃美歌21 7「ほめたたえよ力強き主を」
532「やすかれ、わが心よ」
403「聞けよ、愛と真理の」
礼拝出席者 28名
礼拝後 ・こころで歌おう~新旧讃美歌一曲
讃美歌21─132番「枯れた谷間に野の鹿が」
・お茶と祈りのとき
バザーなど秋の行事の盛況への感謝や、
個人消息など祈りのテーマを出し合って祈りました。
この日、神奈川から久しぶりに来られた方も、
お祈りしてくださいました。感謝。

今日のお菓子は、手作りの抹茶小豆ケーキでした。
味が濃くて、しっとりした食感、おいしくいただきました。
このほかに、いただきものの和菓子もつきました。
ご用意いただきました皆様に感謝いたします。
お祈りが終わって、今日の予定がみな終わり、
雨の降る中を皆様が帰っていかれました。
来週は、「収穫感謝日・神学校日」礼拝。
神学校日の礼拝説教は、いつもは神学生にお願いしていますが、
今回は牧師が礼拝説教をいたします。
また、次の日曜日に、皆さんお会いいたしましょう。
イエス・キリストのおられる、この教会で。
そして、礼拝に来ることのできない方々は、
聖書のみことばと、祈りを通して、
神様のくださるつながりの中でお会いいたしましょう。
─今日の聖書から─ ルカによる福音書12章1~12節より
「覆われているもので、現されないものはなく、
隠されているもので、知られずに済むものはない。」
「5羽の雀が、2アサリオンで売られているではないか。
しかし、その1羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。」
(1アサリオンは、500円ぐらい?の通貨単位。ここでは最も値の低い命の意)
「人の子の悪口を言う者はみなゆるされる。しかし、聖霊を冒涜する者はゆるされない。会堂や役人、権力者のところに連れていかれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうか、などと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」
─今日の説教の断片─
今日の聖書箇所は大きく三つに分かれて記されています。
しかしバラバラな話ではなく、一つのテーマに基づいています。
それは私たちの感じる「不安」に向き合う教えです。
覆われている偽善や悪が私たちの身近にあるとき、
私たちは不安を感じます。
自分がものすごく小さな、どうにでもされる存在であるとき、
私たちは不安を感じます。
自分が神を信じていることが批判され、弁明を命じられるとき、
私たちは不安を感じます。
けれども、どれひとつとっても、恐れるなとイエスは言います。
隠れている偽善や悪は、いつか明るみに出て裁かれる。
どんな小さな存在も神はお忘れではない。
信仰が人から批判されるとき、言うべきことを神が教えてくれる。
だから、恐れるな、とイエスは力強く語ります。
不安が高じて、今から準備せねばと焦ったり、
逆に絶望が深まって、孤独の中に逃げ込んだり、
そういう気持ちになることによって、
かえって人はおかしな気持ちになっていきます。
どうして不安になるのでしょう、自分ひとりで!
神を見失っているときは、隣人のことも見失っているのです。
「いざというときは」とか「もしこうなったら」とか、
「見捨てられたら」とか「いつか悪い影響が出たら」とか、
人が考えることは忙しい。自分ひとりで忙しい。
忙しいだけで、平安が無いならば、どこかおかしいのです。
本当に信仰を問われるときがやってくるならば、
見えざる神があなたの内面に言葉をくださるのです。
そのことを、隣人と共に、信じてみようではありませんか。
自分が言葉を用意できないときにこそ、
そのときに最もふさわしい言葉を、
私たちは、きっと語ることができるのです。
その可能性の根源を、神の「聖霊」と聖書は言い表しています。
それは、冒涜してはならないのです。
きっと、人間の内面における最後の局面なのでしょうから。

礼拝堂に活けていただいた野の花。

黄の花はつばぶき、紫はりんどう、
小さな実は野ぶどう。

つばぶき(石蕗)は、「つやのある葉の蕗」から、
「つやはふき」となり「つわぶき」となったらしい。
刀のつばのようにも見える。

野ぶどうは、このように様々な色の実がつく…
のではなくて、一つの実が次々に色を変えていくそうです。
色の変わる順番は、
白→薄い青→濃い青→紫→赤 でしょうか?
葉を見ると、なるほどぶどうの葉の形をしていますが、
これがぶどうとは、言われないと気がつかないかも、ですね。

私たちをぶどうの枝にたとえる聖書の言葉があります。
あなたがたは、ぶどうの枝です。
幹につながっていないと、枝は、
自分だけでは、ぶどうの実を結ぶことができません。
だから、つながっていなさい。
つながっていれば、豊かな実を結ぶ。

こんな小さな実が、豊かな実り…?

枝から落ちた実は、少し寂しく見えたとしても、
枝についてなっている実は、彩り豊かで、力強い。
宙に浮いているように軽やかで、輝いている。
その時その時で、自らの色が変わりながら、
つながり続けていく。
今日の「お茶と祈りのとき」では、
バザーや個人消息のことをお祈りしました。
その中で、毎年、京北教会のバザーのおでんのために、
ちくわや天ぷらを送ってくださることへの感謝を挙げました。

防府市のT.Tさん。毎年ありがとうございます。
2年前におうかがいしたときの写真です。
今もケアハウスを利用しつつ、お元気とのこと。
防府教会につながって日々を歩んでおられます。
これからもお元気でいてください。
またお会いしましょう。
先々週に、奈良県に在住の会員K.Oさんを教会から訪問。

そして、三重県に在住の会員M.Tさん。

このたびご家族と共に京都を訪れられました。
京北教会で戦中戦後と40年働かれた牧師の、御伴侶です。
お会いできてうれしかったです。とてもお元気でした。
活き活きとお話される姿に感銘を受けました。
こうした方々のお名前を挙げて、今日の京北教会は、
「お茶と祈りのとき」において、三人の方にお祈りをお願いし、
みんなで気持ちを合わせて、共に祈りました。
皆様に神様の守りと導きがあるように、と。

(教会生け垣の野紺菊)
さて、なんだか寒くなってきましたね。
皆様がこれからの季節を暖かく過ごせますように願っています。