京北教会ブログ──(2010.8〜2020.7継続中)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ (保存資料)

2011年11月6日/13日(日)収穫感謝・神学校日礼拝

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 礼拝のために活けていただいた花。
 背の高い白(写真では紫がかって見える)の花がフジバカマ、下のほうの紫の花がホトトギス、赤の花がセージ。
 教会員が庭で育てた花を持ってきて活けてくださった。
 ありがとうございます。


 2011年 11月 6日(日) 京北教会 聖日礼拝

 聖 書 使徒言行録 27章 21~26節
 説 教 「船は失うが命は」
 讃美歌21 425「こすずめもくじらも」
       280「まぶねの中に」
       494「ガリラヤの風」

 出席 22名

 礼拝後 ・こころで歌おう~新旧讃美歌一曲(自由参加)
      讃美歌21 430番「とびらの外に」

     ・第三回バザー委員会(反省会)

     ・11月定例役員会


 バザー反省会では、いろいろなことに感謝する言葉を多く聞きました。
 良いバザーが出来て、みんなうれしかったのです。
 そして、収益から、東日本大震災の救援募金を献げることができました。
 目標額をはるかに越える収益が与えられたからです。
 お祈り、またご奉仕いただいた皆様に、あらためて感謝いたします。
 ありがとうございました。


   
 
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 牧師住居内から見たバザーのテント。
 上の写真のように固定していました。

 バザー終了後、雨で濡れたテントを乾かしてから収納する予定で、しばらく置いていましたが、なかなか晴れの日に作業することができず、置いていました。11月8日(火)にようやく収納することができました。作業にあたった皆様、ありがとうございました。

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 きれいに全てを片付けました。

 庭の青い夏蜜柑の実に、少しずつ色がついてきています。
 
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 季節が移りゆく。

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 立て看板。夜に撮影。
 ここにあるように、11月20日(日)、秋の伝道礼拝とミニ講演会をいたします。講師は、浜本京子先生(日本バプテスト医療団牧師・チャプレン、日本キリスト教団京都上賀茂教会担任教師)。

 どうぞいらしてください。

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 礼拝堂の活け花を、少し違った角度で撮影した、この写真を見ていると、クリスマス・ツリーのように、ふと思えた。
 クリスマスへと、歩み出している、この時期だからだろうか。


 最近、教会員のお宅に訪問させていただく機会があったときに、手作りされた松かさのクリスマス・ツリーを見せていただいた。とびきり大きな松かさをひっくりかえすとツリーの形になる。それに色と飾りをつける。

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きれいですね!

Merry  Christmas!

って、まだ早い!








       2011年 11月13日(日) 京北教会 聖日礼拝

         「神学校日・収穫感謝」礼拝


 聖書 マタイによる福音書 12章 9~14節

 説教 「人の苦しみを通して」

      高濱心吾神学生(同志社大学院神学研究科)

 讃美歌21 210、390、430

 出席 24名


   礼拝後 高濱神学生を囲んで昼食と交流のとき


 京北教会では、「神学校日」として、

 1年に1回、神学部の学生(神学生と呼ぶ)をお招きして、

 礼拝の説教を担当していただき、その後に交流のときを持ちます。


 同時にこの日は、秋の「収穫感謝礼拝」の日。

 京北教会では、秋の味覚をふんだんに入れクリームシチューを作ります。 
 今年も美味でした。用意してくださった皆様に感謝。





     神学校日・収穫感謝礼拝   説教者 高濱心吾神学生


           説教題「人の苦しみを通して」


  「そこで、イエスは言われた。

  『あなたたちのうち、誰か羊を一匹持っていて、

   それが安息日に穴に落ちた場合、

   手で引き上げてやらない者がいるだろうか。』」

                マタイによる福音書 12章 9節



 今日は収穫感謝日の礼拝です。

 はじめに、収穫感謝の起源について、触れておきます。

 17世紀にイギリスから、信教の自由と、新天地を求めて、

 メイフラワー号でアメリカに渡った移民の人たちが、

 新しい土地で生活しようと開拓を試みました。


 しかし、新しい土地に来て生活を始めようとしたものの、

 漁も狩りもうまくいきませんでした。

 そうして移民たちの生活が困難に直面したときに、

 助けてくれたのは、アメリカの現地の住民たち、

 今で言うネイティブ・アメリカンの人たちでした。


 移民してきた人たちが、

 ネイティブ・アメリカンの人たちに助けられて、

 共に秋の収穫の感謝を祝ったのが、収穫感謝祭の起源です。

 そのことが教会で祝われて、今日に至っているのです。


 苦労してやってきた移民の人たちと、

 元来そこに生きていた人たちが、共に自然からの収穫を祝った、

 その場面は、まるで子どもたちの絵本の一場面に出来るような、

 素晴らしい場面に思えます。


 しかし、それは素晴らしいことだけではありませんでした。

 生活が落ち着いた移民たちは、

 やがてネイティブ・アメリカンの人たちを苦しめる存在になります。

 ヨーロッパの文化、考え方を持ち込み、経済的な力をふるい、

 キリスト教の伝道を押しつける形にもなりました。

 良いことばかりの結果を生んだわけではなかったのです。


 収穫感謝を共に祝うということは、

 ただ単純に素晴らしいことではなく、

 それをめぐって人の苦しみの歴史があることも、

 私たちは思い起こす必要があります。

 移民の人たちの苦しみ、

 その人たちに出会った人たちの苦しみ、そうしたものです。


 今日の聖書の箇所には、手のなえた人の物語があります。

 そのころ、安息日と呼ばれた礼拝の日には、

 何の仕事もしてはいけない決まりがありました。

 しかしイエスは、その日にも、人をいやす働きをしていました。

 そのことについて、イエスを憎む人たちは、

 言いがかりをつけようとして、

 イエスのいやしの働きについて疑問を投げかけました。

 
 イエスは、律法の言葉にしばられずに、人をいやしました。

 手のなえた人は、このときいやされました。

 それは素晴らしいことでした。

 しかし、その素晴らしいことが起こったために、

 その様子を見ていた一部の人たちは、


 
 イエスを殺すための相談を始めます。

 私たちは、イエスの素晴らしさだけを見るのではなく、

 そこに人の苦しみがあることを見なければならないでしょう。


 私は、東日本大震災の被災地に、3月下旬以降の震災直後のときに、

 ボランティアとして行きました。

 言葉を失うような被災地の様子がそこにありました。

 どうすることもできないような現実がある中で、

 小さな働きをそこでさせていただきました。


 そのなかで、こんなことを知りました。

 被災地で放置されている自動車からETCカードを、

 何百枚も抜き出して盗み、それを現金に替えていた者がいたと。

 そのような、人間の現実を見聞きするときに、心が苦しめられました。

 それと同時に、たくさんの方たちが、

 助け合って被災地で生きていこうとする姿、

 またボランティアとして尽力する姿にも出会いました。


 ある新約聖書学者は、次のような意味のことを言いました。

 「苦しみの中での、人の良心的な働きは、神の存在証明である」と。

 人の苦しみを通して、現れる何かがあります。

 素晴らしいことを通してだけ、神がおられるのではありません。

 人の苦しみをめぐって、苦悩することを通して、

 わかることがあるのです。


 人の苦しみを通じて、イエスは、

 人に何かを伝えようとしています。

 私たちも、この現実の中での、

 苦しみを通じて働かれるイエス・キリストの導きのもとに、

 日々を歩みたいと思います。

          
             (以上、筆者の記憶に基づいての要約)