2011年5月29日。
先週の日曜日に続き、今日の日曜日も雨。よくふるなぁ。
先週にくらべると、風は少ないようにも感じる。
何人かの方から欠席のご連絡があった。
今日の礼拝は、出席14名。
皆様、雨の中をよく来てくださいました。
雨の中の紫蘭(シラン)。
金属の柱は手すり。
今日はどなたが来られるのか…と受付から外を見る。
教会玄関の扉は本当は広いけれども、ななめから撮るとずいぶん狭く写ってしまう。けれども、京北教会の扉は、本当はとても横に広い。
どんどん人が入れるように。
空席を見て、そこにいつもなら座っておられる方々のことを想う。
礼拝堂においてサインしていただくハガキ(お見舞い、近況うかがいなど)も、今日はいくらか人が少なく、サインのための余白が全部埋まらないので、来週まで置いておくことにした。ちなみにこのカードは手作り印刷。いつもきれいに作っていただいている。ありがとうございます。
教会の庭にあるヒイラギ。ふと見ると、おおつぶの水滴が、いくつもいくつもぶらさがっているのが、遠くからでも見えた。思わず撮影。なぜこんなにおおきな水滴ができる? 遠くからでも光っているのが見える。
こんな光景があることを今日、初めて知る。
雨の日の恵みの発見。
さて、今日の礼拝後の「こころで歌おう~新旧讃美歌から一曲」は、1編の517番「われにこよと主はいま」。
「われにこよと 主はいま 優しく 呼びたもう
などて愛の光を 避けてさまよう
『帰れや わが家に 帰れや わが家に』
と主は いま呼びたもう」(1番歌詞)
(出版元 日本基督教団出版局 讃美歌委員会)
教会の礼拝(後)に際して歌うのはとても久しぶりの讃美歌。
暖かな歌詞に、心が動く。
ここで、あえて理屈っぽいことを言えば、実は聖書には、イエス・キリストがこの歌詞のように「帰っておいで、わが家に」というような意味の言葉を言ったことは記されていない。つまりこれは、作詞家の創作である。
讃美歌に付記された注釈によると、この歌詞の作成にあたり参考にされているのは、マタイによる福音書11章28節「疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」や、ルカによる福音書15章8~32節にある、放蕩息子に関するイエスのたとえ話であろうと思われる。
また、主という言葉は、イエスだけではなく、神様を指す言葉であるから、作詞者の信仰を表した言葉として、こういう言葉使いもできるかもしれない。しかしそれでも、作詞家が自分の想像の世界の中で、勝手に神様にこんな言葉を言わせてもよいのだろうか…ということもできるだろう。
さて、どう考えたらよいのだろうか。
この歌詞は、神様の言葉を私たちに伝えている歌だと思える。
なぜなら、教会は、いつも皆さんに、帰っておいで、わが家に、と言っているから。
この歌詞は、神様を信じる教会が、神様からゆだねられた言葉として歌うものだと思うことにしよう。
教会は、わが家なんですよ、と。
信仰は、わが家なんですよ、と。
悔い改めも、ゆるされることも、救われることも、それは神様のわが家での出来事。
だから「われにこよと主はいま…♪」と歌える。
今日、雨で来ることのできなかった方達とも、療養などで来ることのできなかった方達とも、またお会いできる。この教会で。
初めての方とも、久しぶりの方とも、お会いできる。ここで。
神様のおられるわが家で。
雨の日、それは晴れの日が恋しい日。
先日の晴れの日に撮影した、ミニチュア・バラ。
仲良く集まっているように見える。
「わが家」だろうか。