京北教会ブログ──書庫(2010.8〜2019.8)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ (保存資料)

2012年11月11日(日)のこと/教会員訪問など

  <きょうほく・きょうかい>
「虹のかかる教会」京北教会ブログ
2012.11.11 「11月11日(日)のこと/教会員訪問など」

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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会

京都市 左京区 下鴨 神殿町 17-3
京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約9分

京北教会のホームページを、
ブログとは別に作っていますので、
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 ここからが本記事です。

 2012年 11月11日(日) 

「11月11日(日)のこと/教会員訪問など」





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 礼拝堂で見つけました。これは何でしょう。




 2012年 11月11日(日) 京北教会 聖日礼拝

 聖書 ルカによる福音書 12章 1~12節
 説教 「心配を越えて」
 讃美歌21 7「ほめたたえよ力強き主を」
      532「やすかれ、わが心よ」
      403「聞けよ、愛と真理の」

 礼拝出席者 28名

 礼拝後 ・こころで歌おう~新旧讃美歌一曲
       讃美歌21─132番「枯れた谷間に野の鹿が」

     ・お茶と祈りのとき 

      バザーなど秋の行事の盛況への感謝や、
     個人消息など祈りのテーマを出し合って祈りました。
      この日、神奈川から久しぶりに来られた方も、
     お祈りしてくださいました。感謝。

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  今日のお菓子は、手作りの抹茶小豆ケーキでした。
  味が濃くて、しっとりした食感、おいしくいただきました。
 このほかに、いただきものの和菓子もつきました。
 ご用意いただきました皆様に感謝いたします。


 お祈りが終わって、今日の予定がみな終わり、
 雨の降る中を皆様が帰っていかれました。

 来週は、「収穫感謝日・神学校日」礼拝。
 神学校日の礼拝説教は、いつもは神学生にお願いしていますが、
 今回は牧師が礼拝説教をいたします。

 また、次の日曜日に、皆さんお会いいたしましょう。
 イエス・キリストのおられる、この教会で。

 そして、礼拝に来ることのできない方々は、
 聖書のみことばと、祈りを通して、
 神様のくださるつながりの中でお会いいたしましょう。

 

 
 ─今日の聖書から─ ルカによる福音書12章1~12節より

 「覆われているもので、現されないものはなく、
 隠されているもので、知られずに済むものはない。」

 「5羽の雀が、2アサリオンで売られているではないか。
 しかし、その1羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。」
  (1アサリオンは、500円ぐらい?の通貨単位。ここでは最も値の低い命の意)

 「人の子の悪口を言う者はみなゆるされる。しかし、聖霊を冒涜する者はゆるされない。会堂や役人、権力者のところに連れていかれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうか、などと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」

(「人の子」とは、イエスがご自分を指していうときの言葉)
(「聖霊」とは、見えない神様が一人ひとりの人間の内面に働くときのお姿)



 ─今日の説教の断片─

 今日の聖書箇所は大きく三つに分かれて記されています。
 しかしバラバラな話ではなく、一つのテーマに基づいています。
 それは私たちの感じる「不安」に向き合う教えです。

 覆われている偽善や悪が私たちの身近にあるとき、
 私たちは不安を感じます。
 自分がものすごく小さな、どうにでもされる存在であるとき、
 私たちは不安を感じます。
 自分が神を信じていることが批判され、弁明を命じられるとき、
 私たちは不安を感じます。

 けれども、どれひとつとっても、恐れるなとイエスは言います。
 隠れている偽善や悪は、いつか明るみに出て裁かれる。
 どんな小さな存在も神はお忘れではない。
 信仰が人から批判されるとき、言うべきことを神が教えてくれる。
 だから、恐れるな、とイエスは力強く語ります。

 不安が高じて、今から準備せねばと焦ったり、
 逆に絶望が深まって、孤独の中に逃げ込んだり、
 そういう気持ちになることによって、
 かえって人はおかしな気持ちになっていきます。

