写真は、礼拝の始まる15分前。
礼拝堂に来られて奏楽の準備をされる方と、一番前の席に座って黙々と礼拝に備えておられる方。
このあと、皆さんが礼拝堂に入ってこられる。
今日の礼拝出席は23名。
思い思いの席に座って、礼拝する。
礼拝は、オルガンによる前奏、聖書の朗読に始まって、讃美歌、お祈り、信条の朗読、などが続き、説教に入る。その後に讃美歌、感謝、祝福(派遣)の祈り、後奏と続いて終わる。
プロテスタント教会の、礼拝の中心は説教だと言われる。
けれども、「説教一つ」で礼拝が成り立つのではなく、
「一人一人の方の存在そのもの」が、礼拝となるのだと思う。
─祈り─
神様、一人ひとりを慈しんでください。
わたしたちは神様との信頼関係のなかにいることを願い求めます。
そして、そのなかで、人と人とが共に生きることを、どうぞ励ましてください。一人で立ち得ないときには、支えてください。みことばによって、教会によって。
8月7日(日)京北教会 「平和聖日」礼拝
聖書 使徒言行録3章13~26節
説教 「イエスの名がこの人を強くした」
讃美歌21 7、575、510
礼拝後 昼食
バザー委員会など
昼食の用意をありがとうございました。
鮭のお寿司、煮豆、キュウリの漬け物。美味でありました。
さて、現在、夜の8時。
今日一日のいろいろなことを思い起こしました。
そんな中で、
…落ち着いて坂を見上げて…
という言葉が、ふと浮かびました。
それは、平和聖日だからでしょうか。
平和という言葉を使うとき、そこに至る道のりの遠さを思って、
私たちは不安になるのですが…
坂を見上げたら、坂よりも高いところにある空に目がいきます。
坂の向こうに何があるのかは知らずとも、坂を見上げて少しずつ、
歩いていきましょう。
平地の道がひたすらに長く続く道を、
退屈したり虚しくなりながら、
ただ歩いていくような「平和」ではなくて、
落ち着いて坂を見上げて、さあ登っていこうと…
声をかけあえるような…
そんな平和があるのではないでしょうか。
落ち着いて坂を見上げて、一息ついてから、一歩を踏み出す…力。
「あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。
それは、その名を信じる信仰によるものです。」
使徒言行録 3章16節