京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

教会玄関床の改修工事(3年前のこと)

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 早朝。礼拝堂に活けていただいたノウゼンカズラ

 今日はリードオルガンを用いずに、
 讃美歌伴奏機(下写真手前)を用いての礼拝。
 オルガンの奏楽者が事情でご欠席のゆえ。 

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 二台を用いて行う。それぞれ入っている曲の種類が違うため。
 一台は個人のものをお貸しいただいている。
 担当の方、ありがとうございます。




 2012年 7月1日(日) 京北教会 聖日礼拝

 聖書 ルカによる福音書 8章40~48節
 説教 「あるがままの希望」
 讃美歌21 208「主なる神よ、夜は去りて」
       346「来たれ、聖霊よ」
       433「あるがまま我を」

 出席者 23名

 礼拝後 ・いつものお茶
     ・7月定例役員会


 
 週報掲載の「宣教のことば」欄より

  <宣教のことば>
 
 氷は熱に触れて溶け始めます。
 水に変わり、自由に流れ始めます。


 そのように、人という存在も、
 それがまるで氷のように、
 かたくななものであっても、
 熱に触れて、
 その形を変えていきます。
 流れる水のごとくに自由なものへ。


 12年間病気に苦しんできた、
 一人の女性の話がルカ福音書にあります。
 どの医者にかかっても治らず、財産を使い果たしたとのこと。


 その間に、人生の多くの機会を逃し、もはや時間は戻らない。
 それでも、この女性は、イエスの話を伝え聞いて、
 いやされるかもしれないと思って会いに来たとのこと。


 今いやされたとしても、
 それで過ぎた人生が戻るわけではない。


 それでも、何かがイエスを通じて、
 自分の先に見えてくるかもしれないと思うと、
 足がイエスのほうに向いた。


 そこで思わぬ出会い方をします。


 そのときイエスは、
 氷のように固まっていた、
 この人の人生を解き放ったのでした。


 「あなたの信仰が、あなたを救った」との言葉と共に。

 12年間は無駄ではなかったのです。
 育まれ続けてきた道だったのです。



 <教会玄関の改修工事(3年前)の写真>

 今日のブログは、このままでは写真が少ないので、
 過去の写真をいくつか掲載します。

 以下は、3年前に教会玄関を改修したときの写真。
 親子室から見た眺めです。
 床を張り替えているところ。

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 3年前、教会建物全般を、白アリにくわれていないか調査すると、
 教会玄関の床下の柱が一部くわれていたので、
 しっかり修理と補強を行いました。
 その際に玄関床を前面張り替えしました。

 その後、業者に白アリ対策(薬物による駆除装置と定期点検)を、
 依頼して、万全の構えで対策して、無事に現在に至っています。

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 下の写真で、教会の土台の様子がわかります。 
 煉瓦が用いられています。

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 土台として、木の柱と礎石が組み合わされています。

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 下のように、しっかり補強していただきました。

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  しっかりと支え続けている土台石。

 1924年にこの建物は烏丸五条近くに建築され、
 1941年に下鴨に移築されました。

 この土台石も、建物と共に、おそらく88年目なのでしょう。

 私たちの知らないところで、
 隅の親石があります。



 「誰が隅の親石を置いたのか。」(ヨブ記 38章6節)


 「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。
  これは主の御業。私たちの目には驚くべきこと。」(詩編118編22節)


 「主は、人々からは見捨てられたのですが、
 神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。
               (ペトロの手紙1 2章4~5節)





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