 どうして不安になるのでしょう、自分ひとりで!
 神を見失っているときは、隣人のことも見失っているのです。
 「いざというときは」とか「もしこうなったら」とか、
 「見捨てられたら」とか「いつか悪い影響が出たら」とか、
 人が考えることは忙しい。自分ひとりで忙しい。
 
 忙しいだけで、平安が無いならば、どこかおかしいのです。
 本当に信仰を問われるときがやってくるならば、
 見えざる神があなたの内面に言葉をくださるのです。
 そのことを、隣人と共に、信じてみようではありませんか。

 自分が言葉を用意できないときにこそ、
 そのときに最もふさわしい言葉を、
 私たちは、きっと語ることができるのです。
 その可能性の根源を、神の「聖霊」と聖書は言い表しています。
 それは、冒涜してはならないのです。
 きっと、人間の内面における最後の局面なのでしょうから。
 
 
 



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 礼拝堂に活けていただいた野の花。

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 黄の花はつばぶき、紫はりんどう、
 小さな実は野ぶどう。

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 つばぶき(石蕗)は、「つやのある葉の蕗」から、
「つやはふき」となり「つわぶき」となったらしい。
 刀のつばのようにも見える。

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 野ぶどうは、このように様々な色の実がつく…
 のではなくて、一つの実が次々に色を変えていくそうです。

 色の変わる順番は、
 白→薄い青→濃い青→紫→赤 でしょうか?

 葉を見ると、なるほどぶどうの葉の形をしていますが、
 これがぶどうとは、言われないと気がつかないかも、ですね。
 

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 私たちをぶどうの枝にたとえる聖書の言葉があります。

 あなたがたは、ぶどうの枝です。
 幹につながっていないと、枝は、
 自分だけでは、ぶどうの実を結ぶことができません。
 だから、つながっていなさい。
 つながっていれば、豊かな実を結ぶ。

 そんなふうに、ヨハネによる福音書にあります。(15:1~)


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 こんな小さな実が、豊かな実り…?

 

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 枝から落ちた実は、少し寂しく見えたとしても、
 枝についてなっている実は、彩り豊かで、力強い。
 宙に浮いているように軽やかで、輝いている。

 その時その時で、自らの色が変わりながら、
 つながり続けていく。

 
  


 
 今日の「お茶と祈りのとき」では、
 バザーや個人消息のことをお祈りしました。

 その中で、毎年、京北教会のバザーのおでんのために、
 山口県防府市在住の教会員が、名産の魚の練り製品の、
 ちくわや天ぷらを送ってくださることへの感謝を挙げました。

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 防府市のT.Tさん。毎年ありがとうございます。
 2年前におうかがいしたときの写真です。
 今もケアハウスを利用しつつ、お元気とのこと。
 防府教会につながって日々を歩んでおられます。
 これからもお元気でいてください。
 またお会いしましょう。



 先々週に、奈良県に在住の会員K.Oさんを教会から訪問。
 
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 お体の具合で、なかなか礼拝には来られないのですが、
 自宅でお元気にしておられます。
 かつて京北教会のオルガニストを長く長く務められました。
 また礼拝でお会いできる日を楽しみにしています。



 そして、三重県に在住の会員M.Tさん。

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 このたびご家族と共に京都を訪れられました。
 京北教会で戦中戦後と40年働かれた牧師の、御伴侶です。
 お会いできてうれしかったです。とてもお元気でした。
 活き活きとお話される姿に感銘を受けました。

     
 こうした方々のお名前を挙げて、今日の京北教会は、
 「お茶と祈りのとき」において、三人の方にお祈りをお願いし、
 みんなで気持ちを合わせて、共に祈りました。

 皆様に神様の守りと導きがあるように、と。

 



 


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(教会生け垣の野紺菊)

 さて、なんだか寒くなってきましたね。
 皆様がこれからの季節を暖かく過ごせますように願っています。